「fenómeno ー 細谷真大(1)」
「ああいうラストパスが欲しいんですよね…裏へのあのパス」
2019年3月に柏レイソル・トップチームに第2種登録された細谷真大は日立台でのデビュー戦となった長崎戦を終えたミックスゾーンでこちらにこう呟いた。
前節の東京V戦でのJ2リーグデビュー戦は右サイドでプレーするも、引いた相手のブロックを崩す必要があった中では、まだまだ出来ることは限られ、窮屈な試合展開の中に埋没。自身の魅力を発揮できたとは言い難い内容だった。
だが、この長崎戦ではスペースがあった。
「前線の守備から入って欲しい。前から来る相手は背後が空く。そのスペースを使ってゴールを狙え」
奇しくも、ネルシーニョ監督からは、今後の細谷のキャリアを照らすことになる金言とシンプルな競技的力学を託された形で日立台のピッチへ駆け出した。
試合はほぼ決していた中の起用。自身のプレータイムはレフェリーの裁量次第。そのような状況下でも、鋭いトランジションからの突進を数回披露したがノーゴール。
試合後には「いつかこのスタジアムのレイソルサポーター側でゴールを決めます」と一旦誓いはしたが、その為に必要となるプロレベルでの自分の現状に厳しい目を向けた。
「…ゴールを取れていないのは、自分に迫力が足りないからだと分かった。もっと強く要求しなければ、パスの出し手と目も合わないし、ボールも来ないので…今、強く感じているのは『結果を出したいのであれば、もっとゴール前へ飛び込んでいくなり、パスを呼び込めよ』ということ」
「お披露目」ぐらいじゃ納得がいかなかった。「結果」にしか興味がなかった。
「自分は『試合を決められる選手』になりたいし、いつも自分に『まだトップ加入が決まったわけじゃないからな』と言い続けている。ゴールを取って、『トップ昇格』という夢を叶えたい。だから、トップでもUー18でも出られる試合の全てに出て、結果を出したい」
冒頭の呟きはこのあと語られた。
細谷が指す「あのパス」とは、このシーズンに何回も見られることになる江坂任(浦和)がマイケル・オルンガ(アル・ドゥハイル)やクリスティアーノ(長崎)たちへ通してきたスペースへのパスだった。
当時の細谷にはあのパスが眩しく見えていた。相手GKの向こうに自分の未来があった。スペースでボールを受けて仕掛ければなんとかできる自信はあった。あのパスを受けられた時、それは即ちレイソルのFWとして認められた証でもあったから。トップチームでの時間が増えるにつれて強くなっていった「FWとして生き残ってくためにゴールが必要」という気持ちと比例するかのように、江坂が放つスルーパスの眩しさは増していった。
「試合でも練習でも、どうやったら相手の裏を取れるのかを常に考えているし、パートナーと縦関係を作ることも大事にしていて、そこはアカデミーで学んできているし、トップでの感じは良い。試合に出て分かってもらえたことも、分かることもありました…自分のプレーを理解してもらえて、欲しい時に欲しいボールが出てくるので、自分の動き出しの質を高めたいし、強いフィジカルが欲しい。クリスのようなシュートを打てるようになりたいから(笑)」
ただ、これ以降に見せたパフォーマンスは細谷が「それ頼り」の若手ではないことを多くの人たちに認識させることになるのだから、サッカーは素晴らしい。
誰がパートナーとなろうと、最前線でも、その少し後ろの立ち位置でも適応できる汎用性が細谷の武器。サイドから迫力を持って攻め上がる凄みは第2種登録時代から現在にかけても変わらない特長だ。だが、特筆すべきはマッチアップ相手とのコンタクトでの強さ。
ボールとDFの間に腰を据えてパスを受け、急加速するプレーは細谷の真骨頂。マイボールや五分五分のボールでも、相手のトラップがズレた瞬間でも、ボールを収めて相手の「守から攻」の入口を単独で遮ってしまうことも。GKから始まるビルドアップの質や緊張感の有無によっては、細谷へのパスとなるような瞬間を作ってしまう。
特に前線での守備における勘の良さとボール奪取の精度は細谷が持つ「違い」だ。その意味で、「あのパス」が出るに越したことはないのだが、出ないなら出ないでなんとかしてみせた。その中で、展開を打開するに至るデュエルの際に重要な体の入れ方や手の使い方は秀逸だった。
「あぁ、あれは『ハガさん』から教わったんですよ。ハガさんに聞いてください(笑)」
あっけらかんと笑ってみせた細谷だったが、息を取り直して話を続けた。
「あの体や手の使い方をハガさんから教えてもらっていなかったら、今の自分はここにいないだろうと言えますね。今も1つの特長として活きていると思うし、ああいうプレーが好きなんで。このスタイルに自信があるし、残しておきたいなと思います。楽しいですよ、あれ」
そして、「ハガさん」に聞いてみたー。
