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ずいぶん頼りない、けれど間違いなく希望-ドラマ『エルピスー希望、あるいは災い-』

カンテレ放送のドラマ『エルピスー希望、あるいは災いー』が最終回を迎えた。冤罪と報道を題材にした作品ということで、関連ワードを聞いただけでもヒリヒリした気持ちになり、放送前から期待値が相当に高かったのだけれど、全話視聴してからの感想は、「期待以上!よいドラマ」だった。

題材の厚み、登場人物それぞれの役割の緻密さ、映像の美しさ、俳優陣の演技、エンディングのしかけ……。すべてに無駄がなかった。社会のタブーに触れている緊張感と真っ暗な現実を目の前にした絶望感で、どちらかというと災いの方を強く感じる場面が多かったが、ラストは、とても頼りないけれどまごうことなき希望を感じられる作品だったと思う。

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このドラマに多くの人が心を掴まれた理由は、制作陣の覚悟を強く感じさせたれるストーリー展開になっていたからだと思う。インタビュー記事でも度々語られているが、プロデューサーの佐野亜裕美さんは、会社に受け入れられなかったこのドラマ企画を抱えたまま、TBSを退社。絶対に形にしたいと移籍したカンテレでついに地上波放送までこぎつけている。その間、なんと6年。

脚本家である渡辺あやさんのインタビュー記事を読むと、彼女からみた佐野 亜裕美さんのドラマに対する熱量を感じることが出来る。

マスメディアの報道における闇も希望も、赤裸々に描きすぎているこの企画を民放ドラマで実現させることの難しさは、異なる世界で働く自分でも想像が付く。

私も同じ「仕事をして生きている」ひとりの人として、こんなにも長い時間諦めず信念を持ち続けて何かを完成させることができるだろうか…。少し、自信がない。自信がないからこそ、まるで佐野亜裕美さん、渡辺あやさんをはじめとした制作陣の信念がそのまま反映されたような登場人物たちの行動ひとつひとつに憧れを抱いたのだと思う。

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最も真っすぐに事件を追い続けていたのは、実は恵那(長澤まさみ)よりも拓朗(眞栄田郷敦)の方だったように思う。フライデーボンボンでの恵那の暴挙(あえてここでは暴挙という)にじわじわと触発される形ではあったが、最終的に拓朗はこれまで誰も掴み得なかった真実に辿り着く。組織や政治権力からの暴力・理不尽・抑圧に何度も負け、そのたびに食事の仕方を忘れ髭をぼさぼさに伸ばしながらも報道の機会を狙い続ける彼の心にあるのは「ただひとりの人間としてまともに生きたい」という願いだけなのだろう。とても単純で、本来ならば誰しもが同じことを思っている。

でも、大人の私たちはもうとっくに知っている。社会の中でまともに正しく生き続けることが、どれだけ難しいか。会社は組織であり忖度の上に成り立っているし、その会社もさらに大きな権力の下事業を行っている。正しいか否かではなく、いかにハレーションを起こさずにいれるかが重要視されることも少なくない。正しいことが本当に正しいことなのか、立場が違えば善悪も違う。それを知っている大人として、だからこそ恵那や拓朗がギリギリで成した冤罪報道に信念と希望を感じたのだ。

最終回の「正しいことは諦めて、代わりに夢を見よう」というセリフは、ずいぶんと頼りない言葉だなと思った。同時に、頼りなさの中に確かな希望を感じる言葉だなとも思えた。社会に生きる私たちは、実は正しくまっとうに生きる夢を見る権利を持っている。あとは、自分が夢を見続けられるかどうかなのだ。

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最終回直前までは「これ、終われる!?何も解決してないけど…」と思うほど絶望的状況だったが、とても良い最終回だった。社会や組織の暴力性と、報道への自己批判も含めて描かれた挑戦的な作品としても、話題になったのも頷ける。

未視聴の方にも、是非、年末年始の休暇中に一気見してほしい。

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おまけ

斎藤さん(鈴木亮平)がかっこよすぎて鼻血ものだった。

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