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少女漫画を読んでいたら違和感に目覚めた話

それは高校一年生のことだった。中高一貫の男子校に通っていた私は外界から隔離された状況の生活を送っていた。簡単に言えば、寝ても覚めてもお母さんしか近くに女性はいない生活である。その特殊な環境が作用したのか、なんの性的興味も覚えぬまま、石器の使い方を学んだばかりの原人のような奔放さで中学生活をやり過ごした。つまり、なんか体と頭を動かしていたら終わっていたのである。

しかし、そこは思春期というもの。相当遅かったが私にも高校一年生にして発情の感覚が呼び覚まされる運びとなり、ほとばしる熱いパトスがこの身に宿った。
私はよくわからないが、恋をしたいと思った。(男子校だけど)
とくに同級生の彼女が欲しい。(男子校だけど)
そのためにはモテなければいけない。(男子校だけど)
であれば男子としての魅力を磨かなければ。(男子校だけど)




そこで私はブックオフに向かった。




もちろん理由は少女漫画を立ち読みすることだ。勉強だけはそこそこできていた私は、何事も予習が重要であることを認識していた。恋愛をしたければ少女漫画で予習する、至極まっとうなアプローチである。男子校は生徒から正常な判断力を奪うに十分な教育体系を提供しているようだ。

私はその当時有名だった少女漫画を読んだ。フルムーンを探して、ママレードボーイ、グッドモーニングキス…  内容は定かではないものの、すべてとても面白く、良い物語だったと思う。しかし、いくつかの物語を読むにつれて、私に「空虚さ」や「違和感」が蓄積していくのを感じた。

当時の私にはこの「空虚」という感覚が言葉で表すことができなかった。このため、ここからその「空虚」について書くのであるが、それはごく最近になってフェミニズムを知ったりすることで言語化できたものであるため、当時の私にはこれ以降に記載するような文面の理解度がないことに注意いただきたい。
ただ、その当時の感覚でそのまま表現すれば、「静寂な秋の夜に呼吸をしてもしてもまだ空気を取り込まないといけないような気分」である。うん、わからん。


違和感の正体

さて、思い返してみると、私の空虚の感覚は主に女性主人公に向けられていたのである。というのも最終的に結ばれる側の男性には仕事の話や大学進学の話など、たくさんの「未来に続く道」が暗示されていた。それにも関わらず、主人公である女性は男性と付き合い、結ばれるところまでで精一杯であり、それ以外にやりたいことやどのような将来に向かっていくのか見えないのである。男性に一直線に向かって打ちあがる一輪の花火のようなものだ。その花火が咲いた瞬間がマンガのクライマックスであり、そのあとにはチリと寂寥感しか残らない。それがなんとも刹那的であり、同じ人間として数十年を生きるという寿命的設定と噛み合わず、空虚を感じていたのである。


恋愛を知りに行った私が少女漫画から学んだ内容は、「女の子って、好きな男の子と付き合ったり結婚できたらその先の人生は”その他”みたいなものなのかなあ…」であった。もちろんその後私に数年間彼女はできなかった。(男子校だけに)


少女漫画によるジェンダーの刷り込み

今にして思えば、少女漫画は日本においてジェンダー的価値観を女性の中に形成していくうえでキーアイテムになっていたのではないかと思う。男の私が一人で読んで、誰にも共有しなかったからこそ「空虚」を真摯に感じることができたともいえる。もし私が女性で、他の女の子からおすすめされて少女漫画を読んだとしたら、


ほんとうにその「空虚」な気持ちや「違和感」を感じることができたのだろうか?
それらを感じても自分で自分の気持ちを無視して、見ないように蓋をしていなかっただろうか?


友達が良い物語だと言えば、良いところだけでも探して友達と共感したいと考えることは当然にあると思う。親しくない友達なら過激な論評を加えることもあるだろうが。

そうした共感的対話を通じて、最後には「良いところがあったね!」という地点で考えることを止めて、「良い物語」だと自分を納得させることは往々にしてあり得る。そしてそこで判を押した「良い物語」は、次第に私の意識に溶け込み、私の中に規範を形成し始めるのである。「恋愛をしなくちゃ!」「結婚は人生のピーク」などの感覚や常識的価値観が自然と口から発せられるようになるということだ。


少女漫画の変化

現在では、昔に比べて少女漫画も多様化が目覚ましい。俺物語のような一種ゴリラ的な男性パートナー像は想定されていなかっただろうし、大人女性向けの漫画も豊富になってきている。愛の在り方に関する表現がイケメンとのイチャラブに集約されるような一様なものでなくなってきているという事実は、たくさんの精神的自由を女性に与えているのではなかろうか。

他者への愛は比べられるものでもなく、好きな人は好きなのである。好きな人に含まれる個性・特性(容姿や成績、かけっこの速さなど)は他人と比べて優れているから好きというわけではないだろう。少なくとも、こうしたそもそも結論のない問題を認識させてくれる点で、少女漫画はかつてのジェンダー再生産的役割から個人の自由意志や決定をフォローしてくれる役割にシフトしてきていると思われる。

こうした変遷により、自分の人生と恋愛のポジショニングや自分に合った愛のカタチについて思考を深めるきっかけになってきている点は、社会規範の変化にも貢献していると思われる。この20年間変わらず海賊王を目指してきた少年漫画とは異なり、少女漫画の変化は速いのである。(断っておくが私はワン●-スが好き)


フェミニズムを知るようになってから、このような「そういえばあれはこうだったのか!」なことが多くある。今後も思い出したら考察を交えて書いていきたい。





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