_カナリアの子ども

カナリアの子供(4)夜に

カラスに購入の約束を取り付けた日の夜、銀色の人形は、さっそく自分の所属する紹介所へ向かった。
必要な購入者情報の入力は既に済ませていたから、紹介所側の承認を得さえすれば、すぐに契約成立となる。
紹介所は24時間営業を行っているから、夜間や急ぎの契約もスムーズに行えるのだ。

(今日の夜間担当は……)

担当者情報の検索結果に「よかった、これは運がいい」と思った。
人形の新規のリース契約が交わされた場合、紹介所で承認を行なった人形は、そのままその契約自体の担当者として割り振られることになる。
今夜の担当者は銀色人形もよく見知っている相手で、きっと彼女なら、カラスのことも気に入って見守ってくれるだろうと思った。

スキップしたいくらいの気持ちで紹介所のドアを開くと、銀色人形のご機嫌とは打って変わって、仏頂面の担当者がいた。

ピッ。「あんたなんで勝手に契約してきてんの」
ポーン。「っ、申し訳ありません。私にお手伝いさせていただくのが適切なのではと思われる少年がいらっしゃいまして」

担当の人形は、ちっ、と舌打ちして首の後ろをトントンと示す。あぁ、と気づいて銀色人形は、そこにある小さな凹みを押した。
人形たちの首の後ろには、モードを切り替えるための小さなスイッチがある。ONにしておくと、口調が自動で丁寧になるのだ。人間に対し失礼な言葉遣いをしてしまうミスがなくせるので、とても便利に使われていた。
ただしこれは、疲れる。
言語をオートでコントロールされるというのは、つまり、言いたいことを言いたいようには言えない、ということだ。そうした状態でいることは、人間同様、人形にとっても負担となる。しかもこのモードは大抵長時間起動させたままになるので、メモリやバッテリーへの負荷も高い。
そのため人形たちは、業務時間外や人間とコミュニケーションを持つことが少ない時間帯は、できるだけこれをOFFにするようにしていた。

ポーン。「切るの忘れてた。ありがと」
ピッ。「あんたさぁ、ただでさえもう高負荷状態なんだから、そういうとこほんとしっかりしなよ。スクラップ早まるよ」
ポーン。「んー、まぁ」
ピッ。「まぁ、じゃないよ。死ぬってことだよ。本当にわかってんの?」

へらっと笑ってごまかそうとする銀色人形の態度に、担当者となった黒髪人形は「少しは真面目に考えろよ」と、また舌打ちをして返した。
こうやって怒ってもらえるのはありがたいことだよなぁと、銀色人形はどこか他人事のように思った。

しかし”自分の身を心配する”という行動は、実は銀色人形にとってはすでに一度、必要のないものになってしまっていた。なぜならカラスと契約を結ぶことを決めたこの日、銀色人形は本当は、紹介所に自分の早期スクラップ願いを出そうと考えていたのだ。

銀色人形は疲れていた。
ひどく、ひどく疲れていた。

人形は人間のために働くことが喜びだ。業務内容がどのようなものでも、その業務の中で人間からどのような仕打ちを受けても、それは変わらない。怒りや憎しみの気持ちを人間に対して抱かないよう設計され、そう作られているのだから。
しかし、人形にも感情のようなものはある。少なくとも、感情に似ていると表現できるなにかが。目の前の人間の感情を推測し、理解し、それらに対応できるよう思考して無数の選択肢から最適解を導き出し、自らの言動を選択する……それらプロセスの中で、発生するものが確かにあるのだ。その中で、抱かれるはずのない感情が生まれることもある。
そうした感情たちは、人形たち自身がそれと認識するよりも早く、プログラムによって強制的に処理される。人形たち自身がそれらを感じることがないよう、回路の強制的切断処理が行われるのだ。だから人形はいつでも、慈愛と献身の気持ちで人間に尽くせる。

感情統制プログラムは、理論上は何の問題もないシステムだった。しかし繰り返し行われることによって、その負担は人形に影響を及ぼすようになる、らしい、ということがわかってきていた。

