見出し画像

街とジェンダー

30過ぎの高齢化の波が身体に押し寄せるフェミ男は疲れていた。今日はコロナ禍になって以来久々の海外出張。これは、かねてからの相棒であるクソデカスーツケースとコロナ禍で相棒になりつつある腹回りの脂肪を引き連れて空港へ向かう一人の男の生き様を描いた物語である。

ーーー 
朝、フェミ男は家を出た。
ゆうに2年ぶりくらいの出張に心は高鳴っている。むろん、気分が高まっているためではない、全身の筋肉を使って街中で相棒を運ぶことによる疲労だ。都会の歩道は狭く、段差が多い。普段の出勤ではなんともない駅までの道が、ハンデ(スーツケースと内臓脂肪)を負った人間にとってどれだけキツいことか。 スーツケースを引きずる音は衆人の視線を集め、狭い歩道で反対側から向かってくる人がいれば歩道を占領してすみませんのような気持ちで謝り、段差があればそのたびにスーツケースを全力で持ち上げて体力をすり減らす。少し移動しただけで精神的・肉体的ダメージがとどまるところを知らない。

フェミ男は駅に着いた。
最も早く駅構内に入るルートでは、階段を上下しなければならない。

脳内の天才的な演算を駆使し、3秒であきらめた。遠回りし、スロープのある改札に進む。

フェミ男は乗り換え駅についた。
群衆と同じ最短ルートを行こうとすると乗り換えまでに階段を2回上がって1回下らなければならない。

脳内の天才的な演算を駆使し、3秒であきらめた。遠回りに遠回りを重ねてエレベータとエスカレータだけを使う道を進む。


フェミ男は便意を催した。
男子トイレでは大きな荷物を持って入れる個室はたいてい1つしかない。かつて先輩が言った。「便意は電車で育つ」。その言葉は真実だったようだ。かろうじて間に合ったと思って到着したトイレは満室だった。

脳内の天才的な演算を駆使するまでもなく、3秒でもらした。

ーーー


物語を振り返って

この一人の男の生き様から得られる教訓とはなんだろう。
電車や道路、建物などは社会にとって重要なインフラだ。しかし、日本の電車・駅、街を見るにつけ、社会に存在するはずの人々がこれらのインフラを使うことは「特別扱い」されていることを感じる。つまり、成人の健常な男性が標準的な利用者として設計されており、妊婦やベビーカーを引く親、男性より基礎体力が低い傾向のある女性、更に体力の少ない高齢者、車イスで移動する障害者などの社会には当たり前にいる人々が標準外とされ、「標準の人を阻害しない限りは利用する権利がある」程度の扱いにされている。


したがって教訓の一点目は、「標準とされている人にとってインフラに隠れたメッセージに気付くことはない」ということである。
フェミ男がインフラの隠しメッセージに気づいたのは、
・コロナ禍での運動不足による体力低下
・内臓脂肪増大による重量的負荷(ハンデ)の発生
・重いスーツケースの帯同
といった各種の要素が同時に標準の人に作用することで、一時的に標準外の人になったからかもしれない。標準の人が標準とされる利用方法で利用している限り気付くことはないのである。
私の街では、駅に近くなるほど道はきれいで大きくなめらかであり、駅に行く方向でない道ほど小さく細く段差だらけである。電車を使って出勤する会社員はあたかも街の主人公のように広々とした道を通行できるが、電車を使わずに街を縦横無尽に回って用を済ます(スーパーに行ったり保育園に行ったりする)主婦などはあたかも脇役のような気分になる。これも私が結婚以来家事をし始めたからこそわかってきたとも言える。


そして教訓の2点目としては、「標準だけに特化して作られたインフラは標準の人にも牙をむく」ということである。
フェミ男はインフラが想定する標準利用者であるにも関わらず、海外渡航時には何度も回り道や追加的な労力を要求されることとなり、挙句人間の尊厳にまで危害が及びかけている。標準利用者であってもずっと標準的利用をするわけではないし、そのような場合には標準利用者に比して多大な不便・障害が発生するのである。
重要なのは、標準利用者も高齢化すれば体力がなくなり標準利用者から自然に外れることになるということだ。もちろん事故などで障害を負ってしまえば、なおさらである。標準利用者がその一生涯で標準利用者であり続けることはできないのならば、その限定的な標準利用者を想定している構造物は果たしてユニバーサルサービスを提供する”インフラ”たりえるのだろうか?


