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♬念願叶う喜び ー日本の詩歌全集ー♬

このコロナ禍、念願叶って買ったものがあってそれは「日本の詩歌」という中央公論社から出ていた全31冊の全集だった。

私は高校生の頃から詩が好きで、友達に見つからぬようこっそりポケットに忍ばせた高村光太郎や中原中也の詩をつぶやきながら歩くような学生だった。学校の勉強こそ全く頭に入らなかったが、与謝野晶子の短歌などは結構な数覚えたりするド変態で、そしてそれは一人暮らしになった大学生になっても続き、ますますドップリ詩の世界にのめり込んでいった。その時のバイブルとして出会ったのが「日本の詩歌」だった。

ただこれはあまり出回らなかったかなり希少な絶版本で、一人暮らしの大学生なんて家賃とメシ代ですべてのカネが消えるからそんな全集を買うおカネなんてなかった。だからほとんどは図書館で借りてくるしかなかったが、ある時、行きつけの古本屋で「日本の詩歌」が全て揃いで売られていたことがあって「10万円」の値札が付いていた。

「おじさん!日本の詩歌、入ったんですか!10万、安い!」

古本屋のおじさんとは既に顔なじみになっていて、私がこの全集に目をつけていたのも彼は知っていたから「町野君なら8万円でいいよ」言ってくれもしたが、貧乏学生には8万円でもきつい。だから学校帰り、店の奥の本棚にきっちり収められた「日本の詩歌」を眺めて「ああよかった、まだある」と安心しながらも、手に入らないもどかしさにため息をついてトボトボ家に帰るという日を続けた。
そして1年以上が経過したある日。その古本屋から「日本の詩歌」が忽然と消えた。

「あ・・・お・・・おじさん!【日本の詩歌】は!!」
「ああ、町野君・・・昨日売れちゃってね」

言われたときはかなりの衝撃で、親の死と大失恋が同時に来たような激しい胸の痛みを覚えてその場に立ちすくんだ。

「うおおーーー!・・・ちくしょう!ちくしょう!」

ヤケクソになって猛スピードで自転車をこぎ、

「こんなことなら!
 半年くらい家賃滞納してでも買っとくんだった!」

思ったが後の祭り。そしてこの時、べそかきながら強く心に決めたのが

「俺は買う!
 こうなったら何が何でも、社会人になって金貯めて手に入れる!」

という思いだったが、社会人になると詩の世界からは一気に離れた。というより、文学そのものが不要になった。私と対峙した実社会は、文学を鼻で笑い飛ばした。あれだけ好きだった太宰や三島、高村光太郎や中原中也は何の役にも立たなかった。
私の本棚からは詩も評論も小説も全部消えて、俄然、ビジネス書が並ぶようになった。

あれから約30年。私は会社を辞めて独立した。そしてコロナ禍。
なんだか現実ばかりを見つめていては苦しくなる窮屈な時間がやってきて私は再び文学に手を伸ばす。その時思い出したのが、お金がなくて手に入れられなかった「日本の詩歌」。

「今なら、一体いくらで手に入れられるのだろう?」

思って検索したら

「日本の詩歌 全31冊 ¥7000(送料込)」

ケタを間違えているんじゃなかろうかと目を疑ったがどうやら本当らしい。パソコンの前で

「マジか!マジかよっ!!ネット社会、ありがとう!」

飛び上がって叫ぶ。かなり古い本だから状態が悪いことは仕方がないが、あの、夢にまで見た懐かしい本が私の手に入るなら絶対に欲しい!と即座に申し込んだ。

30年越し。待ちに待った「日本の詩歌」が今、私の手元にある。
到着した日は事務所でずっとそれを眺め、ニコニコして撫でながら酒を飲んだ。

老眼になってしまったから細かい字は見にくいが、今、青年時代を思い出すように少しずつ読んでいる。

文学は社会の役には立たない。
音楽だってスポーツだって、それが直接、社会の役に立つことはない。
でも、私一人、あなた一人にとってはその存在が役に立つ。
私の好きなもの、あなたにとって大切なものがそれぞれのエネルギーになる。
私の場合、美しくも激しい詩人の感性に胸が熱くなって、明日もまた頑張ろうと思える。

芸術やスポーツは、個人の原動力となって社会を回す。

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