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短歌において、歌集にしてしまうと「センター」や「運営の推し」っぽいものが出来てしまうんじゃないかちんちん

 こんにちは。わたしはちんちんなので、ちんちん短歌を作っているのですが、最近、歌集(短歌作品集)を読むようになりました。
 短歌ももちろん読んでるけど、その見せ方、掲載の仕方というか、レイアウトも特に気になって見ている。

 だいたいは1ページにだいたい3首(短歌の単位は「首」)くらいなんだけど、全集とか、全短歌集になると一ページにあたり20首くらい、上下組になってるのもあったりして。

 少し気になったのは、ある歌集が「1ページ1首」で組まれていたんだけど、不意に「2ページ見開きで1首」になるページがあった。
 まるで、特別扱いというか。スター感というか……。

「これは……運営に推されている短歌か?」と、ふと、商業グループアイドルで行われているような、運営ひいきを思ってしまった。

 また、短歌評論の本も読むようになって知ったが、「巻頭歌」という呼ばれ方をする短歌もあるそうだ。つまり、その歌集の一番先頭に置かれる短歌……これ……センターじゃん! 短歌にもセンター争いがあるわけじゃないかよ!
 そのセンターさんになった短歌が、その歌集の方向性とか、批評を引き受けていたりする。うわー。フォメーションだあ……。

 あれだよなあ、歌集の中でも章立てというものがよくされていて、その表題の言葉が使われている短歌が「エース」とかだったりするのかなあ。

 そういうの……フラットに、平等にするわけにはいかないか。と思いつつも、でもそうだよな、歌集というフォーマットで短歌を出す以上、それは集団になってしまうんだものな。

 歌集になってしまったら一首一首、読まれるわけではない。またセンターとか、構成上目立たない場所とか出てきてしまう。
 そう考えると、本という形態以外で、短歌を――私だったら、最近2000首に到達した「ちんちん短歌」を、なにか発表・表現することはできないものかなあ。

 そもそも、短歌、詩歌って、元は声であり、リズムであって歌なんだから、何かに固定化する方がおかしいという考え方だってある。

 なんか、方法はないのかなあ。

 「ひいき」「運営の推し」「センター」という見られ方から、短歌たちを自由にできないものかなあ。
 単独のアイドルでは商業流通がもはや無理なのか。短歌のグループアイドル化。
 短歌って、束にならないと、売れないのか。見てもらえないものか。

 そんなはずはなかったと思うんだよなあ。

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