料理することができなかった話

“料理すること”ができなかった話

ツイッターで、『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』という書籍について、
#ダメ女教室 というタグを見つけました。

この書籍についての、また #ダメ女教室 タグでのツイートを読んでいるうちに
「これはもしかして、かつての私自身にオススメしてあげたい本では?」
「10年前の私みたいな人にはオススメなのでは?」
「ついでに、10年前の私みたいな男性にだってオススメなのでは?」
という気持ちが強くなりました。

以下は、この本の存在を知る1日前、くらいに書いていた文章です。
気持ちの整理のための走り書きで、公開しないつもりだったのですが
タイミングの妙みたいなものを感じたので、アップしてみることにしました。

***

昔から家庭科が苦手でした。
手先がとにかく不器用ですので、裁縫とかそういうのもそうなのですが(糸通しを使っても、なかなか針に糸が通せませんでした)
特に困難だったのが、料理です。

私は食いしん坊です。
胃弱ですが、食いしん坊。
夫が私の食い気に恐れをなすようなこともしばしば。
量も、夫と同量(かそれ以上)に食べます。

美味しいものが食べたい。
しかし、料理をすること、は、からきしダメでした。

それもそのはず。
私はかつて、料理をしたことがほとんどなかったのです。

「料理なんて、できるできないではなく、するかしないかだ」という話とは、少し違います。
料理なんて、とりわけ上手ではなくても、やればある程度はできるもの。
する必要があるからしなきゃいけなくて、すればいいだけのもの。
それは、そうなのでしょう。
でも、それは、
「料理することが怖くて仕方がない、というわけではない」場合の話
です。

私は料理恐怖症でした。

私のような料理恐怖症のタイプの場合、まず“料理する”ことへのハードルが高いです。
まず、というか、ほぼこれが全てです。

最初は“恐怖”だとは認識していなかったのです。

料理をしたことがない

うまくできない

しなくていいならしなくてもいいよね、
というくらいの状態だと思っていました。

この図式、
これはこれで間違ってはないのだとも思います。
しなくていいなら、本当に、別にしなくてもいいのでしょう。

でも、
「手分けしてみんなで作ろう」みたいになった時の、居心地の悪さったらないんです。
みんな、手際がいいなり、悪いなり、それなりに作業をしていく中で、固まってしまうばかりの私。
見兼ねて指示を出してもらうのですが、
それはつまり、その人に「指示を出す」という負担をかけてしまっているということ。
申し訳なく、罪悪感すらわいてくる始末です。

これは不便。

そう思って、こっそりと(後輩や友人のおうちで)練習していた時期もありました。
そして、作れるは作れるし、まぁ美味しいし、楽しくもある、ということもわかりました。
でも、疲労度がひどかった。

なんだか疲れてしまって、ちょっと明日1日くらいもうご飯食べなくてもいいや、とか思っちゃうレベル。
そして「やっぱり料理するのって、なんかイヤだな」と、あらためて感じられてしまうのです。

なんでこんなことになってるのだろう、と考えた結果、たどり着いたのが
「私は料理するのが怖いんだ」
という結論でした。

料理すること自体が、そして、料理が“うまく”できないことが、異様に怖かったのです。
回数こなしてないんだから、うまくできないのは当たり前。
しかし私には、そうは認識できていませんでした。

「たかが料理で、無様は決して許されない」
これが私の感覚でした。

そこまで思い至ってはじめて、
「あー、なるほどね」
「私がこう感じても、それも当然か」
という気持ちがわいてきました。
だって私は、そういう風に作られたので。

私は長子だったのですが、
父は長子には男の子を望んでおり、
「なぜお前は男じゃないんだ、女なんかに生まれやがって」
と言われつつ育ちました。
母はしばしば、長子に産んだのが女(私)だったことで責められていました。
そして父の機嫌が悪く、いろいろ言われたような夜には、「ごめんね」と謝られたりもしたものでした。

女の身でありつつ、長子だったので、
私はなんだか“跡取り息子”のような育てられ方をしてきました。
基準としては、
ともかく勉強できることが一番。
運動が苦手なのは仕方がない(小学校に入る前は、1年の3〜4分の1は入院しているような、体が弱い子どもだったのです)。
服装に興味を持つことや、可愛らしいもの(たとえばフリルとかピンクとかジュエリーを模ったアクセサリーおもちゃとか)に興味を持つことは望ましくない。
いわゆる“女ジェンダー的”とみなされるものや行為の、少なくないものが、私にとってはアンタッチャブルでした。
料理も、そのひとつ。

私は台所に入ることを良しとされず、「そんなこと」よりも勉強に励むよう、推奨されました。
一方で、
父が家庭料理に求めるハードルは、思えば決して低くはありませんでした。
一汁三菜以上であることや、1日に32品目以上をとることは、最低限の大前提。
そして母は、それに完璧に答えていました。
料理の得意な人だったし、有資格者だったし。

