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竹五郎さんとマナティー〜FUKUSHIMA TRILOGY Ⅰ(21)

前回のあらすじ〉
 アルバイトから家に戻ると、ミネラルウォーターを収めた大量の段ボールが玄関に山積みにされていた。それは家に籠もっている母親が買ったものと思われた。それを尻目に諒は直の部屋に入り、直のことを考えた。もしかしたら水族館の本を送ったのは、生前の直ではないかとも想像できたが、その意図が掴めず、思案をやめた。

21・いずれにしても、僕ら人間は、あまりに複雑な世界に身を置いていると言わざるを得ない

 竹さんは水族館でマナティーとジュゴンの飼育の「補助」をしていた。最古参の社員である上に、マナティーとジュゴンの生態や飼育について右に出るものがいない竹さんが主務者として扱われなかったのは、新参者の僕からしても不自然に映った。マナティーとジュゴンの責任者は高木主任が担っていたが、実質的に高木主任がマナティーとジュゴンの飼育に関与することはほとんどなかった。

「竹さんは人見知りが激しいの。厳密に言えば、人見知りというより人嫌いなのね」

 水族館に出勤した初日に、何気なく佐藤かおりが零した言葉を、僕は思い出していた。対人恐怖症のようなものが竹さんにあるのなら、確かに責任者には相応しくなかっただろう。だが、飼育に関する決定権はないにしても、飼育のほとんどの仕事を円滑にこなすことが出来ていた竹さんは、十分に僕の尊敬の的に値した。

 例えばイルカやアザラシなどよく知られている哺乳類ならば、やや曖昧ではあるが、その容姿を絵に描くことができた。だが、ジュゴンといえば「人魚伝説」のモデルとなった動物であるということしか知らず、その容姿を思い浮かべる前に、幼い頃に知った人魚姫のアニメーションを彷彿させてしまい、正しい容姿になかなか辿り着けなかった。まして、マナティーともなると、その容姿だけでなく、生態も想像がつかなかった。こうして竹さんと水槽の上に立って彼らを見ている今も、イルカの仲間なのか、アザラシの仲間なのか、そもそも哺乳類なのか魚類なのか、僕にはお手上げだった。

「海牛目だよ」

 足元の水面に浮かんできたマナティーを優しい瞳で見下ろしながら、竹さんがそう言った。

「カイギュウ?」
「ウミの、ウシ」
「あぁ、海牛ね」

 正確には哺乳綱海牛目マナティー科に属するのだと、のちに佐藤かおりに教えてもらった。牛の仲間かと思いきや、進化の過程を紐解くと、象の仲間に属するらしい。知れば知るほど、不思議な動物だった。

「オスがベーブで、メスがピッピ。二人はつがいだよ」

 オスの方が先に水族館にやってきたので、その時の館長がその巨体からホームラン王のベーブ・ルールを想像して、そう名付けたらしい。ベーブに嫁入りするようなかたちで後から来たピッピの名は、公募した候補の中から、来館者の投票で選ばれた。

 水槽の上から竹さんが水の中に手を差し込むと、巨体のマナティーは鼻から気泡を漏らしながら静かに浮上し、優しくその手を口にくわえた。マナティーの生態に明るくない僕にとっては、長く関わり続けている飼育係に対する愛情表現のようにも見えたし、ただ餌だと思って食いついたようにも見えた。いずれにしても、その光景は僕の目にとても優しく温かく映った。

 日本の冬は、南海に生息するマナティーやジュゴンにとっては厳しい季節だった。僕らがやらなければならなかったことは、水槽を満たす水の衛生と温度を保ち、彼らが病気に感染したり、凍えたりしないように努めることだった。きっと自然界にいるマナティーならば、水温が下がればさらに温かい海を求めて移動したはずだ。それが出来ない人工的な水槽では、彼らの命は飼育係である我々に託されている。

「竹さんは、どうして水族館で働こうと思ったの?」

 僕は、水槽の縁にしゃがんだ竹さんの背中に向けて、そう尋ねた。

 竹さんはまだ水槽に手を突っ込み、それと戯れているマナティーを我が子のように優しく見つめていた。

「学校を出たら、働かなきゃならなかった。先生が、オレをここに連れてきた。それからずっと、ここにいる」
「学校って、どこの学校?このあたりの高校なのかな?」
「ケイコウだよ」
「ケイコウ?」

 竹さんあたかもその単語が世の中で通用するものだと言わんばかりに、堂々と口にした。マナティーを「カイギュウ」と言ったときもそうだった。

「山の方にあるよ。学校は出たけど、まだそこに住んでる」

 そう補足されて、合点がいった。

 ケイコウとは、海岸からせり上がる山の中腹にある養護学校の名だった。

 正しくは「敬光学園」と言った。父親と直がまだ生きていた頃、家族で遠出をするときに高速道路の入口を目指すと、必ずその学校の門の前を通ったので、覚えていた。こんな山の中腹に学校があっては、そこに通う子どもたちは大変だと父親に言ったら、父親はその学校の性質について、わかりやすく説明してくれた。まだ幼かった僕は、その頃の僕と同じような歳の子どもたちが苦労して山を登ってくるのかと想像していたが、実は多くの子供が親元を離れて、この学校の寮で生活をしていると聞かされ、感心したのを覚えている。また、中には身柄を引き取ってくれる親もいない子どもたちもいるのだと付け加えられ、胸を痛めたことも記憶している。

