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「これが人間が幸福になれない理由である。幸福は繰り返しへの憧れなのだからである」

■ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』

人間の時間は輪となってめぐることはなく、直線に沿って前へと走るのである。これが人間が幸福になれない理由である。幸福は繰り返しへの憧れなのだからである。 ー 374ページ


10年ほど前に一度読んで感銘を受けたが、まったく内容を覚えておらず、ただただ「すごかったな」という感触だけが残っていた。今回も「すごかったな」と思ったけれど、おそらく10年経つとまた内容を忘れてしまうだろう。

ストーリー性が薄い……と言うと語弊があるのだが、例えば、バレエを鑑賞するのとコンテンポラリー・ダンスを鑑賞するのがまったく違っていて、ルーヴル美術館を観た後とMoMAを観た後では抱く感想が違う、というようなことだ。この作品は現代的な手法で描かれている(ような気がする)ので、その爪痕の深さに反して、感想がとっても書きづらい。

この感想の書きづらさは、エーコ『薔薇の名前』の読後感と似ている。

あの時も「すごかったな」ばかりで感想がまとまらなかったが、まだ骨格と枝葉末節の区別がされていたぶんよかった。今は、骨格すら語れない。


「何か面白い小説を教えて」

と聞かれたときに(そんな状況はあんまりないのだけど)、自信をもって勧められるのは、最近読んだ中では『恐怖の谷』や『こころ』のようなもの。理由は単純に、ストーリーが面白くて描写が上手くて読みごたえがあるから。

しかし。めっちゃ星5つなんだけど人に勧めるのが怖い──という類の小説もある。『存在の耐えられない軽さ』はこちらだ。

強烈で、鮮やかで、深いのだけど、何がどう良いのか言語化できないしまたそれが人に同じような印象を与えるか不安だし、読んだ人が「ちょっとよくわかんなかった」と思わないだろうかと気が気じゃないので。

あとは、文学に多いややキツめの性描写がどの程度(特に女性に)受け入れられるのかという点で、自信がない。例えば『ノルウェイの森』みたいなのをどの程度の女性が受け入れているのかが疑問なのだ。「村上春樹ってけっこう女性蔑視じゃない?大丈夫なの?」と男性に言われたことがあり、まったくそう感じたことがなかった私は、以来、ちょっと不安になっている。そんなこと言ったらたいていの文学は女性蔑視じゃないかと。女性と文学の価値観を共有したことがほとんどないから不安だ。


「こんな人に読んでほしい」を挙げて、いくつかのフレーズを引用して、雰囲気をなんとか伝えてお茶を濁そう。

・ありきたりの恋愛小説がもはや信じられない人、飽きた人
・愛と性について考えたい人
・男と女に興味がある人
・悲観的な感傷に心の底まで浸かる準備ができている人
・冒頭の引用文を理解したい人
・幸福の意味をひととおり考えて探し続けて彷徨っている人


トマーシュは、女と愛し合うのと、一緒に眠るのとは、まったく違う二つの情熱であるばかりか、対立するとさえいえるものだといっていた。愛というものは愛し合うことを望むのではなく(この望みは数えきれないほどの多数の女と関係する)、一緒に眠ることを望むものである(この望みはただ一人の女と関係する)。 ー 22ページ
ヒットラーとアインシュタイン、ブレジネフとソルジェニツィンの間には差異よりもはるかに多くの類似がある。もしそれを数値で表現できるなら、両者の間には百万分の一の差異と、百万分の九十九万九千九百九十九の類似があるであろう。 ー 250ページ
犬への愛は無欲のものである。テレザはカレーニンに、何も要求しない。愛すらも求めない。私を愛している? 誰か私より好きだった? 私が彼を愛しているより、彼は私のことを好きかしら?というような二人の人間を苦しめる問いを発することはなかった。愛を測り、調べ、明らかにし、救うために発する問いはすべて、愛を急に終わらせるかもしれない。 ー 373ページ
悲しみは形態であり、幸福は内容であった。幸福が悲しみの空間をも満たした。 ー 395ページ
彼女のいったことは悲しいことであった。だが、二人は意識しなかったが、幸福であった。悲しみにもかかわらずではなく、悲しさゆえに幸福であった。 ー 367ページ


追記:以下解説を読むと政治という視点できちんとこの物語を捉えることができて、有用です。読後の理解の助けとして。


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