ジャニーズ会見のNGリスト問題を、論理的に分析する
ジャニーズ事務所、改めスマイルアップの10月2日記者会見において、
「特定の記者を、質問者から排除する為のNGリストが作成されていたのではないか?」
との疑惑が報道された。
そして、結局のところ、会見運営を委託されたコンサル企業の勇み足だった事が判明した。
事実が判明した後だからと言う訳では無いのだが、
「そりゃそうだろう」
が私の率直な感想だ。
4日にNHKがNGリスト報道を行った直後から、私は
「ジャニーズ事務所主導でそんな事をしたとは考えにくい」
と思っていた。
論理的かつ客観的に状況を捉えれば、そう考えるのが自然だからだ。
現実のマスコミ報道を参考に、報道内容の正確性、情報の信頼性をどのように受け止め、自分の頭をどう使うべきか?を解説して行きたい。
NHKのスクープ報道までの前段
10月2日の記者会見は、大いに荒れた。
無論、ジャニーズ事務所側の話ではなく、望月記者らの暴走の件だ。
望月記者の問題点、彼女が何故ああ言った普通ではない行動を取るのかについては、下リンク記事で解説している。
良かったら参考にどうぞ。
望月記者らの暴走によって、折角開いた会見にも拘わらず、世間的な注目は自分勝手に振舞う一部記者の姿勢への非難と、それを諭すように窘める井ノ原快彦氏への快哉、そして他の出席記者らが拍手した事の是非へと移ってしまった。
これはジャニーズ事務所にとって、周辺的事象によって広めたい情報の報道量が減り、注目から外れる事を意味し、単純に損害を被った事になっている。
また、会見内容に注目をしたい視聴者・読者の立場でも、知りたい情報へのアクセスがし辛い環境になり、此方も損害を被っている。
得をしたのは炎上騒動を眺めたりコメントするのが大好きな野次馬界隈と、この報道でPVを稼げるメディア、そして普段の週刊誌報道のスタイルから意外なほどまともな質問を行った事が注目され評価を上げた実話ナックルズくらいのものだろう。
井ノ原氏発言を「トーン・ポリシング」として批判し出したお仲間界隈
「トーン・ポリシング」と言う言葉がある。
井ノ原氏による望月記者への窘めを「トーン・ポリシングだ!」として非難する向きが現れ出したのだ。
私の立場では、これを言い出したのは望月記者を最初から好意的に見ていて、望月氏への批判の声が上がる事が許せない中で、「トーン・ポリシングによる論理のすり替えだ!」との非難を無理やり持って来たようにしか見えない。
そもそも、「トーン・ポリシング」はディベートの中で自身の優位性を確保する目的で、
「相手は感情的になっている」
「冷静に議論する事が出来ない状況だ」
と聴衆にアピールし、元の議論の推移、論理性での優劣と違う所に視線を持って行くような場合に、「詭弁を弄している」と指摘されるべきモノだと私は考える。
本来の論理性に基づく議論の決着を回避しながら、相手の口調への指摘のみで、
「議論での勝敗は決した」
「語気を荒げた相手の負けだ」
とアピールするならば、それは確かに問題ある態度だ。
だが、議論や会話の途中でカッとなってる相手に対し
「その口調は問題ありますよ」
「冷静に話し合いましょう」
と呼び掛ける事が非難の対象となるのは明らかにおかしいだろう。
結構多くの論者が「トーン・ポリシング」の観点で井ノ原氏への批判コメントを発し、それが記事化されている。
だが、「トーン・ポリシング」の真の問題点を的確に指摘し、これこれこう言った理由から相応しくないと論理的解説を行った記事に私は出会わなかった。
語る人語る人、
「君、トーン・ポリシング言いたいだけ、ちゃうん?」
レベルの浅薄さで井ノ原氏批判を展開してる。
いや、ちょっとマジで冷静になろう?(トーン・ポリシング
