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小説・ちんちん短歌 第二話『短歌ブーム』

 https://note.com/tintintanka/n/n8218bd471dc6

「公孫」という姓が示す通り、建はヤマトの人間ではなかった。
 生まれは百済だが、その出自を手繰れば、燕王・公孫淵の子孫であった。とはいえ、史書にも示す通り、公孫淵は大した人物ではなかった。王を自称するも戦に敗れ、その子孫は帯方を頼り、そのまま高句麗でぐずくずしたまま、王の子孫ってことでなんとなく貴族の振る舞いをしていた。そのうちに百済へと使いの仕事をしたつもりが、百済に居つき、そうこうしているうちにヤマトが韓土に干渉し百済の残党ともがもがいろいろしているうちに、公孫の一族は戦いも逃げもせず何もしてない内に捕虜みたいな感じになった。建が九歳のころの話である。

 こうして建はヤマトの生口、つまり奴隷となったのだが、一応、百済で貴族をやっており、一通りの漢文の素養があった。それを、ヤマトの中で軍事権力ナンバー2であり執金吾の大伴家持が面白がった。
 家持は建の身を預かると、当時家持の任地であった春日にて井戸守の役職が開いていた。そこで「春日の井戸の守(かすがのいどのもり)」の職姓を与え、「春日井建」を名乗れ、って事にしたのだが、建は適当に流した。

 建は容姿もよく、機転が利き、記憶力がよかった。背も大きい。武官にしても勇敢だろうと剣を学ばせてみたが、これが全くだめだった。家持はそこで、祐筆として建を置くことにした。運動不足で全体的に太っている家持の横に、精悍な建が侍る。祐筆と言っても、何か書かせるわけではない。記憶力のいい建に、「短歌」を記憶させたのだった。

 それは、短歌奴隷だった。

「千の短歌を覚え、吾の横に侍れよし。一生なぁー」
 家持は、さらさら髪の建の頭を撫でる。家持の手はしわしわで、その皺が建のおでこに触れると、ガサってなるなあと、建は思った。

 短歌とは、当時ヤマトで流行していたサブカルジャンルの一つであり、ヤマト語を、57577の音のリズムに整えたのち、口にする、という、コミュニケーション型ギャグのことだ。

 かつては、単にこの31音のリズムに合わせてヤマト語を適当に当てはめ、音感のいい人がそれを口ずさむにすぎない遊びだった。単なる、リズムギャグのはずだった。笑いだった。しょせん、祭囃子だった。それを口にすると、みんなで笑って、おもわず体が動き、へらへらしているうちに、それは舞になっていった。
 短歌とは、本来、舞いながら発表されるものだ。
 つまりは、アクション付きのリズムギャグである。

 しかしそこに、私的な感情を乗せて歌い踊る奴が現れた。
「吾の今思ってることを、リズムギャグの中に落とし込んで、祭りのノリとして、みんなと共有してもいいんだ」という事にヤマトの民たちが気づくと、短歌は一気に流行した。

 民だけではない。本来、物を想う事を禁じられているはずの奴隷や、防人といった軍人、さらには貴族や渡来人、ミカドや、建国の神々まで、「私的感情」があることを「短歌」にして他の人に共有してもらう事を楽しんでしまった。
 それを聴く観客もまた、他の人の「私的感情」を味わうのが楽しく、それを聴いたら自分も作ってみたくなり、作ったものは即興的に発表される。それに触発された者が、また新たな短歌を作る……と、まるで感染症のように、ブームとして広がってゆく。

 このように、ヤマトでは「短歌ブーム」が発生していたのだった。

 大伴家持もまた、このブームに乗り、短歌が好きだった。
 好き、どころではない。一族が罪を得て連座し、その財産を没収され謹慎していたときも、歌を作り、慰めとしていた。
 市井の歌の収録にも積極的に励んでいた。数十名の記憶力のいい奴隷を組織させ、各地の短歌を蒐集させ保存し、またいつでも再生できるよう命じていた。
 奴隷を、武官にするでもなく小作農にするでもなく、ただ娯楽のために雇い、組織的に調査、保存するというのは、当時貴族の間でも異様な事であった。家持の政敵に、何か政治的な意図があってそうした奴隷を組織していたのではないかとミカドに告げ口され、実際反逆を疑われた事もあった。

 だが、本当に、シンプルに、家持は短歌が好きだったのだ。

 建は先輩奴隷にヤマト語を習いつつ、成長していく。次第に短歌奴隷の中で頭角を示し、ただ暗記するだけでなく、それを歌舞として表出するのにも、建は秀でていた。
 家持は、それを気に入ったのか、一族の者でもめったに立ち入らせない私邸に、建をたびたび呼び立て、新たに覚えた短歌を舞わせていた。

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 あるとき、家持は文机に「紙」を広げ、墨書きの準備をしていた。
 建は、家持の広げたその「紙」が異様だと察した。
 あまりに白い。そして、薄すぎる。
「紙を見るのは初めてか、建」
「いえ、もちろん百済に居た頃、見たことがあります。しかし、これほどの白さは……」
 家持はふふふと笑う。
「最新の「紙」を手に入れたんだよ。「エチ紙」っていってさ。これ……これぇ……、スペック高くてさァ。紙高、わずか二五六模糊(もこ)!ホワイトノードは一二八〇恒河沙(こうがしゃ)という清さよ! この清さは虫を寄せ付けず、水をも弾くってな。墨書きを一〇〇〇年残すことができようもん、うっふふー」

 千年、と主人が口にするのに、思わず「嘘やん」と建は思った。

 家持はなおも早口で、当時最新の記録メディアである「エチ(越)紙」(越前和紙)について褒めたたえる。「越」は家持の任地であった場所でもある。

「これにな。お前に覚えさせた歌を記録してみようとおもってなぁ」

 家持はニコニコ笑って、その紙をひらひらさせる。
 歌を――記録する? 「紙」に?

 建は、いよいよ主人の頭がおかしくなったと思った。

(続く)

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