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フランスのカフェの歴史を紐解いたら面白すぎて眠れなくなった

<17世紀>パリ最古のカフェ

フランスといえばカフェ文化。パリ最古のカフェは1686年、ブルボン王朝時代にフランチェスコ・プロコピオがサン=ジェルマン・デ・プレに開いたル・プロコープ le procopeと言われています。哲学者ルソーや詩人ヴェルレーヌ、ナポレオン・ボナパルトなど芸術家、作家、画家が集まり政治・芸術談義が繰り広げられました。美味しいアイスクリームとコーヒーで貴族を中心とした上層階級から市民権を得たカフェはまたたくまにフランス中に広がりました。

<18世紀>フランス革命の引き金になったカフェ

パリ市民は相次ぐ飢饉や破綻に近い財政状況の中、フランス王室への不満が高まり、カフェでは政治をめぐって議論をたたかわせるように。中でもパレ・ロワイヤル近くのカフェ・ド・フォアは1789年7月12日、編集者カミーユ・デムーランが「武器を取れ」との演説をしたことでパリ市民に決起を促したことで有名になりました。2日後の7月14日、パリ市民がバスティーユ牢獄を襲いフランス革命が起きました。

<19世紀>世界の名作はモンマルトルの丘から

パリ・モンマルトルにあるカフェ・ゲルボワにモネ、ルノワール、ドガ、ピッサロなど多くの芸術家が集まり芸術談義をするように。ルノワール作「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」(オルセー美術館)にはモンマルトルに集まった様々な階級の人たちがダンスを楽しむ作品で、モンマルトルで楽しむ当時の人々の文化がよくわかる作品です。こうしてモンマルトルの丘には印象派、フォービズム、キュビズムなど若き芸術家が集まり19世紀後半から20世紀初頭にかけて黄金時代を迎えます。第一次世界大戦の頃からモンマルトルの観光地化や家賃高騰を理由に、芸術家たちはしだいに左岸のモンパルナスのカフェへと移っていきました。

<20世紀>サン=ジェルマン・デ・プレに集まったモードと映画の新潮流

パリ6区、サン=ジェルマン・デ・プレの周辺には出版社が集まり、カフェ・ド・フロールとドゥ・マゴにはサルトルやボーヴォワールなどの文芸関係者が出入りするようになり実存主義哲学者の拠点となりました。1950年代にはパリの右岸に映画監督ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、クロード・シャブロルが、モンパルナス界隈のカフェにアラン・レネ、ジャック・ドゥミ、アニエス・ヴァルダらが集まり、それまでのフランス映画の常識を打ち破ったロケ撮影中心・同時録音・即興演出など
映画の新潮流であるヌーヴェル・ヴァーグが生まれました。
60年代にはデザイナーのイヴ・サン=ローラン、ユベール・ド・ジバンシィ、カール・ラガーフェルドなどのモード関係者やジェーン・フォンダ、ジーン・セバーグ、ロマン・ポランスキー、マルセル・カルネ、ブリジッド・バルドー、アラン・ドロン、シモーヌ・シニョレ、イヴ・モンタン、ジェラール・フィリップらの著名な映画監督や俳優など映画関係者が集うようになりました。世界的大スターやデザイナーも下積み時代からカフェに通い人脈を広げ次々と名作が生まれました。

まとめ

フランス中に広まったカフェは常に歴史の証言者としてフランスの激動の変遷を見守る重要な役割を果たしてきました。カフェは時に国家権力を覆し、世界に名だたる作品が執筆され、新進気鋭の若手監督が映画の常識を破りました。今ではフランスだけではなく世界中のあちこちでカフェがあり、市民の憩いの場となっています。
パリのカフェのテラスでは太陽の光を求めて日向ぼっこしながらゆったりくつろぐ姿が見られます。早くフランスと日本が自由に行き来できるようになり、私もカフェでゆったり本を読みたいところです。

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<参考文献>

▼ル・プロコープ https://www.procope.com/ja/

▼株式会社平凡社世界大百科事典 第2版【カフェ】より

▼メゾン・デ・ミュゼ・デュ・モンド http://www.mmm-ginza.org/museum/special/backnumber/1002/special01.html

▼カフェ・ド・フロール https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB

▼ヌーヴェルヴァーグ40年/アモス・ギタイ (カイエ・デュ・シネマ・ジャポン―映画の21世紀)

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▼7月14日フランス革命記念日にカフェオレ専用コーヒーを発売

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