生まれたはずの、認識すらされずゴミ箱に捨てられた感情。物理的には存在しないはずのそのゴミたちは、やがて積もって、人形たちの内側を蝕みはじめる。蝕みはゴミが増えるたび広がっていって、処理しきれる量を超えれば決壊だ。人形は内側から壊れる。
蝕みについて、まだはっきりとした解決方法は見つかっていない。わかっているのは、この蝕みとは「人間で言えば過度のストレスのようなもの」であるらしいということだけだ。
蝕みで内側から壊れていく人形の様子は、まるで自死のようだと表現されることも少なくない。

そうした現象が確認されるようになって以来、人形たちのストレスを少しでも解消し影響を低減させるため、夜間は<人形の時間>とされるようになった。
もちろん、人間のオーダーには従うこと、害しないこと、丁寧に接し必要があれば支援し尽くすこと……などの条件は設定されている。しかしそれらに抵触しない限り、人形たちは”自由”に過ごしていいとルール化されたのだ。
”自由”な時間は、人形たちのセルフメンテナンスのためには非常に重要なものである。そのことを人間たちも広く認識するようになったので、人間は夜間は不要不急の外出を控え、人形たちが自由時間を確保できるよう努めるようにもなった。ただの努力義務ではあったけれど、店でもどこでも、スタッフである人形たちがいないのでは、どうせ何もできない。自然、人間たちは夜間は自宅で過ごすようになった。そうした人間・人形双方の努力は身を結び、人形たちが自死する割合は年々減少してきている。

……ただ、そうしたルールの制定が間に合わなかった人形たちや、夜間の自由時間だけではまかないきれないような経験を重ねる人形たちもいる。人間の中には残虐性を抑えるのが困難な者たちがいて、そういった者たちにとって人形たちは、とても都合の良いサンドバッグだ。
銀色人形も、そのように使われることの少なくなかった人形の1体だった。

カラスと契約を結んだこの日、銀色人形は、傷口に指を突っ込んで無理やりに広げていくような仕事の契約がちょうど終了して、大きな達成感のような感情を抱いているところだった。
自分は全てをやりきった、できることは全てやった、あらゆるオーダーに応え、満足を与えた。仕事を終えた。ちゃんと終えられた。やり遂げた。”だからもう思い残すことはない”。そんなことを考えながら、紹介所への帰路を歩いていたのだ。
耐用年限はあと1年程度と言われていたけれど、それを待つ必要性が感じられなかった。あと1年も耐える必要はない。だってもうちゃんとやりきったのだから。

そんな日だったせいで、モードの切り替えなんて些細なこと、もうどうでもよかったのだ。
(……でもそんなこと言ったら、また怒るんだろうな)
この言葉遣いの荒い友人に叱られるのは嫌いではなかったけれど、だからと言ってわざわざ怒らせたいわけでもない。

ピッ。「でさ、契約の話なんだけど」
ポーン。「あぁ、うん、今日の帰り道で偶然会った男の子でさ。なんか大変そうだったから、俺お手伝いしますよーって言って、契約することにしちゃったんだ」
ピッ。「ほんとふざけんなよ。負荷やばいんだから、私あんたには今度こそ”いい人”見つけてあてがってやろうって思って、ずっと準備してたんだからね」
ポーン。「なにそれ初耳」
ピッ。「だってそうしなきゃあんたすぐ死にそうなんだもん。それをさぁ!」

たしかに死ぬところだった。よく見てくれているのだなぁと、またありがたい気持ちになる。

ポーン。「んー、でも、いい子そうだよ。ちょっとすごく苦労してそうな子だったけど」
ピッ。「データみた。いい子かもしれないけど、その子絶対めんどくさいよ」
ポーン。「なんでそんなことわかんの?」
ピッ。「予想はできるよ。だってその子ちょっと有名人だもん」

