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江の島チャリ旅2

 国道246号を横切って、上瀬谷橋あたりまで来たとき少し不安になった。東名高速の下をくぐるトンネル内は狭くて暗いだけでなく、壁一面に落書きがあったり道端に煙草の吸殻が落ちていた。トンネルを抜けると、田んぼが一面広がっていて、中古車などを扱った工場や資材置き場が点在している。実際、今でも夜に一人では走りたいとは思わない雰囲気は漂っている。

 しかし、コウタローが言うような不幸な目に遭うことはなく、僕たちは危険予告地帯を通り過ぎた。この日から約10年後、自分がこの瀬谷に6年も暮らすことになり、横浜市内で最も馴染みがあり縁が深い土地になろうとは知らぬまま。

 僕たちの”会話”と”スピード”が失われ始めたのは、ちょうど藤沢市に入ったあたりだ。小まめに休憩はしていたが、川に田んぼや畑がひたすら続く殺風景の中を走っていればさすがに疲労も生じる。

 境川沿いのサイクリングロードは、何度か途切れることがあった。その時は、少しだけ一般道へ迂回してまた川沿いに戻る。車やトラックの交通量が多い国道467号を走って、再び境川と合流する場所が見えた時、川の横に瓦屋根と白いなまこ壁の建物が立っていた。その近くに自転車を止めて休憩した。

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 その建物は、東海道五十三次の一つである「藤沢宿」だったのだが、その時の僕たちにはそんな事はつゆ知らず。藤沢宿のすぐ脇に交通量が少ない赤色の遊行寺橋、その眼先に一段と交通量が多い藤沢橋がある。僕たちは使い捨てカメラで写真を数枚撮り合った。

 藤沢橋から国道467号を少し走ると、藤沢駅などの中心街のそばを通り抜ける。人がたくさん行き交っていて都会に思えた。その時、コウタローがちょっと止まっていい?と言ってくる。

「母親に一回電話しておかないと。状況を知らせとかないと後でグチグチ言われんだよ。はぁ~、めんどくせぇなぁ。」

 と、コウタローが国道沿いにあった公衆電話ボックスの中に入った。当時、お互いに携帯電話はまだ持っていなかった。このチャリ旅の道中、コウタローは電話ボックスを見つけては状況を知らせるために適時電話をしていた。数カ月後、2回目の江の島チャリ旅の時もそれは続いていた。

 藤沢の街中を抜け、再び川沿いのサイクリングロードに戻ると川幅が一気に広くなる。両側に漁船が並ぶ光景を目にした時、「もうすぐだ!」という気持ちがいよいよ高まってきた。ちなみに、境川はこの下流域だけ別の呼称がある。別名を「片瀬川」という。確かに、もうこの辺りになれば川の両側はどちらも藤沢市だし、境川よりも片瀬川と呼ぶ方がしっくりくる。

 やがて、道は大きく緩やかに右に曲がり始めた。それに従って走っていくと、緑深い森林で覆われた明らかなる孤島が姿を現す。

「江の島だぁ~~!!うわぁ~~!!」

 コウタローが叫び、僕も興奮してそれに続くように叫んだ。この時、チャリのスピードが最高値に達したのは言うまでもない。

 江の島の奥にある防波堤に着いた時、出発してから優に3時間以上は経過していた。

(江の島チャリ旅3へ 続く)

 


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