竹五郎さんとマナティー〜FUKUSHIMA TRILOGY Ⅰ(27)
〈前回のあらすじ〉
仕事納めの帰り道に諒は佐藤かおりから、彼女の家の事情を聞いた。それは自分の力ではどうしようもない負の力に支配されていて、諒が体験してきた挫折や諦めと共鳴した。しかし、初めに戻ってやり直しができるとしても、果たして自分や佐藤かおりが幸福になれたとは、考え難かった。
27・音楽が癒やしや希望になりそうもなかったので、率先してそれに触れてこなかっただけのことだ
佐藤かおりと一緒に敬光学園の忘年会に出向く日、僕は直のピーコートを羽織っていった。直が死んでから彼の衣類を身につけるようになり、僕はつくづく自分の兄がただの倹約家ではなく、堅実な男だったのだと感心することになった。
夏に上着を羽織ることはないが、春や秋にはシャツ一枚では心許ない。そんな季節の冷たい風を避けようとしたとき、M65フィールドジャケットが重宝する。そして、寒さが厳しくなれば、ウールがびっしり詰まった生地のピーコートが、きっちりと冬の風を遮ってくれた。よくよく考えてみれば、そのどちらも軍用の衣類だ。屋外の実用性から導き出された二つの上着が、演習や戦闘時以外の現場で役立たないわけがない。きっと直はそんなふうにして、これらの衣類を厳選したのだろう。仮にそれらが破損して着られなくなった場合でも、おそらく直は再び同じものを手に入れていたと思う。直という男は、そんな風に堅実で潔く、自分の理念を曲げない男だった
いつも出勤のために家を出る時間と同じ時刻に僕は家を出た。冬の風は冷たかったが、いつもより車や人影が少なく、今日が休暇なのだという実感を僕に与えてくれた。しかし、いつも立ち寄るコンビニエンスストアの店構えが紅白の横断幕やしめ飾りなどで装飾されると、否応なくやってくる新しい年が僕の目前にも迫っているのだと、改めて知らされる。そのように日常を偽装することで、誰もが一年の災厄を清算できると思い込んでいるように見えて、振り払えない我が家の災厄にがんじがらめになっている僕は、気が滅入るのだった。
僕は約束の時間の十分前に水族館に到着した。エントランスの車寄せにはすでに佐藤かおりの黒い軽自動車が待っていた。僕はいつもマウンテンバイクを停めている飼育棟の裏ではなく、休館でがら空きになった来客用の駐輪場にマウンテンバイクを停めて、大きな歩幅で佐藤かおりの車に歩み寄った。
「おはよう」
僕の姿を見つけた佐藤かおりが、助手席のウインドウを全開にして、運転席から顔を覗かせた。
「おはよう」
僕は手袋をしたままピーコートのポケットに手を突っ込み、助手席の外側に立ち止まって、そう応えた。
佐藤かおりはいつもより一手間加えた自然なメイクをしていた。
仕事のときは薄いメイクにとどめていたが、この日はアイラインを強調し、少し色の濃いリップグロスを塗っていた。元来顔の各々の部位が強い主張を持たず、それゆえに佐藤かおりの顔の印象は質素で幼く見えた。それは本人も弁えていたようで、特別な日にひと手間加えたとしても、自身の魅力を損なわず、かつ華美にならない絶妙なバランスを保っていた。
「寒いね」
僕は、いつもと少し違う佐藤かおりのメイクや服装に高揚した心を隠すように、他愛もない言葉を小声で呟いた。すると、運転席でハンドルに身を預けた佐藤かおりがしかめっ面をした。
「せっかく車内を温めて待っていたの。窓を閉めるわよ。早く乗りなさい」
佐藤かおりはまるで母親のような言いっぷりで、僕に乗車を促した。
いつも通勤の車で混み合う朝の海岸線は、年末年始の連休に入ったことで空いていた。昼頃になれば故郷へ帰省しようとする人たちやも長い休暇の間の食材や年末の大掃除の道具を買い出しに出かけてきた人たちで交通量も増えるだろう。
佐藤かおりは助手席に乗客を乗せていることもあり、運転に集中していたが、僕は朝日に輝く海原を眺めたり、始業の準備をしているレストランなどを眺めながら、時々ハンドルを握る佐藤かおりの横顔を見詰めたりした。
