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ムダ働きは、やだな

 過去の記憶は、時間と共に薄れていきますが、書き物や資料に残したものは、過去の痕跡として一定期間は残り続けていきます。

 仕事のやり方といったら、ちょっと大袈裟ですが、組織の中にいると、担当者の交代等によって過去の蓄積が引き継がれず、情報の蓄積そのものが消えてしまう事もあります。私は、それを恐れて、いつも記録に残すことを心掛けていました。

 仕事の記録自体は、当時の問題の所在を思い起こさせたり、自分の仕事の過ちを証明する証拠となることもあります。それは、自分の責任で行った事で、他人に迷惑をかけない、そんな心構えにも繋がります。

 記録が残らなければ、過去の仕事を証明するものは残らないことになり、結果、その時の努力も水泡に帰し、徒労(とろう)になってしまいます。徒(と)とは、乗り物に乗らず歩く、役にたたないetc.の事です。労(ろう)は、働く、身心を使って努める、疲れをねぎらうetc.の意味があります。すなわち、徒労(とろう)とは、ひとことで言えば“ムダ働き”、といったところでしょうか。

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 個人的には精魂込めて仕上げた仕事が、結果、徒労(とろう)に終わるような形になるのは耐え難いものがあります。だからこそ、記録に残すよう努めていたところですが、それでも、そうした記録は、時間の経過と共に、時空のかなたに埋もれていくものだと思います。

 経験的には、大きな組織ほど、記録の保管はしっかりしているようで、最初の職場では、私が未だ20代前半の社会人なり立ての頃の、汚い文字のメモや記録が未だに残っていて、当時の事を尋ねられる事もありました。有り難い事だと思います。一方で、私の記録に残すという習慣は間違っていないという自信にもつながっています。