山口つばさ「ブルーピリオド」12巻読んで

 ランダムであちこちの感想を読んだんですが、1巻に出てきたあの質問に絡めている人が見られないことに驚きました。
 124ページかな、ノンブルが書かれてないので違うかもしれませんが、海野さんの質問
「つーか前から思ってたんすけど、そもそもデッサンって必要なくないですか?」「ネットにはデッサンやったことなくても上手い人なんていくらでもいますよ」
 この質問に対して先生は
「デッサンをすれば絵は上手くなる、でもやらなくても絵は上手くなります」
「そもそもデッサンとは、形、空間、質感を把握して観察力と技術力をあげる修練法のこと、つまり自分の描きたい絵にあった修練法であればなんでもいいんですよ」
「ただそういう人は毎日何時間もかけて絵を描いたり作品を作ったり、他の作家や業界のことを研究していますよ。デッサンの代わりにいろんな努力をしているだけで、そう言う人は結果としてデッサンが必要なかっただけです」
 このデッサンの説明、藝大の存在理由にも言えることでしょう、
 八虎は3巻91ページかな、森先輩の絵を見て
「先輩は「言いたいこと」は変えてない、「手段」を変えてたんだ…!」「「構図」は「言いたいこと」じゃなくて「手段」じゃん、…俺はずーっと「手段」で「手段」の絵を描いていたのか…」と気がついている、八虎は自分の「言いたいこと」を持ってないんです。
 八虎は大学に入る前も入ってからも、自分の技術を保持するために絵は恐ろしいほど描いてますが、これといって描きたいものがあるわけではない、だから教授たちから課題を出されて何を描こうか悩んで描いている、「言いたいこと」が教授からのリアクションでしか出せていないんです。
 大学ってのは中学高校と違って、自分でモノを考える力を鍛えるところでしょう、悪い言い方をすれば追い詰められて追い詰められて自分の内を掘り進める場所。

 で、肝心の「ノーマークス」の人たち、特に不二桐緒さん、どんな作品を作ってるんだろう?この12巻で解るのは、この人たちみんな「評論家」でしょう。大学批判が正しいからといって、彼らの姿が八虎の理想とは限らない。
 本に挟まっていたDMの個展、この人は「ノーマークス」関係ないみたいだし。だからラストで久山さんが
「僕もう二度とここにはこないから」なのかなぁ…。
 八虎だって絵を描く人になりたいんであって、評論家になりたいわけじゃないと思うのだけど、あぁ、そういえば八虎は「画家になりたい」「藝術家になりたい」って口にしたことあったっけ?
 あの場所が居心地いいのは、作品を作らなくても誰も強いこと冷たいことを言わないから。
 作者の山口さん、この先どう進めるんだろう?

にしても八虎、知識なさすぎじゃね?藝大って座学の講義ないの?高校生のときにも読書はしてなかったみたいだし、アートに関する知識だけじゃない、自分がまだ何者でもない、「言いたいこと」を持ってない時期に悩み苦しむのは、みんなあることなんだよ、その知識も持ってない。

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