誰かの希望は誰かの絶望

誰かの希望は、誰かの絶望になりうるって思ってます。苦節30年でブレイクしたお笑い芸人とか、ようやく難関試験に合格したというサクセスストーリーは爽快感がありますし、みんな好きだと思います。
ただ、一方でこれらは誰かを不用意に追い詰める絶望にもなりうるかと思います…。ようやく自分なりに諦めがついた人に対して「勿体無いよ。あの有名な〇〇だって、苦節〇年でブレイクしたし諦めるなよ」と言ってしまう人がいます。自分なりに踏ん切りをようやくついた人に対して、希望のある話をすると、時として絶望感を味わせてしまうという不条理ですね。よしんば、これに奮起してもう一度頑張ってみたとして、かえってサンクコストを重ねてしまうと、人生が詰んでしまい無敵の人(この表現は嫌いですが…)とかを作りかねないのかなあと思ってしまいます。希望と絶望は表裏一体だなあと思ってます。


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