実際の井ノ原氏発言は、望月氏との対話を断固拒否する姿勢でなされたものではなかったろう。
また、冷静さを欠いた発言者への指摘を以て、そもそもの会見理由であるジャニーズ事務所としての問題をチャラに出来る訳も無い。
ジャニーズ事務所側として出席している東山氏にしても、井ノ原氏にしても、社会的に責められる立場に今現在いる事は重々承知の上で、会見に臨んでいる事はその口調からも、会見全般における姿勢、態度からも明らかだったろう。
(個人的に賛同しない人がいても別に構わないが、この会見の様子を見た大多数の視聴者はそう感じただろうし、それ故にネットでこの話題に関する論評コメントで彼らの態度について問題視するものがほぼ無かった事に繋がっている)
実際、本来は指名されてから質問する形式だったにも拘わらず、不規則発言で質問した際に何度かそれに答えている。
ルールを守っていない事は明らかだったが、何度かはそこをスルーして回答しているのだ。
対話を拒否する為に「トーン・ポリシング」を使ったと見做すのは、論理的に飛躍がある。
「大人としてどうか?」と言われても仕方ない態度で会見に臨んだ記者の姿勢について言及せず、そこを指摘し、冷静に対話を行おうと提案した井ノ原氏の態度を問題視する人達は、論理的思考から逃げている。
井ノ原氏を批判し、望月氏を擁護したいとの結論が先にある界隈が、誰かが始めた「トーン・ポリシング」との指摘を目にし、我も我もと飛び付いたように見える。
このように望ましい結論に向かって論立てを探す傾向は、理想主義的な人に多く見られる。
当人的には議論に対して真摯な自分をイメージしていながら、論理性を担保し得ないロジックを披瀝し悦に入るタイプが多い。
この手の人は、人の話をろくに聞かず、議論で劣勢な自分にも気付けず自信満々でいるのだから、対話相手として非常にタチが悪い。
正に、望月記者のようなキャラクターがそれに当たる。
「類は友を呼ぶ」と言う事なのだろう。
やっぱり出て来た「陰謀論」
大きな反響を呼ぶ出来事があると、なにがしかの「陰謀論」が湧くのもよくある事だ。
2日会見の後に出て来た「陰謀論」が、
「望月記者らが騒ぎ出す事を期待して、敢えて指名をしないでおいたのではないか?」
「望月記者らがあのように騒げば、ジャニーズ事務所自体への批判のトーンが弱まる事が期待される。それを狙ったのだ」
との主張だ。
論理性を欠いている事に気付けない、自称頭の回るタイプが陥りやすい典型的な「陰謀論」と言える。
この主張は確実に「結論から遡って、そうなるように仕向けた可能性を想定する」との思考からなされている。
これは結果論で行動の是非を決める事と同様、全く論理的でない思考だ。
(計画が失敗に終わった場合に計画の全てが悪かった、成功した場合に計画全てが良かったとするような考え方が「結果論」。実際には様々な要因について想定と現実とのズレを確認し、その一々について吟味・検討しなければ、計画の質など判断できない。成功した場合でも運が良かっただけで、後から考えれば失敗する可能性が高かったと判明する事もある。)
そりゃあ、
「会見を開いたにもかかわらず、ジャニーズ事務所への批判の声は減る事は無かった」
との展開はジャニーズ事務所として避けたいだろう。
だが、だからと言って
「会見中にある参加者を特定の行動に走らせるよう画策し、その結果としてジャニーズ事務所への批判の声を減殺させよう」
だなんて発想が出て来る訳が無い。
これは「そんなあくどい事を考える訳が無い」と言った人間の善性への期待を抱いているのではない。
「他者を自らの想定通りに動かし得ると想定し、計画を立てようとする」との発想が、余りに現実離れしている事を指摘しているのだ。
まず、
「計画は立てたものの、期待した通りに参加者が動かなかった場合」
の想定はどうなっているのか?
