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ミナミ書店の思い出

ひばり三昧の幼少期

私は一九七十年に生まれた。
経済成長の時代であり、昨今とは
まるで様子が違う。
良きに附け悪しきに附け、万事が
パワーに溢れていたのだ。
其れを端的に表しているのが「ひ
ばりコミックス」という名の怪奇
漫画。
私は幼稚園の頃、ひばりを耽読し
過ごしていた。

地元の新刊書店

此処迄は既に幾度か語っている。
過去ログを参照されたし。

今回は、ひばりを買う為に足繁く
通った本屋の話題。

当時、或る町の住宅街に住んでい
た。
最寄り駅から徒歩十分程度の場所
の「東洋マンション」と呼ばれる
集合住宅三階。
近所に「南書店」があった。
記憶が定かでないが、商店街の内
の一軒である。
店舗は一戸建ての筈で、一階が書
店二階居住部分の可能性もある。
此処に文字通り日参したのだ。

いすゞ(鈴木)書店

近くにはもう一軒新刊本の店があ
った。
駅前の、いすゞ(鈴木)書店。
看板の表記其の儘に。
此方には余り立ち寄らなかった、
と覚えている。

通称ミナミ

南書店の事を私は、ミナミと呼び
慣わしていた。
ご主人はミナミのおじさん。
実際にも四十代であったと想像さ
れるが、仮に二代目で父親より家
業を受け継いだのならば三十代前
半も有り得る。
印象としては、若々しかったから
だ。

店構えは平凡

当たり前の話しだが、店其のもの
は何処にでもある本屋だった。
内装の記憶は薄い。
単にひばりを扱っていたから異常
なイメージが附いたので、実態は
極くごく普通の書店。

但し、ひばりコミックスが棚の端
から端迄二三列を埋め尽くせば異
様な雰囲気ともなる。
其の見た目だけ、目に焼き附いて
いる。

思えば当時は皆、似たり寄ったり
だった。
ひばりが存在するが為の異空間。
日常の中の非日常。

立ち読みを許容

祖母に連れられミナミに日参。
ほぼ一日一冊のペースで購入。
今から考えれば私は上客、常連優
遇されていた。
ミナミのおじさんは、立ち読みを
許容して呉れたのだ。
「坊やは何時も買ってるからね」
と言って。

漠然とだが、おじさんは人間的な
意味で私に興味があったともいえ
る。
まあひばりの想定顧客層は、小学
校高学年から中学生。
幼稚園児は珍しいだろう。
好意は損得のみではなく、奇妙な
友情の発露。
未だ、勝手に思っている。

印刷を知る

其の頃から私は、異常に本が好き
だった。
というか周りは其う見ていた。
年齢に比しての事ではあろう。
長じて、自分と同種の人間が世界
には存在すると知る。
マニアと呼ばれる。
だがまだ先の話しだ。

当時、ひとつの疑問を抱いて母に
訊いた。
「どうして同じ本がたくさんある
の?」
と。
母は答えた。
「あれは、印刷というのだよ」
更に尋ねる。
「ぼくの書いた本も『印刷』して
もらえるかなあ」
母は応じる。
「そうなる様に頑張りなさい」

結果としては印刷の段をすっ飛ば
し、デジタルに突入した現在。
一体誰が、此の未来を想像し得た
だろうか!?

〈了〉

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