3点目は「インフラに牙を剥かれたら人はもらす」ということである。
そういうことだ。


問題の根本原因

では、この問題の根本原因はなんなのだろうか。私はインフラに関わる仕事している関係で、インフラや都市が作られる流れがある程度わかる。そこで、そうした都市・インフラの形成手順の観点から問題の根本原因を探ってみたい。

国家的な問題
 政府はインフラの導入予算編成だけでなく、インフラの設計基準なども国家として規定している。税収の拡大を盾に中央集権を強め続けている日本政府は、ほとんど県や自治体に対して権限や裁量を与えていない。したがって、インフラのガイドラインや設計基準は国がほとんど統一的に決めたものが全国一律で適用されているのである。
ガイドラインや設計基準は科学的根拠に基づくように政府が招集する委員会などで有識者を呼んで議論されて決められるのが通例である。しかし、その委員会に並ぶ人々はほとんどが標準利用者に近い人(健常な男性)である。土木や工学に女性が進出してきたのは最近であり、まだこのような委員会に呼ばれるほど高いポジションにいる女性の学識者などはほとんどいない。もちろん委員会での議論を経て策定されたガイドラインなどを発行するうえでの最終的な意思決定者は政府閣僚となるが、日本政府の男好きはまあ有名な話だ。とりあえず閣僚などの意思決定者にハゲか白髪のおっさんを据えておけばなんとかなると信じている。ジェンダーギャップ指数世界120位はダテではない。その結果男たちで議論して、男が意思決定をするプロセスとなるため、だれもガイドラインなどで見逃されている主体があると気付かない。

県・自治体の問題
県や自治体に占める女性の意思決定者も非常に少ない。私が仕事で見てきた限り、県や自治体で要職についてる女性など一人もいなかった。直接的にインフラ工事を発注する彼らも人々の使いやすさより、後ろ指を指されないように基準に合っているかどうかだけが気がかりであることが多い。国が示す基準さえ満たしていれば何かあっても国のせいにできるし、追加でなにかを行って責任問題に発展するのを特に嫌う。何より意思決定者はインフラによって不便を受けていない身であることが多いので、標準利用者以外が使うと不便だということをわかっていたとしても国の指定している基準以上のものを目指して労力やコストなどを割く動機が働かないのである。

建設業界の問題
ここまで行くと結末がわかってしまうのがすごいが、ここにもほとんど女性意思決定層はいない。私の会社についてもこの業界に当てはまるので同じような状態になっている。まず、民間企業であるため売上主義である。つまり残業しまくりで利益が減っても、売上さえ確保すれば許される。とすると残業してでも過度な仕事量を確保したほうが正解となり、残業をできないと評価されないということになる。(そうした評価が明文化されているわけではないが、残業をたくさんしてくれている人の評価をないがしろにできないのが日本人らしいところだ。)
こうしたなかで残業が社員全体で常態化していくと、普通に出産して子育てもして、仕事もやりたいという人(男女を問わず)が意思決定層側に昇進することは事実上不可能となる。最終的に家事も子育てもしたことがないかわりに多大な残業で会社に尽くしてきた人(主に男性)が評価されて昇進する。
この構造が本当かどうかはちゃんと調査をしなければわからないが、現実として弊社では意思決定層の9割以上が男性である。男女平等に(建前上)見える会社の評価・昇進制度はジェンダーギャップの解消に機能していないということ自体は事実ということである。
かくして、プロジェクトを監査する建設業界側の意思決定層に多様な視点がないため、建設業界からも標準利用者の枠を広げようとする提案などはまず出てこないのである。

まとめ

街やインフラを作るということは、長い時間その施設が残り続け、使い続けなければいけないということである。言い方を変えると、一度設計のなかで利用者が無視されるとその先何十年も取り返しがつかない。今の日本に求められるのはこの持続不可能な状態を抜本的に変化させることなのかもしれない。しかし、この状態はどこから変えていくべきなのだろうか? 全て同時に変えていく以外に道はないと私は考える。一つか二つの主体が変化したところで、三つすべてが変化しなければどれか一つがネックとなって改善されないという状況と考えられるからだ。
そう、早く気づいてアクションをとっていかなければ、都市はずっと人を排除し続ける。なにより早くしてくれないと私の肛門と尊厳が持たない。

※なお、実際には漏らしたと思っていたが、ただ空気が出ただけだったようだ。名誉挽回のために言うと私は自分の結婚式の前日に電車の中で漏らした以外は人生で一度も漏らしたことはない一般的な男性である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?