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スウェーデンへ ある大学生との出会い

スウェーデン・ヨーテボリ到着 

 スウェーデン西部の街ヨーテボリ(ゴーゼンバーグ)の中央駅に降り立った時、ノルウェーから国が変わったという感覚はなかった。列車の内陸移動のせいか、車両内での入国審査もやけにスムーズだったからだろうか。

 僕はここから列車を乗り継ぎ、今日はそのままストックホルムまで行こうかと考えていた。実際、僕はストックホルムへ向かった。ただ、その乗り継ぎの間にちょっとした珍事が起こった。

 ホーム近くの売店の中をウロウロしていたら、狭い通路の向こうから若い青年が歩いてくる。すれ違いざま、どうやら僕は「すみません」という便利な日本語を発していたらしい。(正直、そんな覚えはないのだが)
  
「あっ、今すみませんって言った!日本人だね?」
 
 と、いきなりその青年が話しかけてきた。スウェーデン語でもなく英語でもなく、日本語である。一瞬、拍子抜けしてしまった。

 赤い太淵メガネをかけ、ニット帽をかぶり、その後ろから長い金髪がサラッと流れ出ている。10月下旬にしてすでに首にマフラーをオシャレに巻きつけている。いかにも北欧の青年と思わせる格好をしているのだ。

 青年は、ジミーといって地元ヨーテボリ大学に通う学生だった。時々、彼の言葉の語尾が「やねん」と関西訛りになった。聞けば、以前京都の大学に交換留学していたらしい。その時、方言もそのまま一緒に習得したのだろう。親戚の多くが大阪弁を話す僕にとって、彼の「京都弁」は親しみを感じた。

 「もし近いうちヨーテボリにまた来るなら色々案内してあげるで」

さらに言う。

 「僕のアパートでよければ好きなだけ居ていいよ」

 この日、ジミーは「森ばっかりやねん」という祖母の家にちょうど行くところであった。我々は、連絡先を交換した。
 
「あっ、そろそろ行かへんと。またヨーテボリ遊びに来て!じゃあスウェーデン楽しんで!」
 
 そう言い放つと、彼はホームの方へ走り去って行った。

ヨーテボリでジミーに再会

 僕はストックホルムに向かい、そこで数日滞在した。実は、ここでもまた不思議な事が起こったのだが、それは後々また書きたい。

 結局、僕はヨーテボリにまた戻ってきた後、すっかりジミーのお世話になっていた。こんな時、日本であらかじめ購入していたユーレイルパスは便利である。有効な路線であれば、期間中乗り放題だからだ。

 ジミーは、2LDKのアパートにルームメイトと2人で暮らしていた。所謂、ルームシェアだ。そのルームメイトも、最初に家で会ったとき歓迎してくれた。

 数日間、ジミーは僕を色々ともてなしてくれた。

 「昔、食べ物があまりなかったから、僕のおばあちゃんがよく食べていた」

 と、言いながら伝統料理であるミルク粥を家で作ってくれた。それはまさに牛乳と米を使った素朴な料理だ。だから、味も想像通りの素朴なものだった。

 それより、彼の口から「おばあちゃん」という言葉を度々聞いた時、僕はそれだけで何だか安心感を覚えた。思えば駅で最初に出会った時も、「おばあちゃん」の家に行くところだと言っていった。きっと、おばあちゃんとの交流も多く、当時の話を直接聞く機会があるのだろう。

 今でこそ、世界で日本やスウェーデンといえば豊かな国であり紛れもない先進国である。だが、ある日突然豊かになったわけではない。昔は、どこの国も多くの人が質素な生活を送っていたのだ。

 ジミーは、行きつけのレストランにも連れて行ってくれた。そこは、ベジタリアン・レストランだった。カウンター席に座ったが、男女問わずお店は賑わっていた。料理を注文した後、ジミーは言った。

 「僕は、ベジタリアン(菜食主義者)なのだ」

 スウェーデンでは、自分のようなベジタリアンは決して珍しいことではないという。もっとも、肉以外にも牛乳や卵も食べない‟ビーガン‟(完全菜食主義者)もいるらしい。レストランで料理を食べている最中、「動物を食べるのは、なんだか心が痛い」と、ジミーは悲しげに話していた。

 僕は、ベジタリアンの彼が抱くそうした感情に一つの理解を示しながらも、すべてに共感することはできなかった。だが、そんなことよりジミーがこうして僕をもてなしてくれていること自体が嬉しかった。ジミーは、数年前にスウェーデン北部を列車で貧乏旅行をしたことがあるらしい。その時に現地の人たちに色々と助けてもらったから、僕も同じようなことをしたいのだと彼は言っていた。

多趣味で強靭なジミー

 ジミーは、色んなことに興味を持っている人間だった。少なくとも、僕にとっては。本物のベジタリアンに出会ったのもこの時が初めてだったが、それ以外にも彼には興味深い一面がたくさんあった。

 まず毎朝の日課として、座禅を組んでいる。(時々、サボると言っていたが) 彼は京都に滞在中、お寺の座禅会にも顔を出していたという。早朝、僕が布団の中でふと目を開けた時、彼は部屋の片隅で静かに座禅を組んでいた。頭がスッキリするのだ、と彼は言っていた。

 京都に交換留学していたくらいだから、さすがに日本語の勉強にも熱心だ。「漢字むずかしいね」と嘆きながらも、日本語で書かれた著名な小説を黙々と読んでいたし、読めない漢字があれば僕に聞いてきた。(こちらはヒヤヒヤしたものだ)

 ダンスもやるらしい。どんなダンスをするのか?と聞けば、これだよ、と自身が踊っている動画を見せてくれた。何やら十数人が集まって輪になっている中で、音楽に合わせながら宙に飛んだり回転したりしながら踊っている。これは「カポエイラ(カポエラ)」だと教えてくれた。カポエイラは、音楽に合わせ格闘技の動きも加えたブラジルに古くから伝わるダンスだとか。「これが楽しくてね」と、動画を眺めながら嬉しそうに言った。

 またジミーは、これからヨーロッパを旅するなら寒くなるだろうと、クローゼットの中をあさり始め、使っていないニット帽などを僕にくれたのだ。そのクローゼットの中から、女性用の金髪ロン毛ウィッグもでてきた。白髪ふわふわウィッグもでてきた。まさかそっち系なのか、と僕は疑い始める。

 「あー、これ懐かしいな。よくクラブとかパーティがある時にこれ被って踊ってた。これもあげようか?」

 僕は、それだけは丁重に断ったが、代わりにそれを被ってもらった。もはや、早朝に座禅を組んでいる青年とは思えまい。ジミーは若者が集う音楽イベントとかダンスパーティなどにも友達と遊びに行くらしい。

 もてなし上手であり、ジェントルマンであり、多趣味であり、そして何よりも日本を愛して止まないジミーだったが、たった一つだけ日本滞在中の不満を僕に嘆いた。

 「どうして日本のラブホテルには、コンドームが2個しか置いていないんだい?あれじゃ全然足りないよ!」


※この旅行記は、2006年の自身の世界旅行を振り返りながら書いています。

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