予め、自分の振り付け通りに動いてくれる内通者としての記者が用意できるのならば、まだ邪な計画を立て、「この通り動け」と指示する可能性はあるだろう。
だが、実際に騒動を起こしたのは徹底的にジャニーズ事務所を批判したくて堪らない望月記者とそのお仲間だ。
このような絶対的に自分達のコントロール下に置けない相手を、自分達の思った通りに動かそうとの想定を入れ込んだ計画を練った所で、成功する可能性がどれだけあると言うのか。
そんな事をするくらいなら、普通につつがなく会見を乗り越える為に質疑応答の予行練習を繰り返す方が余程効率的だろう。
また、この「陰謀論」では
「概ね計画通りに事が発生したが、その結果として別に事務所への批判の声が減る事に繋がらなかったら」
との想定も完全に欠いている。
BBCの報道以降、ジャニーズ事務所にとっては想定外の事態が続いている。
先月の記者会見で語られた内容について、事務所名も後に変える可能性に言及しつつも取り敢えずはそのままとした辺りから、世間的な反発を食らってしまい、そこへの対応を含めて再度の会見を行う事になったのだ。
事務所としての印象が最悪の中で、姑息な手段で印象の分散を図ったところで、事務所への見方が変わる保証など何処にも無い。
「滞りなく会見を終えられなかった」との結果を以て、事務所への批判が増す可能性だってあるだろう。
普通に様々な可能性を考える頭があるなら、計画立案の難しさに直面し、続いて計画通りに進んだ場合でも結果が好ましい物にならない可能性にぶち当たり、このような計画を進める事のリスクについて考えざるを得ないはずだ。
そして、最大のリスクが、
「自分達の立場をよりマシな状態にする為に、姑息な作戦を企てていた事が露見してしまう」
事だ。
計画が成功しても失敗しても、企てが外に漏れてしまったが最後、
「事、ここに至って、全く反省をしていない現執行部!」
「自己保身の為に、卑劣な工作を画策!!」
と徹底的に叩かれる事になるだろう。
そうなれば東山氏、井ノ原氏共に、事務所から追われる。
状況的に自分達が泥をかぶる事になるのを承知で、事務所建て直しの為に立ち上がった現執行部が、一人残らずいなくなる事だろう。
何より、それだけの巨大なリスクを負った上で、得られるリターンが
「会見に関する報道の中心的話題からは外れる」
だけなのだ。
そもそも、それは現執行部にとって望ましい事とも言えない話だ。
誰がこんな分の悪い一発勝負に今後の人生を賭けると言うのか。
多くの陰謀論が、この話と同様に
「目の前に現れた結果から遡って、この方向に向かうよう仕向けた誰か・何かがあったのではないか?」
と思考している。
そして、この思考法では上述したように論理性から遠ざかり、「適切な可能性評価を次々すっ飛ばしている自分」に気付けなくなってしまう。
この手の「陰謀論」に対し、一定の信憑性を感じてしまった人は、「騙されやすさ」を自覚した方が良いだろう。
この話で記事を書いたマスコミに関しては、本当に単なる馬鹿なのか、取り敢えずPVを稼げれば何でも良くて、キャッチーな目を惹く陰謀論をわざわざ書いたのか、判断が付かない。
どちらにせよ、しょうもない連中である事だけは確かだ。
NHKによる「NGリスト」報道後
4日の夜、NHKが記者会見において、
「質疑応答で質問させないNG記者リスト」
が作られていた事をスクープ報道する。
私個人はそれを聞いた瞬間、
「それが本当にあったとして、東山氏や井ノ原氏が関与していた可能性は極めて低いだろう」
と考えた。
理由は正に前項の「陰謀論」的発想を否定する思考による。
そもそも、ジャニーズ事務所の記者会見において、多くの国民が望んでいるのは徹底的な調査の実施、被害者への十分な謝罪と補償を早急に行う事であり、それはここまでの報道を目にして来た現執行部も重々承知していただろう。
そして、現執行部が次々と厳しい質問に晒され、それに真摯に答える様子が報道される事自体が、一種の禊(みそぎ)として機能する事も理解していただろうと推察する。
現状を正しく理解する能力があるならば、今後、ジャニーズ所属タレントが普通に芸能活動を行う事が世間的に許容される為にも、自分達、現執行部が厳しく追及される事を甘受する必要があるとの結論に至るのだ。
「この記者は厳しく追及しそうだからパスしたい」
なんて考えでは、寧ろ会見自体の価値を落としてしまう。
東山氏、井ノ原氏のここまでの言動から、私は両者が、この会見の持つ意味について正しく把握していた可能性が十分あると見ていたし、会見を行うのならばその意味を最大化する為に全力を尽くすだろうと予想した。
