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読書感想文が嫌いだった理由

noteに読書感想文(的なもの)を書きはじめて1年以上が経ち、今ようやくわかったことがある。ぜんぜん大した話じゃない(Twitterにはやや長すぎると思っただけである)。

子どもの頃の自分が読書感想文を嫌っていた理由は、「あらすじを書くのが嫌だったから」かもしれない。ということ。

たまに他人の書評なり感想ブログなりを読んで「自分の文章とは何かが違うなぁ……」と思っていた。で、今日、ふと気づいたのだ。自分のnoteには、読んだ本のあらすじがほとんど書かれていないということに。


そう、私はあらすじを書くのが苦手だ。

理由は、
1.書けない
2.興味がない
というシンプルな二本立てである。


まず一つ目の「書けない」について。なぜ書けないかというと、「記憶力が悪すぎてnoteを書くころにはあらすじはおろか登場人物の名前や設定のほとんどを忘れているから」という(どうしようもない)理由だ。

たとえば

「主人公の名前はリチャードだっけ?レイモンドだっけ?」
「舞台は蒲田だっけ?大崎だっけ?」

というレベル(盛ってると思われるかもしれないが、残念ながら盛っていない)。

なので、あらすじというものを書くのが苦痛で仕方ない。他人に読まれるために書くあらすじなら、すべからく正しくなければいけない。名前が間違っていたり筋が間違っていてはいけない(※筋もよく忘れる)。ゆえに、本をめくって調べながら書く必要がある。

それが嫌だ

これは私の想像だが、きちんとあらすじを書かれている方のほとんどは上記のように本をめくったり調べながら書くと思う。だから大きな声で文句は言えない。

でも、さすがに大筋や主人公は記憶しているのではないか。私は記憶していない。よく間違える。たまに無謀にも調べずに書こうとすると、だいたい間違えている(そしてあとでこっそり直す)。

これは多大なるストレスである。全然楽しくない。このnoteは誰のためでもなく自分のために書いているので、楽しくないことはやりたくない。だから、できるだけ固有名詞は書かない。


そもそもあらすじなら、私が書かなくても、Amazonのページに飛んでもらったほうが確実に正確だと思う。

これが理由の二つ目「興味がない」である。「今どきネットで全ての本のあらすじを簡単に読める時代なのに、なぜ私が書かねばならないのだろう?」と思ってしまう。

しかも、そもそも「要約する」という行為に魅力を感じないので、できればやりたくない。ビジネスで書く場合や論文なら話は別だが、なぜ本の内容をここにまとめる必要があるのだろうかと首をひねってしまう(面倒なやつだ)。

読む人のことを考えれば、要約が載っていると親切だよね。というのはわかる。わかるけれど、「どうせ書くなら誰も書いていないようなことを書きたい」と考えているから、文章としての独自性を出しづらい要約やあらすじには興味がわかない。

以上のような理由で、私はあらすじを滅多に書かない。必要なときにたまに書くが、ぶっちゃけ、ちょっと苦痛を感じながら書いている。笑

かつての幼かった私もたぶん同じだったんだ、とこの歳になってやっと気づいた。読書感想文の前半部分に「あらすじ」というコーナーを入れなければいけないことの苦痛。それが「読書感想文嫌い」のメインだった。

読書感想文を苦痛に感じていたので、作文や読書というものも当時は「嫌い」に近かった。


夏がくるとどこかからわいたように「読書感想文否定論」が流行する。毎年それを眺めていたが、私はただ嫌いだっただけで否定する論拠がないので、乗っかれなかった。

今だって、ただ嫌いだったことの理由を確認したにすぎない。しかし身をもって証明できたと思っているのは

読書感想文が嫌いでも本を読むことが好きな人間にはなれるし
読書感想文が嫌いでも文章を書くことが好きな人間にはなれる

ということだ。読書感想文との相性が悪い人種もいる。


「あらすじ嫌い」なんて人、そう多くないと思うけど、せっかくだから書いてみた。

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