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朝霧高原で受けた一人旅の洗礼

早朝、テントから顔を出すと森の中は深い霧で覆われていた。

人生初ソロキャンプの夜、テント内のひどい湿気と”屋根”に打ち当たる雨の音が気になってほとんど眠れなかった。

それでも、”我が家”はよく耐えてくれた。

キャンプ場を出発するとすぐ、僕は超低速で走らざるを得なかった。あまりに霧が深いために視界が悪く、前方が数メートル先しか見えなかったからだ。

自分が今どの辺を走っているかもよく分からなかった。

ようやくたどり着いたガソリンスタンドのおっちゃんに、霧が凄くてここまで来るのが大変だったと言うと、少し表情を緩ませてもっともなセリフを言った。

「ここは地名の如くだよ」

そう言われてみれば確かにそうだ、と思った。

「朝霧高原」という地名の場所にいながらも、僕は地名と関連付けてまで深く考えていなかった。

考えてみると、日本各地の地名には必ず由来がある。

僕の場合は何も知らずにその土地に行ってしまうことが多いが、地名の由来を知った上でその土地を旅するのもまた面白いかもしれない。

朝霧高原は、自然をイメージさせるものだからシンプルでわかりやすい。

例えば、北海道にはアイヌ民族の言葉が由来になっている地名が多い。どうして「札幌」や「釧路」なのかと調べたりするだけでも楽しい。


 
朝方、深い霧に覆われていた朝霧高原も時間が経つにつれて青空が広がり、すっかり霧も晴れた。

富士山の西側を走る国道139号を本栖湖方面に北上しながら、右手に富士山が眺められたのはラッキーだった。

富士山は眺める場所によって本当に景観が変わるものだが、長閑な高原や牧場と一緒に眺める富士山もまたいい。

この富士山の西側一帯には牧場が数多く散在している。

山中湖や御殿場市といった人口が多い東側一帯とはまた違う雰囲気がある。西側一帯は夏でも穏やかで涼しく、避暑地として人間だけでなく、牛たちにとっても過ごしやすい。

本栖湖から本栖みちをさらに西へ、富士川方向へ向かっていく。僕はすっかり上機嫌でバイクを走らせていた。

旅に出ると素晴らしいものに出会えるが、それも決して楽しいことばかりだけではない。

緑に包まれた山の中の道路をのんびりと走っていた時だ。

ミラー越しに、何か煙のようなもの上がっているのがうっすら見えた。それだけではなかった。何だか、ビニールが焦げた臭いを同時に感じたのだ。

僕は不安になり、道路の脇にバイクを止めた。

荷物をどっさり積んでいた後部シートを確認すると、荷物の一部が焼け焦げているではないか。
 
よく見れば、荷物の重みで押し潰されていたテールランプのケーブルハーネスが熱を持って溶けていたのだ。

これは不覚だった。
しかし、早く気が付いて良かった。

このまま後方で上がっている煙にも臭いにも気が付かず走り続けていたら...

やがて僕の荷物全体に火の手があがり、僕の身体に燃え移った可能性だってなかったわけではない。

純正のテールランプを汎用の小さなテールにカスタムしていたのだが、配線の保護にもっと気を配るべきだった。

焼け焦げたとはいえ、被害の範囲は狭かったので、荷物はなんてことはなかったが、このせいでテールランプが一切点灯しなくなってしまった。もちろん、ブレーキランプも。

幸い、バイクが走れなくなるほどのトラブルにならず良かったが、せっかくの長距離ツーリングの最中にこれ以上のトラブルは避けたい。

僕は、焦げた部分をビニールテープで応急処置をして再びバイクを走らせた。

この旅では一週間以上かけて四国の徳島まで行き、フェリーに乗って東京へ戻ってくる予定だった。

この日は、まだ旅を始めてからまだ2日目だった。

前夜は突然の雨の中でテント設営に苦戦し、朝を迎えると霧で先が見えない。晴れ間が差して富士山もばっちり見れてラッキーと思うと、突然相棒が煙を上げて負傷した。

当時、僕はまだ二十歳。

今思うと、一人旅という大人になるための洗礼を受けていたようなものなのかもしれない。

僕の人生初の一人旅は、まだ始まったばかりだった。

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