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出来過ぎて、美し過ぎて、なお本物の物語

■松家仁之『火山のふもとで』

「割り算の余りのようなものが残らないと、建築はつまらない。人を惹きつけたり記憶に残ったりするのは、本来的ではない部分だったりするからね。しかしその割り算の余りは、計算してできるものじゃない。出来てからしばらく経たないとわからないんだな」(P.158)


23歳、設計事務所に入所して一年目。「夏の家」と呼ばれる軽井沢の山荘で過ごした思い出を描いている。

いやはや、なんと美しいのだろう。

描写力や語彙の豊富さに感嘆するだけでなく、物語の細部が「あまりにも美しい」ことに、はじめは戸惑った。

こんなに美しい世界が本当にあるだろうか?

軽井沢の澄んだ空気、サリサリサリと静かに響く鉛筆削りの音、窓の向こうに大きく枝を広げる桂の木、採れたての野菜がたっぷり盛られた食卓、選りすぐりのワイン、レコードプレーヤー、笑い声、暖炉、恋、一世一代の仕事──。

「こんなに素敵な現実があってたまるか!」

と、うらめしさが湧き上がりそうになる。

しかしなぜだか心はグレなかった。描写や物語に嫌味がなくて、夢中になって読み続けるうちに、気づけば私の頭は感情ではち切れそうになった。

作者の松家氏は明らかに名手である。


読み終わってから一晩寝かせ、気に入ったフレーズを書き写すうちに、出来過ぎて美し過ぎる物語がそれでもなお「本物」である理由がわかってきた。

主題である建築の設計を通して語られる言葉がいずれも、この(現実の)世界の本質を非常に鋭く捉えているのだ。

たとえばこんな言葉たち。

「建築の細部というのは胎児の指と同じで、主従関係の従ではないんだよ。指は胎児が世界に触れる先端で、指で世界を知り、指が世界をつくる。椅子は指のようなものなんだ。椅子をデザインしているうちに、空間の全体が見えてくることだってある」(P.152)
図書館が静かなのは、人が約束事を守っているからではなく、人が孤独でいられる場所だからだとしたら、先生はその空間を、どのようなかたちにつくりあげようとしてるのだろう。(P.159)
先生はこんなふうに言っていたことがある──上機嫌でぺらぺら話しているときと、ぼんやりひとりでいるときと、ふとんをかぶってめそめそしているときと、いろいろあるのが人間だからね、部屋もそれぞれにあわせた役割を担うように、つくり分けたほうがいい。(P.241)

あくまで〈建築〉というモチーフを語る言葉。しかしその実、より広く、一般化して語れる深い真理にタッチしている。そんな印象を受ける力強い言葉が数多くあった。


一方で、他愛もない会話や感情の描写も上手い。

「あなたみたいな人に恋人がいないなんて、それは双六の一回休みみたいなものでしょ」(P.240)
いつからか、雪子の声が聞こえると、その声に耳を澄まし、雪子の声を集めてしまっておきたいような気持ちになっていた。(P.50)

はじめての恋、はじめてのキス。好きなひと、好意を抱いているひと、情欲を抱いているひと。小説にありがちなシチュエーションも、(過度に描写をせずに)周辺をじわじわと描くことで、巧みに読者の記憶を引っ張り出して脳内に描かせる。甘酸っぱくて、胸が締めつけられる。

大事なことだからもう一回書くと、作者の松家氏は明らかに名手である。

さて今回は、読書を助けるであろう知識をすこしだけ付け加えてみます。

まずこの物語には、

・実在の人物(建築家や美術家)
・実在の人物(建築家)をモデルにした人物
・架空の人物

が登場する。実在の人物は主に、フランク・ロイド・ライトとアスプルンド(いずれも建築家)。彼らについてのエピソードは基本的に実話だと思う。

主人公が師事する村井俊輔(「先生」)とそのライバル役(名前忘れた)は、実在の人物をモデルにして描かれている……と思われる。村井のモデルは確実で、吉村順三(主に住宅作品で知られる)だ。ライバル役はおそらく丹下健三(東京都庁や代々木体育館を設計した巨匠)ではないか。

なお、彼らに関する情報は意図的に事実と変えられている(例えば吉村はライトの弟子ではなかった)。

また、村井の事務所で働くキーパーソンの「内田」にもモデルがいると思われるが、こちらはまだ活躍中の方なので名前を伏せておく(ちなみに作中のキャラクターは相当脚色されている)。

主人公やその恋の相手などはフィクションだと思う。

この物語をリアルに楽しみたいのであれば、吉村順三という建築家の作品を見てみるとイメージがわきやすいと思います。特にコンペ案の建築にはモデルがあるので、興味のある方はWikipediaで最晩年の作品を見てください。ただしコンペ自体はたぶんフィクションで、実際の建築の用途は図書館ではありません。

「先生」が語る言葉の数々は、まさしく吉村順三が語る言葉“らしい”。その意味でもフィクションでありながらどこかひどく現実的だ。引用でなく作者が考えたのだとしたら、かなりの力量だと思う。

ひとに薦められて買い、一年間積読の最下段で寝かせていた作品。いま読めてよかったと思える素晴らしい一冊でした。

私は、自分で選ぶ小説はたいてい古典あるいは怪奇幻想小説に偏ってしまう。発表後20年は経っていてほしいな、というよくわからないこだわりがあって笑、あえて最近の本には触れないようにしている(ええ、頑固です)。

でも、たまにこうやって自分で選ばないものを読むと、世界が広がるなと。

最近だと他には『蜜蜂と遠雷』『羊と鋼の森』『君の膵臓をたべたい』『コンビニ人間』などの話題作は、おすすめされて読んだ。どれもそれなりに面白かったし、「らしくない」ものにもときどき触れたほうがいいかも。そんなことを思いました。

『火山のふもとで』はかなり力作なので、もっと読まれていいはず。上に挙げた作品たちよりも私はこれを推します。

思えばミステリーも……普通に生きていたら、読まずに死んだろうな。笑 出逢いに、感謝。


「一点の隙も曇りもない、完璧な建築なんて存在しない。そんなものは、誰にもできはしないんだよ。いつまでもこねくりまわして相手を待たせておくほどのものが自分にあるのか。そう問いながら、設計すべきなんだ」(P.255)

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