父親が失踪して以来、誰かが運転する車に同乗する機会がなかったので、まだ二十歳の佐藤かおりが運転する車に同乗することはいくらかの不安を伴ったが、しばらく走っただけで、思いの外、佐藤かおりのハンドルさばきが安定しているとわかって安心した。彼女の職場での器量の良さは、もしかしたら運転の技量にも反映されていたのかもしれない。
カーステレオからは、ポップな感じのロックバンドの演奏が流れていた。歌詞が日本語だったので彼らが日本人であることはわかったが、小物入れに置いてあったCDのケースに何気なく手を伸ばした僕に向かって佐藤かおりが教えてくれたバンドの名前を、やはり僕は知らなかった。
「流行っているのよ」
海岸線から外れて峠道に入った佐藤かおりは、次々とやってくるカーブを巧みにトレースしながら、僕にそう言った。
僕は、ケースを手にとっては見たものの、そこに印字されているアルバムのタイトルにも引っ掛かるものはなかった。若草の草原に真っ白な仔羊が立っているだけのジャケットだったので、そのバンドが何人編成なのか、どのような容姿をしているのか、知ることができなかった。
「ほとんど音楽を聴かないんだ。物を持たない兄を見てきたから、そういうものの必要性について、あまり考えたことがなかった」
「音楽が、嫌いなの?」
佐藤かおりが、ちらりと横目で僕を見た。
「いや、こうして音楽が鳴っていることに馴染めないわけではないんだ。コンビニエンスストアでもスーパーマーケットでも、喫茶店でもレストランでも、音楽は鳴っている。だけど、それが僕にとって必要な要素であるかを判別できないでいるだけなんだと思う」
「鳴っているだなんて、不思議な言い方をするのね。音楽は流れていたり、奏でたりするものじやない」
「そのとおり」
僕はCDのケースを小物入れに戻し、運転席の佐藤かおりの横顔を見て、そう言った。車の暖房が効いたせいか、佐藤かおりの頬が少し火照っているように見えた。
「鳴っているという以上は、まだ諒くんにとって、音楽は踏切の警報や目覚まし時計のアラーム音と違いを持たない音に過ぎないのね。だから、自分に必要かどうかなんて、難しく考えちゃうのよ」
母親との閉鎖された暮らしの中では、母親が占拠する居間から漏れてくるテレビの音と、意味不明な母親の読経が僕にとっての主な音だった。それ以外は、時計の秒針が刻む微細な機械音や近隣の家庭の生活騒音だけにしか、僕の聴覚は働かなかった。
だからといって、こうしてスピーカーから放たれる音楽を聴くことが苦痛なわけではない。そもそも僕の殺伐とした今までの暮らしの中では、音楽が癒やしや希望になりそうもなかったので、率先してそれに触れてこなかっただけのことだ。
「でも、悪くないよ」
僕は独り言のように、そう呟いていた。
僕は暮らしの中に音楽がある情景をそのように思ったのだが、佐藤かおりはどうやら彼女か好んでいるこのバンドの楽曲が僕の興味を引いたのだと勘違いしたようで、「そうでしょ?」と言って、白い歯を零していた。
竹五郎さんとマナティー〜FUKUSHIMA TRILOGY Ⅰ(28)につづく…
〈あらすじ〉
父親を心中で、兄の直(ただし)を自殺で立て続けに失った諒(まこと)は、塞ぎ込んだ母親を見守りながら、希望もなく、しかし絶望もない日々に、ただ身を委ねていた。ある日、父親の墓前で謎の女に出会ったことやその女から水族館に関する本が送られてきたことで、諒の心が少しずつ揺らぎ出した。やがて、水族館で働き始めた諒は飼育係の竹五郎さんや気立てのいい女性事務員、突如現れた直の友人と関わるうちに、兄が残した遺産を辿る旅に出る。生きづらさに翻弄される人々が、遠くの星の輝きを手繰るように、手放した希望や救いを取り戻そうとする物語。福島第一原子力発電所事故を記憶に留めるために筆者が書いた渾身の「原発三部作」の第一部。第二部は『出口は光、入口は夜』、第三部は『CLUB ONIX SEVEN STEPS』。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?