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人に頼るという事①~自信は少しずつ身についていく~




その後、私が自信を持ちにくくなった原因と思われる事がいろいろ浮かんできました。
父親からの虐待、繰り返し言われた人格否定の言葉。母親からの心を射抜く傷つける言葉。
褒められた事は、私がいい子を演じて、宗教関係の事で父親に認められた事のみで、その他の事では褒められた記憶はありませんでした。
父親がする必要無いと言う事(学校の勉強、運動、行事等)に対して努力して取り組んだ成功体験が無い事。
年齢が上がっても厳し過ぎる制限、例えば門限17時で、5~10分過ぎただけで理由は関係なく強く叱られるため、父親から自分は全く信じてもらえていないんだな...と感じた気持ち。
なぜか親を越えてはいけないというような気持ち。
なぜか親より幸せになってはいけないような気持ち。
それらが浮かびました。(そう思った詳細、言葉、状況などは現時点では思い出せませんでした。)


そもそも、何かをする時に、
自信はいらないのかもしれないと思いました。
自信は、行動を繰り返していった先に、もしかして得られるかもしれない物。
何かを継続した先で身についていくかもしれないものだと思いました。
あってもいいけれど、振りかざすものでもなく、時間の経過と共にただ静かに自分の一部となっていく部分かもしれないと思いました。
だから、何かをする時、今の自分で、今のあるがままのこの自分で、出来る事からしたらいいんだ。
力を入れずに、ただありのままの自分で、この自分で、生きたらいいんだ、と思いました。
目覚めた時に、思考に巡ったように、
ただ、ここに自分が存在しているだけでいい。何かをする時、ニュートラルにその状態のまますればいいんだ...そう思いました。


私は何かをやってみようと思った時、必ず、それを打ち消そうとする心の不安の声が聴こえていました。
でも、これからは、もしも不安な何かがあったら、信頼出来る誰かに相談したらいい。
もしも出来ないと感じた時は誰かを頼ろう。
もしも失敗したらまわりの人に助けてもらおう。
1人で抱え込まないで、私は1人じゃないんだから。
まわりの人に力を貸して貰えるよう頼んだらいい。
1人でしないといけない、と思わなくていい。
誰かに助けてもらいながら、私も誰かの助けになれたらいい。
世の中の、支え合いの中に、支え合いのパーツの1つに、私もその中の1人になれたらいいんだ。
私はもう、今、まわりの人に支えてもらって生きているんだから。
と、そう思いました。
そう思えた事が、嬉しく感じました。孤独感を、ニュートラルに感じて捉える事が出来たからなのかもしれません。
人は、1人だけど、1人(独り)じゃない、と思いました。


今まで、私は人に頼る事が苦手でした。
苦手というか、人を頼る、という事が、どういう事かわかりませんでした。
私は、無意識に、その自分が居る場所で、常に自分が頑張らなければと、自分がなんとかしないといけない、と思っていました。
職場などで、まわりの人とは協調性を大事にしていたつもりでした。
でも、今になって振り返ると、たぶん、間違ったやり方をしていたような気がしました。
協調性を大事にしようと、私は、自然体のつもりで、一生懸命に頑張り過ぎる。空回りする。結果、協調性は乱れる。あれ...なんだかおかしいな...と感じるも、なぜそうなるのか、わかりませんでした。気づきませんでした。
その時は、誰の事も心から頼っていなかったんだ、信頼していなかったんだと思います。
本当の意味での支え合いがわかっていなかった。信頼し合い、心を寄せる、という事が、出来ていなかったと思います。


誰かを頼る、その頼り方もわかりませんでした。
わからないなら、わからないその事自体も、ひっくるめて、まわりの人に頼る、相談する、聞いてみる、力を借りる。
そうしてみて、それらを参考にして、自分で考えて、やってみればいいんだ、と思いました。
望む反応がもらえるとは限らない、期待をしないで。
もしも、失敗しても大丈夫、失敗は仕方のない事。次に繋げて、何度でもやってみればいい。もちろん、無理もせずに。
たぶん、生きてきて初めてに近く、そんなふうに思いました。
スポーツに例えるなら、個人プレーではないと、
連携プレーをすればいいんだと、そう思いました。
チームの中の個、全体の中の個、だけど、個が集まって全体で、連携したらいいんだと思いました。
本当に、いつもですが、不思議です。
頭では、それはそうだよね...と思っていた事です。
なぜ、今まで、わかっていた(と思う)のに出来なかったのかな...と思います。
これも、わかるとわかった気になる、の違いで、私はわかった気になっていた事なんだと思いました。
わかった気になっていただけだったから、適切に行動する事が出来なかった。
行動する前に考えて、怖くなって、止まってしまう。いろんな不安が浮かんできて、動けなくなってしまう。
本当にわかる、と、自分の内側に変化があって、
自然な行動に繋がっていく、繋げていける、という事なのかな...と思う今です。


ありのままの私は、自分のために、誰かのために役に立てるだろうか...何か力になれるだろうか...と静かに思います。それも、行動した先で、もしかしたら得られる事のように思います。
私の人生で起きた事、今までに起きた事は、意味は無いのかもしれませんが、意味の有る無いに関係なく、私自身の学びのためにあったと思い、それを糧にして、活かしていく人生にしたらいいと思いました。
今まで、人に騙される結果になってしまった事や、エネルギーや時間を搾取する人に、都合いいように扱われてきた時もありました。それを許していた自分もいました。
でも今は、自分で自分を大事にする事を学びました。学びの途中で継続中ですが、同じ事は繰り返さないようにと、自分の境界線をきちんと持ち、バランスをとるよう意識する事は出来そうだと思います。






お読み頂き、ありがとうございました。





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