この「ハガさん」とは、2021年より関東サッカーリーグ1部・南葛SCアカデミーダイレクターを務める芳賀敦氏のことである。
「うれしいですね。マオがそんなことを言ってくれていたなんて。代表で、日の丸を付けて、大活躍していることも併せて本当にうれしいです」
芳賀氏は甲府トップチームや桐光学園、C大阪や柏レイソルアカデミーなどを渡り歩き、中村俊輔(横浜FC)や中谷進之介(名古屋)を始め、多くのタレントを見出してきた選手育成の名伯楽。
細谷とはジュニアユース年代で出会い、3年間という時間を過ごしている。細谷や鵜木郁哉、井出敬大(栃木)、奥田陽琉(早稲田)らの成長を支えた。
「あの頃のマオは、サイドアタッカーの1人だったんです。レイソルアカデミーの『4-1-4-1』のサイドMFで、郁哉と左右を入れ替えながら起用していて、当時からジャストのタイミングで裏へ飛び出す能力に長けていました。オフサイドにかからないのは彼の才能なのですが、対面の相手SBに一度『見つかって』しまうと、細かい技術で解決するタイプではないので、サイドMFでは力を出しきれない。『このままだと…うーん』と先が心配になり、ある試合の中で1トップたった陽琉と並べてみたら、2人の連携も、相性も良くて上手くいった。陽琉との2トップ、それが急成長のきっかけでしたね」
細谷にボールが入る瞬間、DFに体を預けて守備のパワーを奪うようなシーンは確かに目にする。
その後、相手を置き去りにドリブルを開始。あるいは少々のハードヒットくらいなら何事も無かったかのようにすくっと立ち上がり周囲を確認してから、再びポジションを取る。あの逞しさはこの時に生まれたのだろう。
「サイドMFとFWでは相手からのプレッシャーの角度や質が異なってくるんです。FWだと背後からCBが迫って来ますから、『だったらもう、CBに密着してパスを受けちゃうか』とか、『パスと逆の方向でプレーするイメージで』といったイメージを伝えたり、練習後に体の使い方を反復練習して、飲み込みも早かった。相手を背負ってボールを受けることも受けるフリをしてターンをしてドリブルをすることもありました。タイミング良く中盤に降りてボールを受けて周りを使うことも上手かったし、難しいシュートを決められる力もありましたね。私はマオの背後からバランスボールでグイグイと押してみたり、実はそのくらいなんですけどね(笑)」
当時を回想しながら話が進む中で、芳賀氏は寄り添ってきたからこそ知る細谷の姿勢にも言及した。
「マオの良いところは、自主練で得たことを次の練習や実戦で必ず試すところなんです。理論や言葉よりも、体で覚えたいタイプなんでしょう。その他にもその週に行った練習にしっかりと取り組んで、試合で試すんです。ミスになってもちゃんとやる子で、『芳賀さん、練習したプレーをやりました!』ってアピールもしないしね(笑)。武骨そうに見えて、しっかり話を聞いて準備しているところもマオの魅力。私が叱ったのはただの一度きり。守備を怠った試合があって、その時に一度だけ。最初は嫌そうな表情をしても、すぐに理解をして、次の練習からはしっかりと守備をしてくれた。今も良い守備をしていますね。性格的に筋の通った人間なんですよ。チャラチャラした感じは一切無いしね」
芳賀氏の回想から、過ぎった細谷の姿勢がある。
このシーズンが夏期に差し掛かるにつれ細谷の出番は徐々に減っていった。7月3日の天皇杯・盛岡戦でゴールを決めてはいたが、戦術的アレンジや怪我人の回復などを追い風にしたトップチームは2桁の連勝を記録するなど、J1昇格へ突き進んでいた頃。FWの陣容も「鉄板化」してゆくのもしょうがない状況だった。
「絶対的なストライカーだったミカが毎試合のように大活躍していた時に、試合で結果を出していても出番が回ってこない先輩たちの背中を見てきた。そこから更に下にいた自分もベンチに入れていても、あまり試合に絡めていなくて。プロの世界の厳しさを体感しました。だから、『腐らずにここから這い上がっていこう』ってモチベーションを保って毎日準備していました」
プロサッカー選手に必要な技術や精神を肉付けしながら、オルンガのプレーを間近で眼に焼き付け、強かな成長を続けていた細谷に「トップチーム昇格」の吉報が訪れたのは2019年の晩夏だった。
「トップチーム昇格はレイソルアカデミーに加入してからずっと目指してきた夢でしたから、昇格を聞いた時は素直に喜びました。両親に自分の夢や決断というものをいつも尊重してもらったおかげでここまで来られたと思っています。今はまだ『ベンチ入りが精一杯』という状況なので、自分自身にも『おい、違うよな?そこに満足すんなよ!』って言い聞かせながら成長を続けていきたいです」
今となっては少々意外にも思えるのだが、そう気持ちを新たにしてから、細谷が再浮上するまではもうしばしの時間を要すことになる。
つづくー。