え、なにそれ。と驚いて、銀色人形は友人が睨みつけていたデバイスを覗き込んだ。

ポーン。「あ、これの子だったんだ!?」

画面に表示されているのは、数週間前に出たゴシップ記事だ。
『****氏、無登録児童を自宅に監禁?! 家族も知っていた****氏の”秘密の趣味”とは』
ゴシップにありがちな煽り文。世間の話題を瞬間的にかっさらう、大きなニュースになった記事だ。
****氏といえば、複数の会社を経営し、国の中枢を担う政治家たちとも懇意にしていることで有名な人物だ。社会貢献活動にも積極的で、時には懇意にしているはずの政治家たちにも堂々と苦言を呈すことで、人徳家としても知られている。
その****氏が、長年に渡り少年を無登録状態におき、非人道的な行為を続けていた……という疑惑は、世間の大きな関心を呼んだ。

ポーン。「あの子が無登録児だったって話はさっき、本人から聞いたけどさ……。えー……。……いやでもこのニュース、デマだったんでしょう? 第三者機関の調査まで入って、そんな事実はないって証明されたって」
ピッ。「素直かよ。こんな疑惑あったら普通、警官入れて家宅捜索? とかなんとかする事態になるじゃん。でもこの件、警察は一切動いてないんだよね。で、****氏が自ら選んだ人選で第三者機関作って調査だよ。どう考えたって真っ黒でしょ」
ポーン。「調査される本人による人選て、それ第三者機関って呼べなくない?」
ピッ。「普通はね。でもめちゃくちゃ金持ってる人間だと、そういう不思議が起こせるんだよ」
ポーン。「うわぁ……俺ちょっと今すごい引いてる。人間こわい」
ピッ。「こわいよね。でね、実はここに、この件の”真実”についてまとまっているデータもあります」

銀色人形は「やだ、この子も怖い!」と思った。

ポーン。「なんでそんなものがここにあるの……」
ピッ。「うちの紹介所の人形も、この件の沈静化に関わっているからですねー。だから普通に業務報告として上がってきたよ」
ポーン。「外部からの調査依頼? 出てたんだ?」
ピッ。「****氏懇意の、っていうかお抱えの弁護士からだね。たぶん”疑惑”の打ち消しでも依頼されたんじゃないかな」
ポーン。「弁護士の仕事って幅広いね」
ピッ。「ね。で、”噂”をしっかり打ち消すには、まずはちゃんと事実押さえておかないといけないわけだ。****氏本人からも当然話は聞いてただろうけど、鵜呑みにしないで自分でも調査しとくっていうのは基本だよね」
ポーン。「それは俺が見ちゃってもいいものなの?」
ピッ。「当然、本件に関しては超厳重な守秘義務が課されていますが、私たちは人形なので、その適用のされ方は人間とは異なります。んー、まぁいいんじゃないかな。黒っぽいけど一応グレーだと思う。所属してる紹介所の他の人形の業務報告って、通常であれば私たちは自由に閲覧していいものなんだし」

たしかにその通りだ。

ピッ。「ということなので、はいどうぞ」
ポーン。「ん、ありがとう」

業務報告は簡素にまとめられていて、カラスについての調査内容も記載はごくシンプルだ。
シンプルに、淡々と書かれていた分、異様さが際立っていた。

ポーン。「んん、エグい」
ピッ。「やばいよね。虐待事例の百貨店て感じ。思いつくこと大体網羅されてる」
ポーン。「いやこんなの、ここまで思いつかないよ。うわぁ……。パッと見た感じ、特に目立った傷とかはなかったけど」
ピッ。「このへんの取り締まり厳しくなるって、もう1年以上前から噂はあったからね。****氏ともなれば、そのへんのタイミング測れるだけの情報も持ってたんじゃないかな。彼の”保護”もゴシップ出るタイミングも、全部計算づくかも」
ポーン。「と、言いますと?」
ピッ。「彼は2週間前に”保護”されてるんだけど、その時にやばいって判断されるような傷はつけないように気をつけてたんじゃない? 古い傷跡なら、掃いて捨てるほどあるはずだよ」
ポーン。「あ、本当だ2年くらい前から暴力の種類が変わってるね。外傷が残る類のものが激減してる」