料理そのものから遠ざけられる一方で、私の中の「料理の完成形」のイメージは、とても高く設定されてしまったのでした。

高設定なのに「料理ごとき、お前はするな」と言われ、当然、手も足も出ないレベルでできないままでいる中、
しかし、母親が体調を崩した時などは、料理をすることを、私もまた求められました。
なぜなら私は、長女だったので。
母親が使い物にならないときは、長女の出番です。
でも、作れません。
作れるわけもありません。

料理には限りませんが、
父の世話をするために、友達との約束を反故にさせられることはよくありました。
遊べなくなった、という謝罪の電話も、途中で切られたりしました。
(父は、家族が電話を使うことをとても嫌っていたので、途中で切られるほか、話し終わった後に怒鳴り叱られることも多かったです)

そんな中で料理をするわけですが、
できないので、せいぜい、お湯を沸かして注ぐだけのものとか、スパゲティを茹でてソースをかけるだけとかになります。

結果、また叱られ、怒鳴り、罵られます。

どうしてその程度しかできないのか。
なぜそんなこともできないのか。
女のくせに。
と。
男でもないくせに、女のことすらできないのか。
と。

もうね、
食いしん坊でい続けられたことが奇跡じゃねぇか!
と、今なら思います。
「ご飯なんて食べたくない」ってなっちゃっても、全然おかしくない。

・そもそも料理は「くだらない、低レベルな作業」である、という印象がある
・一方で、料理の完成形のレベル設定が高すぎる
・さらに「自分にはできない」気持ちが強い
・できないことが酷く情けないことで、悪いことであると思っている
・失敗したら、ひどいことになる、と学習してしまっている

の、5点セット。

たかがこれだけのことができない自分はひどくダメなやつで、
ダメなやつと知れると大変によくないことが起きるので、
「できない」ことがバレてはいけない、
バレないためには、料理などしないでいたほうがいい、
という思考回路
です。

料理恐怖症のできあがり。
どうしようもないな、と思いました。

ちなみに、
料理をしない・できないっていう男性のうちの何割かは、こういう状態に陥っちゃってるのが原因なんじゃないかなー、など思うことがあります。

これ、内面の動きとしては
自縄自縛でしかないのですが、
性的規範とかジェンダーロールとかとも絡んでる話で、
つまりはそういう、有形無形の社会の仕組みになっているわけなので、
なかなか難しいよな……と思います。

くり返しますが、
料理は、「しなくてもいいならしないでいい」のだと思います。

しかし私は、ちょっとくらいは作れるようになりたい、と思いました。

うちはパートナー(夫)が、普通に料理をします。
器用なので、なんだかうまいです。
ありがたく、美味しくいただきます。
しあわせです。
でも、夫(このことに気づいた当時は彼氏)ばかりに作らせるのは、やはり心苦しいのです。

そして、ともかく私は食いしん坊でした。
私は私の食べたいものを、食べたい味で、作りたい!

と、いうことで、
「まず私は、私が作りたいって思えるような状態を作ろう!」と決めたのです。

当時彼氏だった夫のおうちで練習させてもらったり、
食べたい料理ののってるレシピ本を買って食欲を増幅してみたり、
趣味で創作をしていたので、
なにかいっこ書いたらいっこ作る、ような仕組みを作ってみたり。

そんな、なんだかいろいろが功を奏して
私は“料理をすることができる”ようになったのでした。

結果、
玉ねぎを炒める多幸感を知り、
煮物をグツグツ・コトコトする嬉しさを知り、
美味しさも兼ね備えた気分転換ができるようになり、
いいことだらけでした。

なにより、人生が楽になりました。
食べたいものを、食べたいように作って食べるしあわせ。
誰かと一緒に作れるしあわせ。
もう誰かが近くで料理していても、心苦しくない!

とはいえ、これはもちろん単なる、私の場合の話です。
それに、日々の料理は正直、面倒くさいし。

実は私は、仕事のある日は、夫の朝食を作ったことがありません。
夫の方が早起きで、早く出て行くので、
自分の分は自分でどうにかして、勝手に食べて出て行きます。

作るのが好き、作れるようになった、と言っても、その程度。
(なお、お見送りは欠かしません。したいので)

でも、本当に楽。

料理をすることができない、という人は、
もし気持ちがあるのであれば、
何かしらの対策を考えてみてもいいかもね、とは思いました。
どんな対策がいいのかとかはもちろん、本当にそれがいいことなのかどうかも、わからないですが。

ちょっと踏ん張ってみる価値はあるかもなー、と思いました。

誰のためでもなく、ただ、自分のために。
美味しいものを、もっと楽な気持ちで、もっと美味しく食べられるために。
料理は、きっと力になってくれるよ。
と、思ったのでした。

おしまい。

以上、全文無料でした。

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