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数学の「美しさ」と芸術の「美しさ」

■加藤文元『数学する精神 増補版-正しさの創造、美しさの発見』

数学とは「する」ものである。すなわち「人がする」ものである。人がするものであるから、それは時間と手間と労力がかかる。しかし、人がする(仕出かす)ものであるから、それは楽しい。 ー 239ページ

もし、数学が好きな人、数学の根幹に興味がある人、それでいて自分は大して数学に詳しくもないし……と思っている人がいたら、間違いなくおすすめできる一冊です(難しい数学は出てこない)。

「数学とは何なのか?」
「数学は何のために、どのような形で存在するのか?」
「数学は“正しい”のか?」
「数学はどのような文脈で“正しい”とされるのか?」
「数学における“美しさ”とはなんなのか?」

というような、聞かれても到底答えられそうにない質問に、著者はグイグイと切り込んでいく。そのチャレンジングな姿勢にはこっちが怯んでしまうほど。

こんな質問ばかりだから、明快な答えが出るわけではない。だから、読んでもスッキリしない。

「数学なのにスッキリしない」感覚が、あるいは(スッキリしたがりの)数学好き人種にとって受け入れがたいかも。

数学を本当の意味で愛しているかどうか?大袈裟にいうと、そんな数学愛が試される一冊かもしれない。

というような深い内容なので、触れるのが難しい。あまり自信がないので、例によって直接的ではないけれどこの本をきっかけに考えたことを書いておく。

美しさ」について。

なぜこれが正しいのかと問われたら、そう思うのが一番自然だからとしか答えようがない。何が自然で何が不自然かというのが人間の価値判断から来るのであれば、それは「美しい」という感覚とほぼ同じと言ってよいだろう。 ー 125ページ

著者は「美しい」という言葉をよく使い、本書の中で数学の「美しさ」を言葉で表そうと懸命に試みている。


私は、「美しい」「美しさ」「美」について定義したり深堀りしようと考えたことが、これまでに一度もなかった。

なぜなら、自分が何かの対象に対して抱く「美しい」という感覚に疑問を抱いたことが一度もない、つまり、自信があるからだと思う。

例えば展覧会を見に行って絵画を見るとする。そのときに「これは美しいのだろうか?」と悩むことはない。

正確に言うと「一般的にこれは美しいとされるのだろうか?それはなぜだろうか?」と考えることはあるが「私は今これを美しいと思っているだろうか?」という疑問は生じないし、「私はこれを美しいと思う(思わない)」という判断は0.1秒ぐらいで下せる。そういう意味で自分の感覚に自信があるのであって、一般的な価値観と合致しているという意味ではない。


で、疑いをもったことがなかったからこそ、あらためて「美しさとは何か?」と問われたときに「はて……なんだろうか」と悩んでしまった。

定義としてまず思い浮かんだ言葉は「バランスがよいこと」だった。

私は主に視覚で生きている人間なので視覚で説明すると、ぱっと見た瞬間に「美しいな」と感じるものは必ず「バランスがいい」。

それは、絵画であれば額縁に対する絵のバランス(余白の在り方)にはじまり、色、質感、描写の細かさ、光の加減、モチーフの存在感、などなどとにかくすべての「バランス」である。

数学っぽい言葉で説明すると、「バランスがいい」は「美しい」の必要条件であって十分条件ではない。美しいものは必ずバランスがいいが、バランスがよくても美しくないものはたくさんある。

また、「バランスがいい」というのは黄金比とかそういう話でもない。マニュアルは存在しない。だから一見してアンバランスに見えるもののバランスがいいこともある(こういう話をしだすと現代美術は特に難しい。美しさを考えるのならまず古典のほうが都合がいい)。