このような思考によって、もし「NG記者リスト」が本当にあったのならば、この会見の意味を正しく把握していない者の手に拠る物だろうと推測した。
で、後の報道から、事実そうらしい事が判明した。
ある程度、論理的に思考できる人で、一連のジャニーズ問題に関心を持っていた人なら、NHK報道が出た瞬間から、その報道内容から滲む現実と合致しない違和感に気付けるはずだ。
そこまで特殊な能力では無いと思う。
だが、この能力を持ち得ないタイプの人が鬼の首を取ったように喜び勇んで騒いでいる。
望月記者とそのお仲間界隈だ。
コンサル会社の”大きなお世話”
「NG記者リスト」を作ったのは、ジャニーズから委託を受け、会見運営を任されたコンサル企業だと言う。
上述したように、ジャニーズ事務所の立場では、全く以て「小さな親切 大きなお世話」でしか無かった訳だ。
ただ、コンサル企業の立場でつつがない会見の運営、進行を行いたいと考えた時、「NG記者リスト」を作ってしまいたくなる気持ちは分からなくも無い。
実際、先月の記者会見でも望月記者らの暴走は目に余るものがあった。
記者としてなら何を言って良い訳では無い。
また、記者会見の場は自身の考えを滔々と述べる独演会でもない。
そういう事がやりたいなら、その名目で自分で場所を確保し、個人的にやれば良いのだ。
会見の場にいるジャニーズ事務所側も、取材の為に集まった他の記者たちも、望月記者の為に集まっているのではない。
望月記者とそのお仲間は、徹頭徹尾、この当たり前の事実を理解しようとしない。
「結論ありき」で騒ぐ界隈
NHK報道を受け、望月記者とそのお仲間は随分とはしゃいでいるが、ジャニーズ事務所にとって望んだ事でない以上、事務所側への追及などやった所で意味など無い。
「ジャニーズ事務所が望んだもので無かったにしろ、ジャニーズ事務所として開いた会見において、リストが作られたのは事実なのだから、その責任はジャニーズ事務所が負うべきだ」
との意見もある。
馬鹿じゃないかと思う。
実際問題、そのNGリストに従って記者の発言機会を完全に奪ったと言うのならば、その結果責任はジャニーズ事務所にも発生するだろう。
だが、望月記者は不規則発言を行って、何度か回答を貰っているのだ。
上掲のポストの全文を以下に貼る。
「NG記者リスト」があったとしても、それが機能してなかったのならば、誰にも不都合は発生していない。
リスト作成に関わっていない上に、結果責任も発生していないにも拘わらず、ジャニーズ事務所側の落ち度を語る連中は、論理的に破綻している。
このように、日本のマスコミ報道と言うものは、報道に触れる視聴者・読者の理解を増進する効能をほとんど持たない。
自分で情報の質を見極める能力が無ければ、メディアの作り出す雰囲気に飲まれ、知らず知らずの内に先入観を植え付けられてしまう。
そして、その先入観とはマスコミにとって望ましい方向に大きく偏ったものなのだ。
ここまで、相当程度の強い表現でマスコミ批判を行って来た。
だが、マスコミに対して、徹底的な侮蔑意識を持つ事は望ましい事ではない。
それは、「マスコミの言う事だから信じられない」との逆の方向の先入観、認知バイアスを生み、それも間違った論理建てに振り回される原因になってしまう。
マスコミはしょっちゅう偏向報道を行うが、常に嘘を吐いている訳では無い事も当然理解しなければならない。
「ある情報」とはそれ一つで存在している訳では無い。
必ず前段となる情報があり、後段となる情報もある。
「ある情報」が生まれる背景事情があって、「ある情報」に起因して派生する情報もある。
情報の信憑性を気にすると言う事は、常にこれら、「情報の持つ多面性」を意識する事に他ならない。
どんな先入観も極力持たないよう努め、その場で判断が付かない情報に対しては飲み込む前に保留する勇気を持つ必要がある。
このような考え方によって、より正しい情報を選別する目を養う事が出来る。
この最初の訓練として、
「結論から遡って思考し、一つの可能性を正しいと信じ込むタイプの人」
を観察し、彼らがどのような主張を行うか遠くから眺めてみるのも良いかも知れない。
彼らは攻撃性が高く、近寄ると非常に危険だが、如何にして人が論理性を軽視し、自分の信じたい方向へ流されて行くのか?を学ぶのには丁度いいと思う。
「木乃伊取りが木乃伊になる」事だけには注意して欲しい。
<了>
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