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大事なのは「何を使うか」より、「どんな意識で使うか」なのかも。〜こころ部メンバーのご自愛コラム・まい編〜

タイニーのご自愛コラムでは、こころ部メンバーひとりひとりの日常から「ご自愛」について考えたことを発信します。

アカウントを乗っ取られ、焦りと苛立ちから震えた日

こんにちは。タイニーのまいです。
少し前に、Facebookアカウントが「乗っ取り」をされました。
Facebookでつながっている人(その方も乗っ取られてしまっていたということです)からメッセージが来ており、送られてきた動画を開いてしまったんです。

数日後、友人から「まいちゃん、アカウントが乗っ取られているよ!」という連絡をいただきました。
Facebookを開くと、わたしから何人もの人に、わたしが開いてしまったあの「動画」が送信されている。
大急ぎで対処法を調べ、パスワードを変更し、送信されたメッセージを削除し、つながっているみなさまに「決して開かぬように」と連絡をしました。

おかげさまで、短時間で一連の流れは落ち着きましたが、その間にわたしの中からはいろいろな感情や思いが湧いてきました。

「なんでわたしが」
「インターネット怖い」
「なんのためにこんなことを仕掛けたの?」

焦りや悲しさや苛立ちで、わたしはプルプルしていました。
ただ、もしも「混乱を招くこと」が目的なのだとしたら、そのプルプルした状態は相手の思うツボになってしまう…
そう思い、息を吐いて、吸って、落ち着いて対処することに集中しました。

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今は少なくなったかもしれませんが、「なんか怖いから」という理由でSNSを使わない人もいましたよね。
わたしも今回このような出来事が起こり、「インターネット怖い」「SNS怖い」という感情が湧きました。

道具は、使い方次第で全く別の結果を生む

では、SNSは危険なのでしょうか?
「う〜ん」と1人で考えていてたどり着いたのは、「SNSも道具だよね」ということ。

包丁や車と同じ、道具です。
包丁は、おいしい料理を作ることができます。自分のために作ることもできるし、家族や友人など、他の人をよろこばせることもできる。
車なら、目的地へ移動するために使ったり、楽しくドライブすることができます。
こんな風にして、道具は自分や誰かをよろこばせたり、役に立つような使い方ができます。

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一方で、そうではない使い方もできる。包丁も車も、使い方によっては、いとも簡単に自分や人を傷つけることができてしまう。

となると、「道具」についてあーだこーだ言うより、その道具を「どんな意識で使うか」が重要なのかな?と考えました。

そして、インターネットやSNSに関しても、同じことが言えると思ったんです。
セキュリティ対策をするのも大切なんですが、使う人が「どんな意識で使うか」にほぼ全てがかかっているのではないかしら…?

「このステキな情報をみんなにもシェアしたい」
「なかなか会えない友達とやりとりしたい」
「世界中に友達を作りたい」
「あわよくば個人情報を抜き取りたい」
「世の中を混乱させたい」
「どんな手段でもいいから自分の存在を知らしめたい」

パッと思いつくだけでも、いろいろな使い方ができそうです。

人をマイナスにして自分をプラスにするか、人も自分もプラスにするか

上記のSNSの使い方の例を見ていて、思ったことがあります。
どの使い方も「叶えたいこと」があり、そのためにSNSという道具を使っている。

「いい」とか「わるい」というのはいったん置いておきますが、どうも「満たす範囲」に違いがありそう…

「うれしい・たのしい・よろこび」という気持ちをプラス、「不安・こわい・かなしい」という気持ちをマイナスだとしたときに、

「このステキな情報をみんなにもシェアしたい」→自分もプラス、人もプラス。
「なかなか会えない友達とやりとりしたい」→自分もプラス、人もプラス。
「世界中に友達を作りたい」→自分もプラス、人もプラス。
「あわよくば個人情報を抜き取りたい」→自分はプラス、人はマイナス。
「世の中を混乱させたい」→自分はプラス、人はマイナス。
「どんな手段でもいいから自分の存在を知らしめたい」→自分はプラス、場合によって人はマイナス。

ざっとこんな感じになりそうです。

自分が満ちていれば、人から取ろうという発想にはならない?

人をマイナスにして自分をプラスにする、という発想をたどってみると、

「そもそも自分は満たされていない」
「よろこびは限られたものだから、人と奪い合わないといけない」

そんな考え方があるのではないかな〜?と思いました。

以前、タイニーのご自愛タイムズでは「ご自愛は自分というグラスを満たすこと」という例え話が出ました。

この中で、ゲストのなごみさんはこのように語っています。

自分がお風呂やグラスだとしたら、ご自愛することで自分というグラスをパンパンに満たして、溢れてからやっと本当のやさしさが人に対して持てるというか。
グラスがひび割れていたり、まだ溢れてもいないのに人にお裾分けしていると、見返りを求めちゃったりね。

このように考えると、自分というグラスが満たされたら、「人をマイナスにして自分をプラスにする」という発想にはならないのでは?と思いました。

「ご自愛」という地道な作業も、集まれば大きな愛になる?

わたしたちは「ご自愛研究室」という名前を掲げていますが、なぜこんなにもご自愛ご自愛言っているのか…
それはtiny peace kitchenの理念である「やさしさが連鎖する経済圏をつくる」から来ています。
やさしくなるためには、まずはご自愛して、自分というコップを満たすことが大事なんじゃないか?と。そう考えたんですね。

世の中には、人に迷惑をかけないためのルールや、迷惑をかけた場合の罰則もたくさんあります。
でも、そもそも「満たされている人」が増えたら、もうちょっと自然な形で「やさしさ」が広がっていくのかも…(遠い目)

ご自愛って、まずは「自分」に焦点を当てます。自分の中にある願いに目を向け、自分を満たすことだと考えています。

だから、すごく地味で地道だな〜と感じるんです。
もっと、コピー&ペーストするみたいに、一気にガッと広げられないのかな?とか(笑)

地道ではあるんですけど、ご自愛することで自分というグラスを満たす人が増えたら、どんどん水が溢れて、プールみたいになって、そのうち海になって、豊かな生態系ができるんじゃない?と思うんですよね。
個々のご自愛が集まって、大きなご自愛になる…なんだかスイミーみたいです。

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そんな妄想をしながら、日々ご自愛ご自愛と言っています。


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