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竹五郎さんとマナティー〜FUKUSHIMA TRILOGY Ⅰ(11)

〈前回のあらすじ〉
 
家族を襲った災厄の中で、ひたむきに日常を守り続けた直とは対照的に、諒はあらゆることが虚しく無意味であるように感じ、心を空っぽにしていた。そんな諒の心の中で、謎の女が放った二つの言葉が新しい何かを生み出そうとしていた。やがて、諒は そこから生み出された決意とともに、水族館でのアルバイトに臨もうとする。

 11・初老の男

 直は原発への就職を内定させてから、大学を卒業するまでに自動車の免許を取得してはいたが、自家用車は所有せず、持ち主と同じように線の細いロードバイクと原子力発電所が運行するシャトルバスを利用して通勤していた。

 我が家のガレージに父親の乗用車しか収めることができなかったこともあるが、わざわざ自分の車を買い、それを停めるための駐車場を我が家の近隣に借りることを、直は、無駄以外の何物でもないと考えていた。

 直と同世代の社員は、自分が稼いだ金で自分だけの自家用車を所有できることを、社会人としての嗜みの一つだと考えていたが、合理的で現実的な直は、そうは考えなかった。直の部屋の書棚に辞書以外の書籍を置かないのも、読みたい本があれば図書館へ出かければいいと考えていたからだ。所有することは、すなわち失うことの準備をすること。遅かれ早かれ失うのであれば、そもそも身の回りに置くべきではないと、直は断裁していた。

 ときに直は、シャトルバスに乗るために駅に向かわず、自宅から直接、自転車のまま原子力発電所まで走ることもあった。夏の強烈な日差しの下や冬の凍えるような朝にロードバイクを駆って原発にやってくる直を物珍しそうに見るものも少なくなかったが、直は一向に気に留める様子もなかった。

 僕はといえば、父親の失踪やその後の心中事件に右往左往しているうちに、教習所に通う機会を逸してしまった。だから結局、我が家に父親が所有するセダン以外の車が増えることはなかった。しかし、そのセダンが父親の自殺の舞台となってしまい、父親の火葬が済んで程なく廃車処分してしまうと、我が家のガレージには直の自転車と僕の自転車が所在なさそうに並んで置かれた。それらは、時を忘れて遊んだ末に、閉場間際のスケートリンクに取り残された幼い兄弟のように、やけに寂しげに見えた。

 水族館のアルバイトの面接に向かうために、僕は僕は自分の自転車で海岸に出た。僕の自転車は、直が所有していたロードタイプの自転車とは対照的な、オフロード用のマウンテンバイクだった。

 太平洋に面した海岸に建っている水族館までは、家から自転車を駆り二十分くらいで行くことができる。太平洋に面した浅瀬の砂浜は、このあたりではちょっとしたサーフィンスポットにもなっていたので、サーフボードを抱えた人たちを年中見かけた。夏になれば、一部は海水浴場として区画されるので、沿道には無数の海の家が立ち並ぶ。

 夕刻の秋の太陽はやがて水平線に沈もうとしていた。頭髪が無造作に伸びたままだったので、被っていた野球帽の裾から癖のある黒髪が外側に撥ねていた。マウンテンバイクで風を切ると、撥ねた髪が風に靡いた。

 波が満ち引きし、日が昇り沈む海岸の景色は、昔から何も変わらない。不思議なことに、僕が持つこの海岸への愛着は、幼い頃から一向に褪せることはなかった。父親と直との思い出だって、この海岸に残されていた。でも、何故か痛ましくて思い出したくないものにはならず、不思議とどれもが愛おしく思えた。

 変則的な三叉路を渡る信号が青に変わるまで、僕はその分岐点にある交番に目を向け、その前に立つ警官を眺めていた。

 昨日までの僕ならば、歪んだ我が家の事情にかこつけて怠惰な暮らしを続けていたことに罪悪感を募らせ、社会の秩序の番人である警官を直視できなかったが、今まさに社会に飛び出していこうとしている僕は、稚拙な自信に背を押されて、勤勉な警官と肩を並べたような気にさえなっていた。

 交差点の交通を警戒していた警官は、そんな僕の視線に気づいたようだったが、刹那何事もなかったかのように、また海岸沿いの国道を行き交う車の流れに視線を向けた。

 信号が青に変わり走り出すと、広い駐車場を持つコンビニエンスストアが現れた。平日の夕方ということもあり、会社に戻る外回りのサラリーマンや学校帰りの高校生で、店に出入りするための自動ドアはひっきりなしに開閉を繰り返していた。久しぶりに自分の自転車を駆って身体を火照らせた僕は、喉を潤す飲み物を買うために、駐車場に向けてマウンテンバイクを傾けた。面接に指定された水族館の閉館時間まで、まだ十分なゆとりがあった。

 駐車場に進入し、マウンテンバイクを店の脇に停めた。そこにはすでに何台かの自転車が停められていた。ハンドルの前に備えられた籠には、この近くにある高校の名が印されたスポーツバッグが入っていた。

 店の脇から入口に向かって歩いて行くと、コンビニエンスストアの前に並んだゴミ箱の傍らでたむろする三人の高校生を見つけた。そのうちの二人は首にマフラーを巻いていた。残りの一人は、ブレザーの下に部活動で使っていると思しきジャージを着ていた。恐らく建物の脇に停められた自転車は、この学生たちのものなのだろうと、僕は推察した。ただ、高校生たちの輪の中に、一人の初老の男がいたことに、僕は違和感を感じた。

 まだ顔立ちに幼さを残す高校生たちに初老の男が取り囲まれている光景は、とても不自然だった。その不自然さを増長させていたのは、初老の男が何かの問題に直面して狼狽しているようには、微塵も見えなかったことだった。

 例えば、自分の望まない問題に巻き込まれ、誰かしらの助けを求めるのだとしたら、高校生たちの脇を通り過ぎた僕に、何かしらのサインを送ってもよさそうだった。でも、初老の男は高校生たちと親しそうに笑顔で話していた。だから、僕も心の中にもやもやした不快感を残しながらも、彼らを見過ごさざるを得なかった。

 自動ドアを抜けて店内に入っても、僕は雑誌の棚越しに見える高校生と初老の男が気がかりだった。

 竹五郎さんとマナティー〜FUKUSHIMA TRILOGY Ⅰ(12)につづく…。

〈あらすじ〉
 父親を心中で、兄の直(ただし)を自殺で立て続けに失った諒(まこと)は、塞ぎ込んだ母親を見守りながら、希望もなく、しかし絶望もない日々に、ただ身を委ねていた。ある日、父親の墓前で謎の女に出会ったことやその女から水族館に関する本が送られてきたことで、諒の心が少しずつ揺らぎ出した。やがて、水族館で働き始めた諒は飼育係の竹五郎さんや気立てのいい女性事務員、突如現れた直の友人と関わるうちに、兄が残した遺産を辿る旅に出る。生きづらさに翻弄される人々が、遠くの星の輝きを手繰るように、手放した希望や救いを取り戻そうとする物語。福島第一原子力発電所事故を記憶に留めるために筆者が書いた渾身の「原発三部作」の第一部。第二部は『出口は光、入口は夜』、第三部は『CLUB ONIX SEVEN STEPS』。

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