見出し画像

 『ハレの学園祭と消えた僕』

 今日(11月25日)は学祭三日目、一般客が来て一番盛り上がる日らしい。しかし僕は祭りよりも髪を切りに行くことを優先した。今日の朝、自分の寝ぐせのついた髪を見てみると、ライオンキングさながらの立派なたてがみのようになっていた。さすがに「しん~ぱ~いないさ~」と言えないほど。最後に切ったのは、7月の頭頃だった。そこから、まだいいだろう、まだいいだろうと自分に暗示をかけて散髪屋に行くのをためらっていた。
 ついでに髪を切りに行った後に大学祭を見て回ろうというサブの目標を立てて、出発した。
 今日行ったのはいつもお世話になっているチェーンの散髪屋だ。客層はほとんど高齢者である。散髪屋よりもジジイのたまり場と言うほうが正しいかもしれない。ジジイ御用達の店内にあるカレンダーは一か月のうちの半分以上がシルバーデーになっている。
 おっちゃん二人組または3人組で回している店舗だ。今までに2.3回通ったが、3人ともに腕は確かでいつも満足させてくれる。三人のうち一番特徴的なおっちゃんがいる。そのおっちゃんはいっつも声も態度も小さく、カエルのような顔をしている。
 このおっちゃんがかわいいのだ。店に客が来たら「いらっしゃいませ」というのが決まりのようだが、このおっちゃんは「ちゃませ」と言う。声がかぼそくて「いらっしゃい」が「ちゃ」になっているのだ。なんと愛くるしい挨拶だろうか。
 そして、肌がめっちゃくちゃしっとりしている。カエルのようにすべっすべの肌。パワーを感じる太い腕で、やけた肌に腕毛がもうもうと立っている。そんな男らしい手をしているのに、肌が生まれたての赤子のよう。
 髪を切り終わって、会計をしてもらい店を出るときには「ちゃした」といってくれる。「ありがとう」も「ちゃ」で略す。
 
 そんなカエルおっちゃんに今日も担当してもらい、イメージ通りに切ってもらえた。なんだかいい気分になって、大学祭に意気揚々で向かった。
 
 大学構内はすごい人だかりだった。ベビーカーに乗った小さな子供から、近所のおじいちゃんまで様々な人がいる。普段あまり人がいないところに大人数がいると違う場所に来たのではないかと錯覚するほどだ。しかし、普段来ている場所。ついつい大股で慣れている風の歩き方をしてしまう。

 ~100円と書かれたプレートを掲げる奇抜な格好の学生が「近くで○〇やっていま~す。いかがっすか~」と大きな声をあげている。それを見て「ふ~んそういうコンテンツを提供しているのか~いいアイデアなんだけど、もう少しだね~」と呟く。
 小学生くらいの子供たちが綿菓子を片手にはしゃいでいるのを見る。「楽しんでいってくれたまえ」と声をかけ、その子供たちを見守るおじいちゃんに「どうですかな若いもんたちのエネルギーは。いいもんでしょう。若いときの自分を思い出すんじゃないですか?はっはっは」と言う。(心の中で)
 
 そんなこんな見て回っているといつのまにか人が少なくなってきた。どうやらもう出店がない場所まで来たようだった。「まあこんなもんでしょうな大学祭ってもんはな~はっはっは」と高らかに笑って(心の中で)誰もいない出口を抜けて家に帰る。

 家に入って、髪型を再度確認しようと鏡を見た。やはりいい感じに切ってもらえている。しかし丁寧に整えられた髪型よりも、卑屈さと悔しさがにじんだ表情をする鏡の僕に目が行った。

 今まで必死に大学にいる理由と居場所を探してきた。つまらない授業にも何かあるんじゃないかと自分に言い聞かせて出るようにしてきた。いつか僕に居て良いと言ってくれる人に会えるかもしれない。そう信じていた。
 でも、大学祭というハレの世界で気が付いた。大学という世界に一つも僕のスペースがないこと、そして誰もが僕の見えない何かを見ていることに。誰にも存在を認められていないような気持ちになった。

 鏡に映った僕にシャワーで水をぶっかけてやった。鏡の世界からも僕はいなくなった。
 


 
 
 
 
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?