 竹さんは幼い頃からずっとそこで暮らしていたらしい。通常の学校に通う子どもたちとおそらく違う扱いをされてきたのだろうと、なんとなく想像はできたが、親の所在まで根掘り葉掘り尋ねる気にはなれなかった。おそらく、竹さん本人もそうした事情をうまく咀嚼して飲み込めていなかったかもしれない。それなのに、僕が興味本位で軽率に竹さんの素性に踏み込むのは憚られた。必要であれば、佐藤かおりに尋ねればいいと、僕は思った。もしかしたら、佐藤かおりは竹さん本人以上に竹さんのことを知っているかもしれないと思えたからだ。

「あ」

 不意に竹さんが声を上げ、水槽の縁で立ち上がった。急に水面から手を引き抜かれたことを不思議そうにしているマナティーが、静かに水中に沈んでいった。

 竹さんの視線は僕の背後に向けられていた。僕はその視線を追って、振り返った。すると、足早に飼育棟の廊下を通り抜けていく高木主任と佐藤かおりの後ろ姿が、僅かに見えた。どことなく忙しい様子にも見て取れたので、僕は彼女たちに声をかけようとした。

「ダメだっ!」

 すると、竹さんが僕の手を掴み、強い声で制止した。

「なにか急いでいるようだったけど、手伝わなくていいのかな?」
「ダメだっ!」

 竹さんが険しい顔でそう叫ぶと、僕の腕を掴んだ竹さんの握力が増し、僅かに痛みが走った。

 駄目だと言われると余計に気になるのが人の心だ。だが、竹さんのその厳しい様相は、今まで僕が見てきた柔和な竹さんの面持ちとは結びつかないほど緊迫していた上に、とても初老とは思えない強い握力で腕を掴まれていたので、佐藤かおりを追おうにも追えなかった。

 僕はなぜ飼育棟に高木主任と佐藤かおりがいたかということより、不意に竹さんが険しい表情になって僕を静止したことのほうが気にかかった。佐藤かおりが竹さんのことを知っていたのと同じように、竹さんも佐藤かおりの何かを理解していたのかもしれない。それは、家族とか友人とかといった間柄に生まれるものとは違って、年齢も性別も違う二人の間では、他の者には理解し難い共感だったのではなかろうか。

 水槽の底では二頭のマナティーが寄り添うように並んでいた。恐らく、体躯が大きいほうがベーブで、小さきほうがピッピだと思われた。だとすれば、さっき竹さんの手を食んでいたのは、オスのベーブだ。

 果たして水槽の中にいる彼らには、人間の僕らはどのように見えているのだろう。同じ生物だと認識できているのか、それとも海底に揺れる水草と同じようにしか見えていないのか。いずれにしても、僕ら人間は、あまりに複雑な世界に身を置いていると言わざるを得なかった。

 賢い直ならば、それが進化であり、それが知性だというのかもしれないが、そのどちらも、言葉を覚えた人間が勝手に定義した事柄に過ぎない。マナティーたちにとっては言葉に重みはない。生きていくうえで、あるいは繁栄していくうえで必要なのは、食べることや眠ることだった。それ以上でもそれ以下でもない。そんなことを考え始めたら、僕は母親の堕落した生き方も、ある視点では生態として然るべき姿のようにも思えた。そして、家族のことさえ未だによくわかっていない僕にとって、アルバイト先で知り合った竹さんと佐藤かおりの関係性も、マナティーという生き物と僕との間にある隔たりほど、掴みどころがなかった。

 父親と直は自らの命を絶った。地球上の生物でそのような行いができるのは、知性を身に着けた人間だけだ。考え、悩み、行き詰まり、葛藤し、自分をこの世から抹殺するに至ることは、生き物が本来備えた生きる本能とは相反するものだ。それに比べて、母親は社会を断絶し、僕に帰属しながらも、生きることをやめなかった。

 僕は、かつて直から聞いたダーウィンの言葉を思い返していた。

「精神をうんぬんするのは、ほとんど迷信だ」

 所詮、人は野生生物の延長線上に存在しているに過ぎない。知性を盾にしてみたところで、心の中に眠っている野生を凌駕することはできないのだろう。

 そんなことを考えているうちに、いつの間にか僕の腕を掴んでいた竹さんの手が解かれていた。振り返ると、竹さんはさっきの激昂が嘘だったかのように、一心不乱にブラシで床を擦っていた。自分の心に過ぎった得体の知れない汚れを擦り落とそうとするかのように。

 竹さんとマナティー〜FUKUSHIMA TRILOGY Ⅰ(22)につづく…

〈あらすじ〉
 父親を心中で、兄の直(ただし)を自殺で立て続けに失った諒(まこと)は、塞ぎ込んだ母親を見守りながら、希望もなく、しかし絶望もない日々に、ただ身を委ねていた。ある日、父親の墓前で謎の女に出会ったことやその女から水族館に関する本が送られてきたことで、諒の心が少しずつ揺らぎ出した。やがて、水族館で働き始めた諒は飼育係の竹五郎さんや気立てのいい女性事務員、突如現れた直の友人と関わるうちに、兄が残した遺産を辿る旅に出る。生きづらさに翻弄される人々が、遠くの星の輝きを手繰るように、手放した希望や救いを取り戻そうとする物語。福島第一原子力発電所事故を記憶に留めるために筆者が書いた渾身の「原発三部作」の第一部。第二部は『出口は光、入口は夜』、第三部は『CLUB ONIX SEVEN STEPS』。

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