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【読書】のマガジン

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2021年3月の記事一覧

私の思考を変えた三冊の本

ちょっと大げさなタイトルになってしまいましたが笑、自己紹介代わりに書いてみようと思います。 好きな本を十冊とか、好きな作家を五人とか、いろいろ考えたのですが……どれも恥ずかしくて尻込みしてしまったので方針を変えました。 これは、好きな本ベストスリーではありません。自分の(主に読書と関連する)思考の転換点となった本たちです。どれも非常に面白い本ですが、オススメするというよりは個人的な体験談です。 キーワードは ・夢 ・神と死 ・数学 です。 ■夏目漱石『夢十夜』|夢

残酷で抜け感のある童話

■ガブリエル・ガルシア=マルケス『エレンディラ』 「お祖母ちゃん」と涙声で言った。「わたし死んじゃう」(p.135) 悲惨で、時に救いようがなく、なのに美しく心を捉える短編集。 間違いなく、すべての人にお勧めできる本ではない。あまり詳しくないけれど中には「グリム童話」に近い残酷さがあるものも。表題作の『エレンディラ』──正式には『無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語』は、タイトル通りの悲惨さだった。 でも、なぜだろう……まだうまく説明できないけれど、例

出来過ぎて、美し過ぎて、なお本物の物語

■松家仁之『火山のふもとで』 「割り算の余りのようなものが残らないと、建築はつまらない。人を惹きつけたり記憶に残ったりするのは、本来的ではない部分だったりするからね。しかしその割り算の余りは、計算してできるものじゃない。出来てからしばらく経たないとわからないんだな」(P.158) 23歳、設計事務所に入所して一年目。「夏の家」と呼ばれる軽井沢の山荘で過ごした思い出を描いている。 いやはや、なんと美しいのだろう。 描写力や語彙の豊富さに感嘆するだけでなく、物語の細部が「

「結局のところ、人が本に求めるのはそれに尽きます──愉しませてくれること」

■ポール・オースター『ガラスの街』 「それが愉しみを与えてくれるものなら、人はどこまで冒瀆的言動を許すのか?答えは明白でしょう?どこまでも、です。我々がいまも『ドン・キホーテ』を読むことがそのいい証拠です。この本はいまだに我々を大いに愉しませてくれるのです。結局のところ、人が本に求めるのはそれに尽きます──愉しませてくれること」(P.183) 前回読んだ『ムーン・パレス』に続き、二冊目のオースター。私はとにかくオースターという作家に共鳴してしまった。 まずその流れるよう

その憂いは、何処に?

■ヘミングウェイ『老人と海』 読み終わって、しばらく寝かせてしまった。 何を書けばいいかわからなかった。書きたいことがたくさんあって困る──というのではなく、カフカ『変身』の読後感に近い(それにしても『変身』はよく引き合いに出されるな、と他人事のように思う)。 読み終わった後、胸にこみあげてくる何かがあった。でもそれが何かわからなかった。少し寝かせれば「何か」の輪郭がつかめる気がしたが、残念ながら、まだ掴めていない。 一般的に『老人と海』は〈生の賛歌〉や〈不屈の精神〉

「苦悩と死とが意味をもつならば、私は私の苦悩を苦しみ、私の死を死のうと思った」

■ヴィクトール・E・フランクル『死と愛──ロゴセラピー入門』 「私は私の人生が意味をもつときにのみ生きることができたのである。そしてまた苦悩と死とが意味をもつならば、私は私の苦悩を苦しみ、私の死を死のうと思った」(P.144) 今回はかなり長く、個人的な体験や考えを書いています。例によって本の内容とややズレるかもしれませんがご了承ください。 ◎ 二週間ほど前だろうか。ある人の死を知った。 その人とは面識などまったくなく、Twitterで一方的にフォローしていたのみだ

「人生にはいろいろの喜びが与えられている。しかしその最も大きな喜びの一つに僕は捕虜になった」

■武者小路実篤『愛と死』 人生にはいろいろの喜びが与えられている。しかしその最も大きな喜びの一つに僕は捕虜になった。(P.42) これほどまでにストレートに瑞々しく恋愛を描ける男性がいるものなのか。という驚きがまずある。 武者小路実篤が書く文学は、その物々しい名前とは裏腹に、とても読みやすい。もったいぶった哲学や堅苦しいお説教は抜きにして、彼はただひたすらに「恋愛」を書く。もっと言えば、「恋愛に夢中になる男心」を描く。 自分はもっと夏子と話がしていたかった。話の内容が

なぜ“難しい本”を読むのだろう

以前から気になっていたこの問いを、普段ほとんど読書をしない夫にぶつけてみた。答えが面白かったのでメモしておく。 ◎ 「“難しい本”って、どうして読む必要があるんだと思う? 例えば同じ内容を『漫画でわかる〜』的な本で読むのって、ダメなのかな?」 このことをずっと考えていた。 私自身「できるだけ原本を読みたい派」なのだが、その理由をうまく説明できずにいた。「なんとなく、そのほうがいいような気がするから」としか言えなかった。 それと最近「『読書』といってもいろいろあるよな

「今日というすさんだ一日でさえ、その愛を損なうことはできない」

■村上春樹編訳『バースデイ・ストーリーズ』 誕生日にまつわる(海外の)短編を集めたアンソロジーである。 「文学好きな彼/彼女の誕生日プレゼントにぴったりだ!」 ……と早合点されないよう、ご注意を。まずは自分で読んでください。「ん?これはプレゼントして大丈夫かな?」となるかもしれない…… 簡単に言うと、暗いのだ。誕生日なのに人を殺した、誕生日なのに事故にあった、娘の誕生日なのにケーキがない、誕生日なのに息子が帰ってこない。ざっとそんな感じ。 私が最も「!?!?」となっ

読書感想文が嫌いだった理由

noteに読書感想文(的なもの)を書きはじめて1年以上が経ち、今ようやくわかったことがある。ぜんぜん大した話じゃない(Twitterにはやや長すぎると思っただけである)。 子どもの頃の自分が読書感想文を嫌っていた理由は、「あらすじを書くのが嫌だったから」かもしれない。ということ。 たまに他人の書評なり感想ブログなりを読んで「自分の文章とは何かが違うなぁ……」と思っていた。で、今日、ふと気づいたのだ。自分のnoteには、読んだ本のあらすじがほとんど書かれていないということに