僕の転生の物語1 インド

プレアデスから地球へ転生した物語
これは僕のこころの奥底に眠る古くなつかしい記憶の物語です。

プレアデス人だった僕が最初に地球に転生したのは1670年17世紀のインドのベンガル地方でした。僕はとりわけ無邪気でばかっぽいところがあるので地球のエネルギーに慣れるためできるだけ素朴でストレスの少ない漁村の無邪気な両親を選んだのです。

その時の名前はムクンダでこれはベンガルではやっていたクリシュナ信仰にゆらいする名前でした。

僕はやさしい両親のもとで毎日クリシュナをおがみながら魚を網で取って毎日を過ごしました。まだ電気のないころで夜になると満点の星星がものすごく美しかったのです。

僕は母親のアンマの(ムクンダ早く寝なさい明日も早いのよ)という声を無視して毎晩のように海や山に行っては星ばかし眺めていました。そしてクリシュナを讃える歌を歌いました。

ハレクリシュナ ハレクリシュナ

ハレラーマ ハレラーマ

ラーマラーマ ハレハレ

僕がこの素敵な歌を海岸で歌うといつもさかなたちが静かに寄ってきて僕の歌に聞き入りました。それに見上げた空のどこかからとてもやさしくなつかしい愛の気持ちが伝わってくるのをいつも感じていました。

僕が地球にやってきた目的は

(地球界にプレアデスの明るく無邪気で無償の愛)をできるだけ広く深く流すことでした。

先輩のレオナルドダビンチとかゲーテとかのようにプレアデスの宇宙文明をはっきりした形で伝えるような高度なものではなかったのですが地球のむつかしい生存競争のなかで宇宙の純粋性を失わずどこまでもどこまでもこころをピュアにしてゆくのが僕の仕事でした。

無意識に受けている宇宙の愛のエネルギーをだんだん意識的に受け取るようになりある時点ではっきりとコンタクテイとしての自覚を得てそのエネルギーを幅広く地球の人々に流すように設定されていました。

この(愛のエネルギーを地球に拡大するというのはイエス様であったサナンダさまをはじめたくさんの星のたくさんのメンバーがやってきた一般的なワークなのですが同じ愛といっても

厳粛な愛 荘厳な愛

母性的な愛 父性的な愛

野生的な愛 ロマンチックな愛

創造的な愛 眠りのような愛

など多種多様で

厳密に言えばライトワーカーひとりひとり全員がちがうとも言えるのです。

僕が担当したのは(甘く無邪気な愛)でその中に非常な繊細なエロスと融合意識が含まれていました。

地球人の愛というのはほとんどがDNAを共有している家族を守るためか異性への執着が基本となっていて僕たちが地球におろしたがっている

(理由が何もないのにとっても楽しい)とか

(相手に尽くすだけで嬉しい)とか

(いくつになっても子供のように無邪気に遊べる)

(お互いにちょっと触れるだけで宇宙に融合したような気持ちになる)

とかの感情を理解している人はとっても少ないのです。

僕たちが地球にこおしたエネルギーラインを強くすることで地球人が最終的には

(生きることは楽しくてあたりまえ)

(生きることは無邪気で明るいのがあたりまえ)

(生きることは愛にあふれているのがあたりまえ)というプレアデス系では常識中の常識を地球人が共有してくれるようになるのが僕たちプレアデス人の最大の願いなのでした。

その時の最初の転生はうまくいきました。

僕はみんなに愛される漁村のやさしい若者ムクンダとして生まれ27歳で赤痢で死にました。

最初の予定の40パーセントのラインを超える43パーセントの意識の開発に成功したので僕のたましいは安らかに死にました。僕の簡素なお葬式で集まった村の人がみんな泣きながら

ハレクリシュナ ハレクリシュナを歌ってくれました。

ああ書いていると泣きたくなります。

いつもお寺でいっしょに遊んでいたニチャナンダは今頃どこの時空で何をしているのでしょう。また取れたてのサカナをいっしょに串でさして焼いて食べたいね。僕はアマルカンと呼ばれるさかなの料理が大好きでした。なつかしいインド。プレアデスによく似ていたインド。僕はインドが大好きでした。

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