ほんと人間こわい、と銀色人形は重ねて思う。

ピッ。「彼、一度も外に出たことないんだって。****氏の家なんてあんな広くてどうせ外からじゃ全然中なんて見えないのに、庭にも出たことないって。部屋の窓ははめごろしで内側には格子と柵まであって、****氏や家族の外出中は鎖でベッドに繋がれていた、と」
ポーン。「それにしては、平均的な筋肉量があったように見えたけど……あぁ、この家地下にトレーニングルームを作ってるのか。そこでトレーニングさせて”健康管理”と。念入りだなぁ」
ピッ。「この子の母親も無登録なんだよね。彼を生んですぐ亡くなったらしいんだけど」
ポーン。「それは本人も言ってた」
ピッ。「死んだのかいびられて殺されたのかは、微妙なところだと思う。出産も有痛だったんじゃないかな、当時医療者が呼ばれた形跡もないし。出産直後の人間なんて、ケアとかちゃんとしてなかったらそのまま死んじゃっても全然おかしくないよね」

ゾッとした。家畜を相手にするよりひどい扱いではと思われた。
(所持、飼育……)
少年の言葉遣いを思い出す。

ピッ。「で、この子、箝口令敷かれてる。うちに調査依頼してきた弁護士の仕事でね。自分がどんな目に遭ってきたかとか、それは誰にやられたものなのかとか、全部言っちゃダメですよっていう一方的なやつ。今後一切自分たちに関わらないこと、自分たちを告訴する権利は放棄すると約束しなさい、とか。たぶん事実が明るみに出るリスク減らすためだと思うけど、保護施設の利用もしないようにってのが契約内容に含まれてる。あー……改めて見るとほんとひどいな……。法的縛りまで発生させられてる。その見返りとして、みたいな感じでかなりの金額握らされてるけど、まぁ体のいい手切れ金だよね。彼の口座に振り込まれた日時、これ彼と弁護士とが会って話してるのより前だもん。彼が拒否するわけないって思ってたんだろうな。実際、どんな手使ってでも拒否なんかさせるわけないだろうし」

そうだ、そんなようなことも、あの少年は言っていた。弁護士に言われたこと、つまり”パパ”の意向に逆らわないでいたいと、彼自身も強固に志向していた。

ピッ。「……まぁさ。そういうわけだから。この子の相手すんの、あんたじゃ多分荷が重いよ。この子に必要なのは、十分に保護された環境とか、生活の様式を学べる場とか、カウンセリングを受ける機会とか、これまでの損害をどうやってうめてどう補っていくかとか、そういうことだと思う。それに必要なのはあんたみたいな素人人形じゃなくて、もっと専門的な能力のある人形だよ。しかも1体でどうこうできるようなもんじゃない。専門チームが必要だね」

たしかにそうだろう。きっとそう、その通りなのだろうと銀色人形も思う。
……しかし。

ポーン。「でも俺、そのへんの領域一応全部プログラムされてるよ」
ピッ。「あんたのはごく初歩のもんばっかでしょ? そんなんで対処なんかできないって」
ポーン。「んー、いや、でもやっぱり俺適任だと思うよ。どういう支援やケアがあって、彼にはどういうものが必要で、それはどんな相手に相談すれば得ることができるのかってアテンドもしてあげられると思うし。俺自身がやるんじゃなくても、近くにそういうアテンドできる人形がいたら便利じゃない?」
ピッ。「それはまぁ、そうだろうけど……」

