江の島チャリ旅1
1999年8月。もう今から20年前の話だ。
もうすぐ夏休みが終わる頃、僕はコウタローという友達に声を掛けた。
「チャリで江の島に行かないか?」
彼は二つ返事で承諾してくれた。(今では絶対承諾しないだろう)
社会の授業中、地図帳をぼんやり見ていたら、自分の家の近くにある境川を下れば江の島に辿り着くということを知った。そして、すぐさま行きたい!という衝動に駆られたのだ。
旅の出発地点は、大和市と町田市をつなぐ鶴間橋。ここは町田市側から下鶴間トンネルを抜けると国道16号にぶつかる道で、今でも交通量は割と多い。
天気は良好。朝から日差しが強く、互いに半袖シャツと短パン。ここからは単純、とにかく境川沿いをひたすら走って行くだけだ。
江の島へ行くというのに、僕の持ち物は使い捨てカメラ一つだけ。僕にとって、片瀬海岸で海水浴をすることが目的ではなく、純粋に江の島へ行きたかったのだ。
コウタローは、自転車のかごに海パンをしっかり入れていた。「えっ、真夏にわざわざチャリで海行って海に入らないの?」と言わんばかりだった。出発記念に写真を撮り、僕たちは江の島へ向けて走り始めた。
鶴間橋から20分ほど、境川は横浜市と大和市の境を流れるようになる。
「瀬谷は恐い人が多いから、川沿いは気を付けた方がいいかも」
と、突然コウタローが僕を脅すように言った。
コウタローは、小学生の時に瀬谷を本拠地とする野球チーム「瀬谷リトルシニア」に所属していた。だから、少なからず瀬谷周辺の”事情”を知っていたのだ。
ちなみに、瀬谷リトルシニアといえば、甲子園出場選手やプロ野球選手なども輩出する名門チームだ。「練習がキツイよ」と、嘆きながら町田から瀬谷までチャリで練習グランドへ向かうコウタローの姿が今でも印象に残っている。
この頃のコウタローはといえば、当時僕が所属していた町田市内の軟式少年野球チーム「町田玉川(通称マチタマ)」に入っていて、同じチームメイトとしてこの年中学最後の秋季大会でまで一緒にプレーした。
ちなみに、その大会の決勝戦を行ったグランドは、出発地点の鶴間橋から境川沿いを町田方面に5分ほどの距離にある西田グランドだった。(2020年現在、地中に貯水槽を作るために大規模工事中で利用不可。悲しいかな、念願の優勝を果たして涙を流した当時のグランドの面影はもはやない)
コウタローが「危ないかもしれない」と言った通り、当時は瀬谷をはじめとした町田市にほど近い横浜市の一部地域は不良が多くてガラが悪いという噂を聞くことはあった。「○○高校は金髪しかいない」だとか、「○○に行くとヤンキーに絡まれる」だとか。今となれば、どれも下らない流言(デマ)に思えてならない。
しかし、ただ一つだけ事実として起こっていたことを言えば、当時「エアーマックス狩り」という社会問題が起こっていたことだ。(この頃はもうピークは過ぎていたが、1995年発売のナイキ・エアーマックスとなれば当時数十万のプレミアがつき、その所有者が標的になった)
僕が中学に入学したばかりの頃(1997年)、学校にエアマックスを履いてくる奴は先輩から目をつけられるから気を付けろ、といった話が同級生の間でもあったほどだ。下駄箱にエアーマックスがあれば、上級生に盗まれるか画鋲でエアーを抜かれるぞといった話が出回った。
このチャリ旅で撮った写真はすっかり変色してしまっているが、僕はこのチャリ旅で「エアーマックス99」をちゃっかり履いていたのだった。
(江の島チャリ旅2へ 続く)
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