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人生は平等、誰でも一度だけ

 人生は平等で、誰でも一度だけ。男も女も、大人も子供も、それぞれの人生は一度だけ。


 人生は一度だけ....という意味においては、誰もが平等(びょうどう)です。平(びょう)は、特別な事がなく穏やか、ふつうetc.の意味があります。また、等(どう)は、差が無い、条件が同じetc.の意味があります。すなわち、平等(びょうどう)とは、差別がなく一様に等しいことを意味します。

 ただ、この平等という観点から、最近の世の中の動きを見ていると、大きな違和感を覚えるのが、性的少数者(性的マイノリティ)の権利云々の議論。欧米と比べると人種的偏見も性的少数者への偏見も極めて少なく、過去から現在に至るまで、極めて鷹揚な日本社会。

 それなのに、何故か、欧米と比較して我が国は意識が遅れている等という、誤った認識に基づく議論のあげく、LG BT法案なるモノが、自民党内の乱暴な手続きで国会に上程、拙速に成立させてしまった。

 この法案に賛成した与野党の国会議員は、性的少数者(女性を自認する男性も含む)への過剰な配慮が、全国の女性達(概ね6500万人)の日常生活や女性スポーツ等への重大な権利侵害につながる事を認識しているのか。また、児童への教育現場での過激な性教育による子供達への精神的成長の阻害等に、何故か、考えが及ばない政治家達。情けない話です。


 話は変わりますが、小さな子供でも、大人と同じように思慮深さを見せることを、往々にして気付かされます。


 子供だから判断力がない、考えが浅はか等ということは、決してないことを、私たち大人は認識すべきです。但し、純粋無垢なだけに教育現場での誤った教育指導や刷り込みが、子供達の精神的成長を阻害する危険性が極めて高い事を強く認識しなければならないことは、言うまでもありません。

 また、日本社会における“平等“について議論する際には、少数者への配慮の前提は、当然のこととして、社会の構成要素の多数を占めるマジョリティの権利が尊重されるのは当たり前の話。今回のLGBT法案では、今の政治家達の思考回路が、少数を尊重する余り多数に被害を与えかねないという認識の欠如が問題とされている。

 私たち国民は、そう言った意味で、健全な日本社会を実現するための政治参加。簡単に言えば、選挙が有れば、貴重な一票で、政治家を評価していく事が極めて大切だと、改めて実感したところ。