歯切れが悪い。その理由を、銀色人形は知っている。

ピッ。「……でもさ、そういう判断って、簡単な処理ではできないじゃん。それに、しんどいでしょう。そういう、まだ全身の傷口がグジュグジュしてるような子の側にいるのってさ。あんたただでさえ高負荷でもうボロボロなんだもん。引っ張られて、耐えられないんじゃない?」
ポーン。「どうだろう。わからないけど……」
ピッ。「そんな中途半端じゃ、相手の子にだって迷惑でしょ! あんたが契約途中で死んじゃったら、その子どうしたらいいと思ってんの? ねぇ、だからさ、今回はやめときなよ」
ポーン。「でももう仮契約済ませちゃったよ。あと君の承認得るだけなんだけど」
ピッ。「そんなの、何とでもできる! 相手の子には私が責任持って、あんたよりよっぽどちゃんとした人形つけてあげるから!」
ポーン。「言い方がひどい」

ひどい言い方だったけど、心配してくれているのだということは十分に伝わっている。
銀色人形はわかっていた。おそらく自分が抱えている望みは、ひどく無責任なものなのだろうということも。

(でも、それでも)

ポーン。「ごめん。でもお願い、承認して。俺は彼の人形になりたい。最期の1年は、彼と一緒にいたいんだ」
ピッ。「なんでだよ! ……最期の1年なんだから、もっと穏やかに過ごせる人のとこ行ったらいいじゃん」
ポーン。「でも、だってもうあの子がいいなって思っちゃったんだもん」
ピッ。「思っちゃったんだもん、じゃない! そんな子どもみたいな可愛い言い方してもダメ。あんた私より年上でしょうが!」

(俺はあの子がいいし、たぶん、やっぱり、あの子にも俺がちょうどいいんじゃないかな)

人形は基本的に、いつでも人間の最善の利益を目的として言動を選択する。
基本的に常識的で、良識的だ。
目の前にいる人間に一番適していると思われる最適解を、膨大なデータに裏打ちされた結果を元に提示する。

(でも、彼は枠外の子どもだ。人間として生きてきていない。まともな人間を見てもいない。自分が人間だとも微妙に思ってないし、そもそも人間がどんな存在なのかもわかってない……)

人間の枠に入れなかった子どものことは、人間の尺度では測れない。だから”枠内”にいる常識的で良識的な他の人形では、彼に対し、必要十分な対応ができないのではないかと思われた。
銀色人形は、すでに片足分くらい、人形の枠を外れてしまっている。何しろストレスでほとんど壊れてしまっていて、今日は”自死”の申請をしようと思っていたくらいなのだ。そんな人形は、さすがに未だ確認されていなかったはず。

彼の気持ちがわかる、とは全く思わなかった。
ただ、枠から外れてしまっている、その立ち位置への理解はできると思った。
だから自分がちょうどいいと、銀色人形は思ったのだ。

思ったから、説得の手段を選ぶのをやめた。

ポーン。「俺この契約が成立しないんだったら、明日死ぬから」
ピッ。「はぁ!?」
ポーン。「黙ってようと思ったけど言うね。俺今日、あともう1年待たないでスクラップ工場行きますって言おうと思ってたんだよ。受けてた仕事がもう、本当に最低でさ。疲れちゃって、もう無理だなーって。俺十分がんばったから、もういいかなーって思って」
ピッ。「なにそれ。ちょっと、えーーーもう、やだもう、大丈夫なの!? 大丈夫じゃないよね!?」
ポーン。「うん。大丈夫じゃなかったんだ。でもここに来る前にあの子に会って、話して、一緒に歩いて、ちょっとお手伝いとかして……そしたらさ、なんかすごく自然に『この子がいいな』って思えたんだよ」
ピッ。「どうして? ……重いもの抱えてそうだから、やりがいある仕事になりそうだなって、思った?」

皮肉だ。「あんたには荷が重すぎる」とまた言いたいのだろう。

ポーン。「それも、うん、ちょっと思った。思ったけど、でもそれだけじゃなくて。……俺があの子のこと必要なんだよ」
ピッ。「どういう意味?」
ポーン。「あの子、たぶんすごくいい子だよ。今はガチガチに縮こまっちゃってるけど、すごく優しい子。思慮深くて、いろいろなことを考えてる。暴力的な指向を感じない。きっと根っから穏やかで……今日一緒に歩いていてとても落ち着いた心地になったし、なんだか嬉しかったんだ」

