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人生はオセロのように歩みたい

小学生の私「とにかくすみっこをとったほうがいいんだ!」


大人になってオセロを久しぶりにやると、
こどもの頃の戦略がてんで間違っていると知った。

・1回で多く取れるところに置く
・序盤からどんどん取る
・辺や角を取ると有利

というのは間違っているらしい。


オセロの戦略の究極は

自分が置ける可能性を増やし、相手が置ける可能性を減らす

ことにあるそうだ。


終盤になるにつれて、
オセロは置けるところが少なくなる。

すると相手に有利になる場所に
置かざるをえなかったりする。

いわれてみるとたしかに私自身
最後にひっくり返されることがままある。


よし、自分が置ける可能性を増やしてみよう!


しかしこれが意外と難しい。
どこに置いたら、次の一手の可能性が増えるのか、
簡単には分からないのだ。

初心者でもわかるコツがあるとすれば、
「序盤はなるべく相手の駒をとらない」
ということらしい。

確かに相手の駒に取り囲まれたとしたら、
8方向すべて自分が取り返せる可能性がある。
だから序盤に駒をたくさん取ってはいけないのだ。


さておき、これは一種の人生観であるなと
今日ふと感じたのである。

自分自身、札幌から可能性を広げるために
東京に出てきたり、友人と起業してみたり
挑戦をしてきたつもりだった。

これは自分の可能性を広げようとする
アクションだったのかもしれない。

しかし年齢が進むにつれて、
自分がなにかのアクションを取ったからこそ、
もう取れなくなっている(気がする)アクションもあったりする。

運動が苦手でアスリートを目指そうなんて全く思わなかったし、
今更お医者さんを目指すのはなんか違う気もする。


このもう戻れない一方向性の中で、
色々な選択肢を試行錯誤するのが
オセロ的だな〜と感じるのだ。


だけれども、次の一手でまた自分の可能性を
広げることも、狭めることもできる。

一手一手が、一年ずつのように、
どんどん埋まっていく。

そして終盤にべチッべチッとまくり上げて、
大団円を迎えることもできる。

ともあれ、63枚を置ききると、
最後における場所は一つ。
盤面はそれ以上変わらなくなる。

可能性を広げようとし続けても、
いつかはどこかで収まりを迎える。


私の人生(26歳、オセロで言う中盤戦)を振り返るに
最高の一手は今の奥さんとの出会いである。

中高一緒で、お互いに刺激を与え合いながら
ここまでワイワイやってこれた気がする。

次はどんな一手にしようか。
まだまだ可能性は広がっていく。