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豆話/波打ち際に描いた絵


 寒さの冬が遠ざかり、穏やかな春が訪れようとする時期だ。

 貝も拾いたい。ひとつとして同じ色、形、大きさのない貝殻たち。貝殻を耳にあてたい。波の音がするからね、よく聞いた話だ。小さな頃、自分の頭くらい大きな貝殻に耳を近づけた。ゴーっと水が流れるような音がしたっけ。あれは渦潮の音なのか。海流の音なのか。波の音なのか。きっと海の声なのだろう。貝殻に閉じ込められた海の声。海が懐かしくて鳴いている。

 桃色の薄い貝殻、桜貝だ。海の底にも桜が咲くのだろうか。優しく手のひらに乗せる。気を抜いたらぱきり、割れてしまうのではないか、それくらい儚いものだった。地上の桜も、海中の桜も消え入りそうな存在なのは変わらないのか。

 空は快晴。ただし風が強く、耳の近くでごうごうと風が鳴っていた。いつか聞いた貝殻の中、海の声に似ていた。雲は強い風に流されて足が早く、走って追いつけそうな速度だった。
 砂浜はさらりとしたふみ心地。しばらく晴天が続いていたからだろう、乾燥して湿り気などなかった。

 はまちどり、いくつか。かわいらしい三叉の足跡。いたずら書きのようにてんてんと進み描く。思いついたように浜辺に降り立ち、好きなだけ歩く。途切れた場所からきっと飛び立って行方は空へ。今頃は海の上、滑るように飛んでいるのだろう。この空を羽ばたく心地は、いつか訊ねてみたい。

 貝殻を探しながら波打ち際に立ち尽くす。海へ、海へ、引っ張ろうとする風に負けないように両足に力を込めた。近場は茶色く濁りがある。おそらく風の仕業だろう。波は高く、しけている。遠海は青く緑がかっている。

 どうして海に行かなかったのだろう。近いわけではない。かといって遠くにあるわけでもない。もっとはやく来るべきだった。こんなにも海は広がっていた。どうして海と親しくしなかったのだろう。水族館とはちがう海。この先に海があって、海中には、遠くの海には様々な生き物たちが住んでいる。一面、波は表情を変えるも同じ青。その中に数多の魚が、海獣が。流氷が、海流が。海は当たり前にあるのに、その住人たちのことを何も知らない。ただ、この先の青に未知なる世界が広がっていて、人間ではない存在が存在していることに心が湧き立つ。

 いつか海の底に行けたら。いつか海に住むことができたら。

 海の中ならば水中ならば、冷たい風も雨も、雪も、悲しみの涙すらも、その全てから守られている。水中はきっとあたたかだ。海中をふわり漂うクラゲのように過ごせたら。私たちを海は歓迎してくれるだろうか。それまで海に思いを馳せて、浜辺にいつかの海の街を描いて待とう。


 春先に海へ行った時を思い出して。この広い海に知らない生き物たちが住んでいて、確かに存在している。それだけで心がわくわくしてきます。シャチが海の生き物で一番好きです。

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