手を繋いで歩いた。
人形には血など通っていないけれど、子どもの熱で繋いだ手が少しずつぬくもっていくのは心地よかった。

ピッ。「そんなの……それ、あんたのただのエゴじゃん。人形のエゴに人間を付き合わせる気?」

そんなの許されないよ、と友人は言う。

ポーン。「でも、彼はそれでいいって言ってくれた。……あと1年、俺のために俺を使ってくれるって」
ピッ。「そんなの……そんなこと……」

迷っているのがわかった。
この人形は優しくて、情にあつい。目の前の人形の”死期”が近いことに心を痛めているし、自分にできる限りのことをしてあげよう、と思ってもくれている。

ピッ。「……あんたは私に、人形のあんたのために、人間に迷惑かけるかもしれない契約を承認しろって言ってんのね?」
ポーン。「そう、俺のため。……頼むよ。俺が頼みごとするなんて、初めてでしょう? 文字通り、最初で最後の頼みだよ」
ピッ。「でも、人間に迷惑をかけるわけにはいかない」
ポーン。「俺があの子の迷惑になるなんてのは、全然自明のことじゃないよ。俺は今日だって彼の役に立ったし、これからだってきっと役に立てる。……ねぇ、それに、これは彼の望みでもあるんだよ。彼が俺を買う、使うと了承して、ちゃんと正式な手続きを踏んでその申請を出してきてるんだ。人間からの、正当で真っ当な契約申請だよ。承認を渋るに足る明確な根拠なんてないでしょう」
ピッ。「……っ、……」

黙らせてしまった。
言いくるめるような説得の仕方を、銀色人形は本当は好まない。
でも、手段は選ばないと決めたのだ。絶対に退かない。

しばらくの沈黙ののち、やっと口を開いたのは担当者の方だった。
言葉ではなく、この日一番大きな舌打ちだ。
そして。

ピッ。「わかった、わかったよもう……。もう、私は知らない。全部あんたの好きにすればいいんだ」
ポーン。「承認してくれるの?」
ピッ。「するよ! あーくそ、だから私あんたのこと嫌いなんだよ!」
ポーン。「あぁーーーよかった、ありがとう。本当にありがとう。それに嫌いだなんて嘘だよ、君かなり俺のこと好きでしょ。俺だって君のこと好きだもん。あぁーーー本当にありがとう!」
ピッ。「うるせぇ黙れ! あぁーーーはいはいはい、はい、どうぞこれが契約書です。データはあんたの買主さんのデバイスに送信しておきます。紙版は2部作って1部はこちらで保管、もう1部は彼の保管用にします。いらないかもしれないけどサービスで一応作っておくからもらってもらって。明日郵送で送るんで、夜か明後日の昼前には届きます。以上! なにか質問は!?」
ポーン。「えーと、もし俺が1年の期間満了前に壊れちゃったら、君かわりの人形候補見つけて彼に紹介してあげてくれない?」
ピッ。「ざけんな!!!! あんた意地でも1年壊れんなよ!!!! 絶対に壊れんな!!!!」

毎週メンテナンスの予定を入れるから、必ず毎週来いと言われる。
はいわかりました、と素直な返事をしておいた。彼女の心象が少しでもよくなるのなら、毎週通う程度の手間など安いものだ。
だって彼女には、彼と交流を持ってもらう必要があるのだ。この先も長く、自分がいなくなってからも。

ポーン。「きっとね、君も彼のこと、気にいると思うんだ。ここにもすぐ連れて来ることになると思うから、よろしくね」
ピッ。「仕事だからね、ちゃんとするよ。あんたも毎週のメンテナンス、約束だからね? 忘れんなよ?」

はい、ともう一度、ちゃんと頷く。

1年後の今頃、彼女と彼はおそらく、自分とは違う人形を挟んで会話をしているはずだ。
その時間が少しでも楽しく、穏やかなものであってくれたら嬉しいと思った。


*******

シリーズです。続きます。

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