LA LA LANDは「ハッピーエンドじゃない」のか
映画『LA LA LAND』が金曜ロードショーで初めて地上波で放送されました。
これを機に、大好きなララランドの、私にとっての一番の魅力について書いてみようと思います。
私がLA LA LANDを観たのは、1年ほど前です。DVDを観終わってすぐに思ったことは、
なんで今まで観てなかったんだ!
ていうかなんで映画館に観に行かなかったんだ!!!!
ということでした。
世間で売れてるからってすぐに観るのはなんだかなぁ…と映画館に行かなかった天邪鬼な自分をこんなに後悔したことはありません。
最高の音楽(今も聴いています)、 美しい色づかい(パーティへ向かう4人のドレスのなんと目を惹くこと!)、おしゃれな構図(どこを切り取っても壁に飾りたくなるような素敵な場面ばかりです)、そしてなにより、楽しく、切実で、可愛くて、哀しく、美しい物語。
こんなの大好きに決まってるじゃん!!
これを読んでいてまだ観ていない人はすぐに回れ右して観てください。
ほら!すぐに!TSUTAYAへ急いでください!!
話はそれからです(以下ネタバレ注意!)。
さて私はすぐにララランドを観たことがないと言っていた友人に連絡をして観たほうがいい!と勧めました。
しかしそこで返ってきた言葉は「でも、ララランドってハッピーエンドじゃないんでしょ?」というものでした。
私は驚きました。
え!?ハッピーエンドじゃないの、この結末って!!
急いで検索してみると、ララランドをハッピーエンドではないと捉えている人は、思った以上にたくさんいました。
ミアとセブが最終的に結ばれないという点が、その最も大きな理由のようでした。
恋愛をテーマにしている(と思われる)映画において2人が結ばれないことはバッドエンドを意味するというのはわかります。
でも私は、そうは思わなかった。
私がこの映画で最も素敵だと思ったのは、主人公の2人が「私たちは映画の主人公じゃない」「これは現実の物語だ」と言っているように感じられたところです。
ララランドのあらすじを途中まで書くと次のようになります。
夢を追う男女が出会い、惹かれ合う。一緒に夢を叶えようと頑張るが、だんだん思った通りに行かないことに腹を立てたり、現実的なことを考えてしまったりして関係がうまくいかなくなる。
こう書いてみると、このストーリーがとてもありきたりなものであることがわかってきます。
「映画のストーリーとして」ではありません。「現実に」とてもよくある話になっている。
映画の舞台となったL.A.には映画俳優やアーティストを目指すたくさんの人がいます。
「LA LA LAND」というタイトルは、このような夢を追う人々が集まるL.A.の街を示した、元々ある言葉からとったそうです。
成功を夢見る若者たちの街。
夢見がちで現実を見ていない、ふわふわした人ばかりの街だという皮肉も含んだ言葉です。
オープニングのシーンでは、渋滞中の高速道路で人々が歌い、踊っています。
一見主人公を思わせるような目立つ黄色のワンピースを着た女の子が何人も登場して、「夢を追って地元を飛び出してきた」というような歌を歌う。
このL.A.という街にはそういう人たちが溢れかえっている、物語の本当の主人公であるミアも(そしてセブも)その一人だということを示しているように思われます。
物語のなかで、二人の出会いのシーンではミアもセブも不機嫌で、お互いにいい印象を持ちません。でも何度か会ううちに、二人は惹かれあっていきます。
有名な夕暮れの中でのタップの場面では、わざとタップシューズに履き替える描写があります。
これも、この話は「現実」なんだと思わせられるシーンです。
恋に落ちたミアとセブはまるで夢の中にいるかのように幸せな日々を過ごします。
そしてだんだん、うまくいかなくなる。
両親に経済的なことを尋ねられる電話、夢なんて追っている場合じゃないのではないかという気持ち、儲かっていてもやりたくないとわかっている仕事を素直に応援できない…
結果的に二人は別れ、それぞれに夢をかなえます。
そして5年後、再会してセブの弾くピアノの曲が流れた途端、美しい映像が浮かび上がります。
出会ってすぐに恋に落ちる二人、周囲からも祝福され、なんの問題もなくトントン拍子に二人一緒に夢を叶える……
私には、この短い映像こそが「映画」のように思えます。
もし彼女たちが「あの有名な映画の登場人物なら」こんな風に美しく、華々しい物語になっただろう。そして二人で夢を叶えるという結末を迎えただろう、というメッセージに思えるのです。
そしてこの映像を見た私は、巻き戻し的に実際のストーリーはどうだったかを思い返してみます。
現実はそうじゃなかった。出会ってすぐに恋には落ちないし、二人はうまくいかなかったし、夢をかなえるのは簡単ではなかった。
やはりこの映画は悲しい物語だったのか、ハッピーエンドではなかったのか、と思う。
しかし、そこで思い出すのです。
彼女たちの物語がどんなに美しかったかということを。
今夜夢が叶うかもしれない、と思って出かけるパーティには信じられないほどわくわくした。
あの夕暮れの丘から見える空の光、そこで踊る彼女たちのシルエット。
レストランのスピーカーからセブのピアノが聴こえて走り出すミアのときめき。
夜のプラネタリウムの吸い込まれるように美しい星空。
彼のクラクションの音が楽しいことを知らせる合図になったこと。
二人でピアノを弾きながら夢を語った夜はこれまでにないほど心地よかったこと。
映画を見ている私たちもそれをよく知っているはずです。
だからこんなにもたくさんの人がこの映画に魅了されてきた。
そして私は、これこそがこの映画のメッセージではないかと思うのです。
現実は物語のようにうまくはいかない。
全員が夢をかなえるわけじゃないし、夢のために犠牲にするものもある。だけど、夢を見ていたとき、恋をしていたときの、あの美しさは間違いなく本物だった。そしてその美しさにこそ価値があり、人々を惹きつけるのだということ。
だから、ミアがオーディションで語ったことは"Here's to the ones who dream(夢追い人に乾杯を)"なんです。
狂っているように見えても、馬鹿げているように見えても、その少しの狂気が明日に新たな色を現す。
そして新たな夢が生まれる。
そこにはたしかに讃えるべき美しさがある。
ララランドはたしかに、全編ずっとハッピーな物語ではないかもしれない。
でも、だからこそ、現実を描いているからこそ、こんなに美しいのだと私は思います。
だからこの物語を、私はハッピーエンドだと思うのです。
(初めて観た時に好きなところをまとめたノート)
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