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上林暁「野」
「『の』っちゅうのを読んでみなはれ」
と本屋の親父さんは言った。
中学3年生の宮本輝さんに
「あんたにこの小説がわかるかな」
と『野』をすすめたのは本屋の親父さんだったそうですが、私に「上林暁」という作家と『野』をすすめてくれたのは宮本輝さんの「本をつんだ小舟」でした。
「面白くもなんともなかった」と感じた宮本さんは、本屋の親父さんに
「どうでした?」
と聞かれた際、曖昧な笑みを浮かべます。
すると、
「こういう小説も、なかなかええもんです」
と返ってきます。
宮本さんは12年後、この小説と再会し、本屋の親父さんに言われた「こういう小説も、なかなかええもんです」の気持ちがわかるようになっていたそうです。
一方、私は『野』を何度読んでも「なかなかええもんです」の境地に達することができず、
「暗い!暗いなぁ!」
という感想しか思いつきませんでした。
ただ、最近読んだ「文と本と旅と」上林暁精選随筆集は「なかなかええもんです」という感想を持ちました。
「私小説には、そういう面白さはなくて、最初から単調なものであるが、つづけて読んだり繰り返し読んだりしても飽きが来ず、かえって味を増すところに、真の私小説のだいご味があるのではないかと、私は考える。」
「私の作品を読み通せば、一人の作家の全貌が築き上げられるという風に自分の文学を持ってゆきたい」
おそらく読者である私の心理的状況によっても、文章の受け取り方が大きく変わるのだと思いますが、『の』っちゅうのが「なかなかええもんです」と思える日はまだまだ遠そうです。
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