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記憶のない1年がある。

長男が1歳半の時、長女を年子で出産した。
その後、長女が1歳になるまでの1年間の記憶がほとんどない。

大変すぎて、もう、ほんとに大変すぎて、
ごっそり抜け落ちているのだ。

夜中、長女が授乳で泣けば、その声で長男が起きて泣く。
長男が夜泣きで泣けば、その声で長女が起きて泣く。
ぐっすり眠るということがない1年だった。

平日の昼間、1人で年子の2人をどうみていたのだろう。

長女がはじめて歩き始めた時、「ママ」と呼んだとき、
そんな感動的なワンシーンを全然思い出せない。

長女が産まれてまだ2カ月の頃、
東日本大震災が起こったことも、大変だった理由の1つだったと思う。

オムツは売り切れるし、公園では遊ばせることはできなくなった。
長女を抱っこし、1歳半の長男の手をひいて、スーパーに並んだ。
やっと入れたスーパーでは、みんなが走って、棚から商品をかごに入れていた。子供の手を引いている自分はとても走れない。
パンを買えなかった私に、「これどうぞ」と、自分のパンを譲ってくれた老人には今でも感謝している。

子育ての大変さを書けば、きりがないだろう。


客観的には同じシチュエーションに見えても、

抱える事情が個々に違うのだから、大変さも辛さも、みんなそれぞれ違う。
双子を産んだ友達は「年子のほうが大変だよ」と言い、
私は「双子のほうが大変でしょ」と言う。

大変さは同じにはなり得ない。
100%の理解は不可能だ。

でも、自分の経験をもとに、想像することはできる。
つきはなすのではなく、寄りそう方向で。

今回のwithコロナ生活で、つくづく思った。

自分以外の人に対して、いろんな角度で想像力を働かせたい。
それが現実と違っても、優しくなれるならいいんじゃないか。
それが今、私にできること。

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