どこかに置いてきたセンチメント
■吉本ばなな『キッチン』
夏が始まる前に、新潮文庫の2021年版プレミアムカバーをまとめ買いした。
そのとき本屋に唯一置いてなかったのが、この『キッチン』。オレンジ色の表紙に箔押しフォントは黄緑色という、人参カラー(?)。可愛らしい色合いに「うむ、久しぶりに吉本ばななでも読んでみようか」と追加購入した(……のもだいぶ前の話だけど)。
吉本ばななといえば、装丁が可愛い。『TUGUMI』の単行本が気に入って、(内容はあまり覚えていないのだけど)大切に本棚にしまってある。
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国語の教科書にも掲載される『キッチン』。久しぶりにこのタイプの女性作家の作品を読んで、感想は──。なんだろう、誤解を恐れずに言えば、
「共感できない」
の一言になる。
否定的な意味ではない。面白くないとか、理解できないとか、そういうことが言いたいわけではない。
ただ私は、この『キッチン』の世界に詰まっている溢れんばかりの“センチメント”のようなものを、もう持ち合わせていない。だから、もう、今はよくわからない。
という事実が自分自身すこし寂しく、残念でもある。
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自分の中にもかつてはこんな風に、言葉にならない寂しさ、愛おしさ、胸がきゅうっとなるけれどあえて言わないようないじらしさ、などなどがあったかもしれない。そうやって触れそうで触れないもの、大切だからこそ遠くから見守るもの、なんかがあったかもしれない。あったような気がする。
けれど、今の私は実感としてその──言葉にならない、してはいけないふわふわした──何かしらを、感じたり抱えることはできない。「できない」のか、「しない」のか。どちらだろう?いずれにせよ「別に、したくもない」。
だから『キッチン』を読むと、「あぁ、こういう人もいるよね」となる。最近よく感じることだった。理解はできても共感はできない、という感覚。
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これは勝手な理論だけれど、人には変え難い向き不向きがあると思う。私には、吉本ばななのような感性は向かない。好きか嫌いかで言えば別に全然嫌いではないのだが、そのような感性を働かせて生きるとたぶん私は不幸になる。笑
顔や体格によって似合う洋服やメイクが違うのと、同じことかもしれない。
だから私の場合は今のように、恋なんてせずに、過去は振り返らずに、現実的なことをたくさん考えている生活が楽しくまた幸せだ。そうやって生きる心地よさを知ってから、センチメントはできるだけ置いてけぼりにした。
──全然、感想文になっていない気がする。でもこれが今の素直な感想だ。また10年後に読んだら、何かが変わっているのだろうか。
言葉はいつでもあからさますぎて、そういうかすかな光の大切さをすべて消してしまう。(P.103)
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