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焦ったら、心のボールを、丘の上に戻そう。

心ここに在らざれば、
視れども見えず、
聴けども聞えず、
食えどもその味を知らず。

大学 - 孔子

いつも何かに急かされて生きている


・朝急いでいるのに、あれもこれもバッグにつめてしまう。
・電話とメールとミーティングで仕事が終わる。
・夜中まで見逃しているSNSをゾンビのように確認する。

こんなことが私にはよくあります。
まさに、心ここにあらず、の状態です。

なぜ「こんなふう」になってしまうのだろうか。
この悩みから、今私は脱しつつあります。

今日は、どのように
「心ここにあらず」の状態から
「心ここにあり」の状態に
落ち着くことができるのか
その方法論を文章にしてみようと思います。
皆さんのお役に立てば幸いです。

あなたは何に囚われているのか


囚われ、とらわれと読みます。

この漢字がまさに示すように、
あなたの心がなにかにぐるっと
取り囲まれているような状態です。


先程の3つの例を見てみます。

・朝急いでいるのに、あれもこれもバッグにつめてしまう。
・電話とメールとミーティングで仕事が終わる。
・夜中まで見逃しているSNSをゾンビのように確認する。


これらに共通するものはなんでしょうか。

それは、「詰め込みぐせ」です。

あればあるほどよいと考えているのです。

バッグの中身は、あればあるほどよい。
人間関係は、あればあるほどよい。
見るYouTubeは、あればあるほどよい。

さらにシンプルに言えば、
どん欲(貪欲)なのです。

私は「どん欲」であることに
囚われやすい人間なのです。


人はどんなものに囚われるか、
「貪欲」「怒り」「不安」「妬み」
いろいろありますが、
それらには「焦り」という共通点があります。


「貪欲」が「貪欲」を呼びます。
「怒り」が「怒り」を呼びます。

それがそれを加速させるという、
まるで坂をボールが転がるように、
気持ちが加速していきます。

「囚われの丘」をイメージする


ここで囚われの丘という
イメージを持ってみましょう。
これはあなただけのユニークな丘です。

なんとも嫌な名前だなあ


この丘にはいくつかの坂があって、
その坂にはそれぞれ
「貪欲の坂」「不安の坂」「怒りの坂」などと
名前がついています。
これは人によって、
坂の角度や大きさが違います。


私の場合は正面にどんっと「貪欲の坂」があります。
これは急な斜面で、油断するとどんどん転がってしまいます。

そして裏面には「不安の坂」があります。
これは比較的なだらかなのですが、たまに転がることがあります。

そして側面に少しだけ「怒りの坂」があります。
これに転がることは最近ほとんどないです。

これをまとめて、焦りの坂と呼びましょう。

焦るとコロコロ転がってしまうぞ

「焦りの坂」に気づいたら、「囚われの丘」の頂へ


仮に、あなたがYouTubeがやめられないとします。
次から次へ新しいコンテンツがでてくる、
もっとみたい、もっと見たい、
欲張りな気持ちが止まりません。

しかし、ふっともし、
これが「貪欲の坂」だと気づいたとしましょう。
ゴロゴロ、自分の心が焦って転がっている。

「おや、貪欲の坂をころがりはじめたな」

そう思ったら、心を今一度
囚われの丘の上に戻してあげましょう。

ふうっ、一安心


丘の上には平らな部分は、わずかしかありません。
だというのに、丘の上にはビュービュー風が吹いています。
これを「迷いの風」と呼びましょう。

油断も隙もありやしないぜ


少しの風がふけば、あなたは
また坂を下っているでしょう。

その度にあなたは、ボールを
丘の上に持っていく必要があります。

どちらが山側で、どちらが谷側か


スキーやスノーボードをやったことがある人は、
転んだときにこう言われたことはありませんか?

「まず、足を谷側にそろえましょう」

谷側といわれても、転んだばかりの人は
どっちが谷だか山だか分からなかったりします。

心も同じようなものです。
どうすれば丘の頂に再び戻すことができるのか。

それは、「坂から離れる」ことです。

さらに具体的にいえば
どの坂を降りているか、名前をつけることです。
「もっともっとと思っているなら、貪欲の坂だな!」

自分が降りている坂に名前をつけることができると、
ふっとその坂から離れることができます。

「そうか、自分は貪欲の坂をおりていたのか!」

まとめ:あなたはどんな丘の上にいますか?


自分の気持ちに整理をつけることは、
なかなか難しいことですが、

自分の丘の形をある程度把握しておくことで、
それがより簡単になると思います。

どんな坂があって、どれくらい広くて、どれくらい急か。
そういうイメージを持ってみませんか。