さて、著者は数学の「美しさ」についてどう定義しているのか……というと、「一言で無理やり言ってしまうと」と前置きしたうえで

整合的であること

とし、続いて以下のように列挙する。

シンプルであること
普遍的であること
背景に奥深さを感じること
意外であること

著者はあくまで数学を鑑賞するという視点で並べているのだが、これが非常に的確なのでちょっと驚いてしまった。

少なくともこの加藤さんの感覚を拾うかぎり、数学の「美しさ」はほぼ完全に芸術の「美しさ」と一致すると感じた。

私が最初にあげた「バランスがいいこと」はたぶん「整合的であること」に近いと思う。この両者は本質で似ているのだが、表現として若干ズレる理由は、芸術と数学の性質が違うせいではないか(数学に「バランスがいい」と言ってもしっくりこないし、芸術に「整合的である」と言ってもよくわからない。でもたぶん言いたいことは同じという気がする)。

いや「整合的」のほうが上位概念というかよりうまく表現している気もする。バランスのよさはその中に含まれるのかな。

で、その下の列挙がまた素晴らしく、「美しさ」をかなり正確に過不足なく表現していると感じた。あまりに素晴らしいのでもう一度コピペすると、

1.シンプルであること
2.普遍的であること
3.背景に奥深さを感じること
4.意外であること

すべて素晴らしいのだけど、特に3と4。3と4を「美しさ」の定義(というか視点)に入れられるのは、この人が職業的に、それも腰掛けではなく生業として「美しさ」に対峙していることの証ではないだろうか。

3の「背景にある奥深さ」は、そのモノの制作(数学然り)に携わっていないと実感としてわからないと思う。美しく見えるそのモノがいかに奥深いか(どれだけの労力がかかっているか、どれだけ深遠な意味を含んでいるか)は、まったくの素人には理解できないのではないかと思う。

4の「意外であること」は、言われてみると「なるほどこれは外せない」と思う、けれど、おそらく一般的価値観ではない。たぶん一般的な「美しさ」に「意外性」は含まれない。が、もし「芸術的な美しさ」に限定するのなら「意外性」は絶対に外せない。

例を挙げると、ゴッホの絵は芸術的に美しい。しかし一方で、写真と見紛うほど精密に描かれた人物画は、見ようによっては美しいかもしれないが、「意外性」を欠くという意味で芸術にはならない(それを芸術として評価する芸術家はほぼいないはずである)。

芸術には「意外性」(言い換えれば「新しさ」)が必要なのだ。

というわけで、この著者は「美しさ」という言葉において、広い意味の「美しさ」ではなくて暗に「芸術的な美しさ」を定義しようとしている。だから、生業として真の美しさを考えている人なのだろうなと感じた。

1と2は大切すぎて説明のしようもない。(芸術的に)美しいものがすべからくシンプルで普遍的である、というのはもう、超大前提なので。


この本では「ほら、数学はこんなに美しいよ」という具体例を色々と教えてくれる。それらはもちろん美しいのだが、私はどちらかといえば、著者が上述のように真に芸術的な視点で数学を捉えていることを知り、数学がれっきとした芸術的営みであることを実感して、嬉しかった。嬉しいというか、興奮した。

人間は「数そのもの」を視ることはできないし、「空間そのもの」を観ることはできない。だからこれらの概念を扱うときには、芸術と同様に必ず人間らしい活動の手が入る。 ー 4ページ

それから「美しさ」ともう一つ大切な価値観である「正しさ」について。もう、深すぎて面白すぎるので逆にモヤモヤして語れないのだが、帰納法と「アキレスと亀」の話はずっしりと胸に響いた。

さらに、人間の観察(直観)は、(少なくとも今はまだ)コンピュータに取って代わられない──という話。これもまたとにかく面白すぎる。面白すぎるけど、ここで説明するのは大変なのでもうとにかくなんでもいいから全員読んで!という気分です。笑

「関係に気付く」ということは決して機械的なものではない。作業する主体より一段メタな主体が、これらの作業を客観的に観察できなければならない。 ー 114ページ

『ガロア 天才数学者の生涯』も買っちゃいました。

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