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路上で考える



よく道端で急に立ち止まることがある。
もちろん、通行人の邪魔にならないように配慮はしている。
それはなぜか、
写真を撮りたくなる事を見つけてしまうから。
それはぴったりと等間隔のように折れた枝が連なって地面にころがっていたり、それを夕日が照らして影というフチを付けてより立体的にみえていたり
木の幹の模様が顔に見えたり、横切る車と自転車に情緒を覚えたりなどなど。
これはある種、呪いのようなもので、カメラを心の生業としている人は割とわかってくれるかもしれない。

粒子がフイルムには乗っていて、
それが昨今のフィルムカメラ回帰という
ニッチで密かな流行りの理由な気がしている。
所謂デジタルの高画素高画質の様に
自分の眼で視ている世界はそんなにクリアだろうか。
記憶の中の思い出は鮮明で色褪せない映像を保持しているだろうか。
完全記憶の持ち主がごく少数いる事は知っている。
自分はそうではないから分からないが
でもその人たちの感覚でも、きっと視ている世界は
透き通るデジタルの様なものでは無いんじゃないかと勝手に思っている。
空気感 湿度 感情 季節 風 場所
様々なその時々のフィルターやノイズを受け取って
そのシーンを記憶する。
構成物質。
逆に記憶にない、記憶されない視ていないスポット
それはきっとクリアで鮮明なのかもしれないと
ふと思い立った。

自分も、フイルムの様な粒子感のある写真がすごく好きだ。
趣味で撮るスマートホンやデジカメの写真は
自分が思う『フィルム写真』らしさを思い出し誇張ながらレタッチする。
主に、夏に撮った神田明神の神輿の
35mmのリバーサルフィルムのイロ。
それと、ヤフオクで手に入れたセミレオタックスという中判カメラで撮った645のリバーサルのイロ
または、アクロスやトライXのモノクローム。
今は、そんなフィルムカメラで切り取った写真を思い出に、iphoneで仕事の帰り道にスナップを撮り続けている。
そんなことを路上で撮って考え続けている。

つづく

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