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竹五郎さんとマナティー〜FUKUSHIMA TRILOGY Ⅰ(18)

〈前回のあらすじ〉
 
自分と同じように世間から疎外されているのではないのだろうかと勘繰っていた初老の男と、思いがけずアルバイト先の水族館で再会した。初老の男は水族館の職員だったのだ。同じ職員の佐藤かおりには馴染んでいるのだが、通勤途中に言葉を交わしたにもかかわらず、竹さんと呼ばれたその男の諒への対応はぎこちなかった。

 18・ただぐるぐると渦巻いていただけの木の葉は、ようやく未知なる本流に流れ出た。

 僕が働くことになった飼育棟には、総勢で14人の職員が働いていた。皆で共通の仕事をすることもあったが、勤務の多くは各々が担当する部署での作業だった。当直などの夜勤を交代で担当もしていた。だから、14人の飼育員が全員で顔を合わせることは、年に数回しかないのだと、佐藤かおりは言っていた。

 僕が配属されたのは哺乳網の班だった。竹さんと呼ばれた初老の男も、その一員だった。

 シャチやイルカだけじゃなく、飼育を担う対象はアシカやアザラシにも及んだ。もちろんアルバイトの身である僕には、動物たちの健康管理や餌付けを任されることはなく、ほとんどが器具の整理や水槽の清掃などの力仕事ばかりだった。しかし、もともと海洋動物や魚に興味を持ってこの仕事に就いたのではなかったので、動物たちと触れ合う機会が持てないことに僕が不満を持つことはなかった。

 僕の仕事は単調だった。だが、飼育員の作業の下準備につながることだったので、決しておろそかにできなかった。その仕事を、僕は竹さんから教えてもらった。

 竹さんは峠の中腹の住まいから自転車で水族館に通っていた。高校を卒業してからずっと水族館で働いているので、三十年以上同じ日々を繰り返していることになる。水族館の館長でさえ、不意に交代することがあると聞いた。だから、今となっては、この水族館での一番の古株は、一飼育員でしかない竹さんだった。

 竹さんの仕事ぶりは、労働というものをよくわかっていない僕から見ても、堅実だった。

 これまで社会参加をしてこなかった僕が、確固たる根拠もないのに竹さんの仕事を評価できるものでもなかったが、竹さんは勤務時間という名目で区切られた時間割の中で、一秒たりとも静止してないのではないかと思うくらい愚直に動き回った。そして、その動作には一切の無駄がなく、仕上がりも正確で美しかった。コンビニエンスストアの前でにやにやと笑いながら、高校生たちに媚を売るように紙幣を渡していた男とは同一人物とは思えない、見事な働きぶりだった。

「マコト」
「えっ?あ、はい」

 僕は唐突に竹さんに自分の名を呼ばれて驚いた。

「ここから、あそこまで水を撒いて、このブラシで磨く」

 竹さんに呼ばれて近づいた僕を見ずに、竹さんはおもむろに僕の手を取り、ブラシを握らせた。そして、その上から自分の手をあてがって、ブラシの先を床に当てて、それを力強く押し付けた。

「擦るんじゃないよ。磨くんだ」

 竹さんの手の力は、その年齢の男の人にしてはとても強く感じられた。

 三十年以上も同じ作業を繰り返すことで培われた強靭な筋肉が、彼の堅実な労働を支えていたのだろう。一方の僕の腕は長らくニートの暮らしをしていたせいで、すっかり痩せ細り、華奢になっていた。

「疲れたら休んでいいけど、休んでばかりいると、終わらない」

 竹さんが口にする言葉は、歴史上の偉人が残した格言のように堅固に響いた。きっと生真面目な竹さんが生真面目な顔でそう言うからなのだろうと、僕は思った。

 竹さんの身長は、僕と佐藤かおりの間ぐらいの高さだっただろう。だが、じかに彼の手を通してその意外な力強さを感じたばかりだったから、その存在は決して小さくは見えなかった。例えば、北の大地で朝から晩まで働く酪農夫や炭鉱で煤まみれになって生計を立てている炭鉱夫のような印象だった。身体は小さくても、後の経済や歴史の礎となった人々。竹さんもそのうちの一人のように見えた。

 僕は来る日も来る日も、飼育棟の床を磨く作業(擦るのではない)をこなした。

 直属の上司が竹さんなので、竹さんが実直に働いている間は、僕も息が抜けなかった。疲れたら休んでいいとは言われたが、働き蜂のように動き回る竹さんを見ていると、とても手を休められなかった。

 休んでばかりいると終わらないと言った竹さんの言葉が強迫観念になっていなかったかといえば嘘になる。今まで、どれだけ怠惰な生活を続けていても、誰も僕にそんなことを言わなかったからだ。

 父親が死んでから高校もろくに行かず、情けをかけられたように卒業しても、確固たる未来も描けなかったし、描けなかったがゆえに、進学などはある特権階級に生まれたものだけに与えられる栄光への道のように感じていた。それでも友人や親戚は僕を叱りもしなければ、羨みもしなかった。彼らは目の上のたんこぶのような忌まわしい僕の存在を、卒業という儀式で葬りたいと思っていたから、干渉などするはずもなかった。

 そもそも、一番身近にいるはずの母親が、一歩も外に出なくなってしまったのだから、周囲の人間も僕の進むべき道が何なのか見極められなかったし、関与しようにもできなかった。下手に進学や就職をさせたところで、今度は生きがいを失った母親の世話をする者がいなくなってしまう。彼らは下手にやぶをつついて蛇を怒らすようなことはしたくなかっただけに過ぎない。

 そんな僕を躊躇いなく名で呼び、当たり前のことを当たり前だと承知の上で真正面から投げかけてくる竹さんの実直さに、僕は面食らっていた。

 澱んでいた水の流れの堰が切られたというほどの大袈裟なことではなかったが、堰き止められていた澱みの底から、不意に水が湧き出したような新鮮さがあった。その湧水に押し出されるように、澱みの歪な流れの中でただぐるぐると渦巻いていただけだった木の葉は、ようやく未知なる本流に流れ出ていくことができた。

 人に与えられた一日は誰にも平等に与えられていたはずだが、ただ母親と自分が生きるためだけに、保険金を切り崩して質素な食事をし、頼みもしないのにまた昇ってくる朝日を迎える日々とは全く質の違う日々を、僕は過ごすようになった。竹さんと交わす言葉は決して多くはなかったが、その存在は、まもなく二十年が経とうとしている僕の人生に、新たな色彩を生み出そうとしていた。

 竹五郎さんとマナティー〜FUKUSHIMA TRILOGY Ⅰ(19)につづく…。

〈あらすじ〉
 父親を心中で、兄の直(ただし)を自殺で立て続けに失った諒(まこと)は、塞ぎ込んだ母親を見守りながら、希望もなく、しかし絶望もない日々に、ただ身を委ねていた。ある日、父親の墓前で謎の女に出会ったことやその女から水族館に関する本が送られてきたことで、諒の心が少しずつ揺らぎ出した。やがて、水族館で働き始めた諒は飼育係の竹五郎さんや気立てのいい女性事務員、突如現れた直の友人と関わるうちに、兄が残した遺産を辿る旅に出る。生きづらさに翻弄される人々が、遠くの星の輝きを手繰るように、手放した希望や救いを取り戻そうとする物語。福島第一原子力発電所事故を記憶に留めるために筆者が書いた渾身の「原発三部作」の第一部。第二部は『出口は光、入口は夜』、第三部は『CLUB ONIX SEVEN STEPS』。

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