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砥石と碁石

仕事柄、様々な職業の人と会う。経営者、スナックのママ、OL、高校生、日雇い労働者。職業や年齢、収入に関係なく様々な人が日々来店する。その日、来店したのは30代男性。柔らかい雰囲気を持つ人だった。彼はギターを弾くことを話し、たまにYouTubeに動画を投稿していると楽しそうに言った。

彼に本業を聞くと「清掃業」と答えた。

この地方都市では、高齢化が進み、いわゆる遺品整理といった業種の仕事がたくさんある。高齢化が進むエリアであるほど、お客さんはたくさんいる業種だ。築年数40年、50年をこえた建物を取り壊す前にまずは、家の中にある荷物を始末しなくてはいけない。

清掃業者は、仏壇処分・お焚き上げなどをオプションにして個人でやっているようなところから、市のごみ収集を行っているような会社まである。どこの会社が行っても、大量のゴミがそれぞれの家庭から排出される。

引き上げた思い出の品々は、結局は「ゴミ」として処理される。高かった家具はすべて壊され、高かった着物は燃やされるのだ。来店した彼は、会社の許しを得て引き上げた「ゴミ」の中から売れるものを探し、ネットオークションで日々売っているらしい。そして、その収益は、なんと毎月もらう給料よりも多いと笑って話した。

多分同じ会社に勤める疲れた40代や50代は、給料が少ないと不満を漏らしながら、身分不相応なのに買ってしまった住宅のローン、育児にかかるコストに疲弊しているだけだろう。

ところが柔らかい雰囲気を持つギタリストは、ゴミをお金に変えている。しかも毎月、お給料よりも多いお金を副業で得ている。

いわゆる金目のもの、電化製品や高級時計、宝石のようなもの。そういうものを売っているのだと思った。誰もが売れると確信するようなものを。興味本位で「何が良く売れるんですか?」と聞いた。意外な答えが返ってきた。

答えは、「砥石」と「碁石」だという。

昭和の時代を生きた老人の家には、絶対にあるだろう「砥石」と「碁石」

はっとした気づきがあった。一軒片付ければ、必ず出てくるだろう。腐らず、劣化もしない。そして、誰も金目のものだとは思わない。欲しがらないようなもの。

そして驚くべきことにこれらは、「すぐに売れる」そうだ。彼のセカンドビジネスの凄いところは、

  • 本業とレイヤーしている領域で

  • 仕入れなどの元手が一切かからない

  • 普通の人は見向きもしないモノ

  • 買いたいと思う人が存在して、換金性が高い

といったところだと思う。勤めている会社の経営者がゴミのネット転売を事業としてやろうと思わない限り、彼が稼げる状態はひたすら続く。何年も。

一万円札には、支払った人の名前が書いているわけではない。そのお金を生み出した場所が記録されるわけでも、何をして得たお金なのか記録されているわけでもない。

仕事で嫌なことがあるといつも思う。

「誰がくれても一万円は一万円」

呪文のようにこの言葉を唱えて20年以上働いてきている。

ゴミを換金した一万円もサラリーマンとして手にした一万円も同じ価値だ。別にどこで稼いでも、何の仕事で稼いでもそのお金の用途が決まるわけではないのだ。東京で稼いで北海道で使ってもいい。北海道で稼いで沖縄で使ってもいい。用途が決まっているわけでもない。

その日彼は、5万円ほどの買い物を迷わずしていった。即決で。ゴミだった砥石と碁石が化けた一万円札を財布から出して。

同じ日、1980年代から続く父親の事業を継承した経営者とも会った。(どうでもいい話だが彼は待ち合わせに遅れた。二代目で時間を守るヤツに会ったことがない)50代男性。彼は、3万円ほどの提案を即決出来なかった。「一か月考える」と僕に言った。要するに金がないのだ。典型的な二代目社長。典型的な事業不振。

皮肉にも3万円を即決出来なかった社長の事業は、フランチャイズの清掃業である。クイックルワイパーみたいな使い捨ての掃除用具が溢れるこの時代に月決めで清掃用品をレンタルする会社。誰もが20年前に事業不振になることくらい予測が出来たはずだ。

「御社にとっての砥石と碁石は何ですか?」

これを見つけられるかどうかで食っていけるかは決まる。経営者としての能力もそこに出る。

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