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ミコ・ぺレド、スピーチ(1)

最近鑑賞したイスラエルのパレスチナ占領ドキュメンタリー、「Walled Off」。バンクシーによる同名のベツレハムのホテルの展示を元に構築されたドキュメンタリーで、占領下に生きるパレスチナ人の生活や、どうしてそうなったか、イスラエルの右傾化への軌跡などが語られる。

ピンクフロイド、ロジャー・ウォーター製作

その中で大きくフィーチャーされていたのが、パレスチナ解放活動家のミコ・ペレド氏のUCサンディエゴ大学での2020年のスピーチだった。

ミコ・ペレド氏は少し前に
「イスラエルの占領の話より先に、まずはハマスの攻撃を非難しましょうと言われる。私たちはとうとう狂ったのか(Are we out of our minds!?)!?」
と叫んでいたビデオが拡散されていた。

彼は話し方とか、少しアグレッシブだけど実は心優しい、みたいな所が、私の中で、NYCでよく見た「めっさ優秀なユダヤ人」で、親しみを感じていた。

映画内のスピーチの全容をyoutubeで見つけたので見てみたら素晴らしかったので、皆さんと共有したく、抄訳します。英語分かる人は是非見て欲しい。

これは2020、10/7以前のトランプ政権の時のスピーチ。


イスラエル人として育つこと


イスラエル/パレスチナ出身の人はここにいますか?

イスラエル/パレスチナに行った事ある人は?

世界地図の中でイスラエル/パレスチナを見つけられなかった人はいますか?

すごく小さいでしょう。私たちはイスラエル/パレスチナの事を散々話題にしますが、とても小さい国なんです。こんな小さな国のことを議論し、戦っているのです。

日本よりずっと小さいですね

米国ではこの問題に関して「中立」はあり得ません。どちらを支持する人も、心から、情熱を持って支持しています。とんでもない額の税収がイスラエルに使われているからです。ですので立ち上がってその現状に対して声を上げない限り、あなたはイスラエル支持だ。あなたの税金なんです。どこにどうやって使われているか知る必要がある。

すごい額です

その上で米国イスラエルへの経済支援が正当だと思うなら問題ない。しかしそれに反対ならば、声を上げなければならない。

私はエルサレム出身です。軍司令官の息子です。イスラエル/シオニズムについて勉強したのでは無い。生きているだけで吸収していた。そのど真ん中で育った。イスラエル人にとって、軍隊が全て。司令官の息子と言えば人々は驚嘆する。父親だけではなく、私の親戚には元総理大臣、大使、閣僚もいる。そして家族の間での会話はいつも「国家のために何ができるか」「国家のために何をすべきか」「国家に貢献する自分達がいかに誇らしいか」国家、国家、国家、、、、、ぶっちゃけ、今にして思えばファシズム風だった。

今現在私は、パレスチナ解放運動の一員として、シオニズムとイスラエル国家を完全に否定する立場だ。

私の著書"General's Son: Journey of an Israeli in Palestine”は愛国一家として育った私が、どうしてそうなったのか、という経緯を書いている。

あちらの世界

パレスチナはどこですか?

イスラエルはどこでしょう?

1948年、5月15日。「パレスチナ」は「イスラエル」になった。どうして?どのように?

私の家族にはそのプロセスに参加していた者も多数います。そのプロセスは「heroic」で誇らしいものだったと教わった。私が育った環境は「priviledged 特権的」な世界(sphere)です。電気が来ている。水がいつでも使える。道路は舗装され、芝生が欲しければ芝生を持てる。安全な世界。

そういう私達の世界とは違う世界に生きる人々がいる。その人達は我々より劣った存在なのだ、と教わる。洗練されてない、教育されてない、自分で何もできない、そして危険な人々。彼らは我々を憎んでいて、我々を殺したいと思っている、と。だから「あっちの世界」には行ってはいけないのだ、と。

「こっちの世界=特権世界」は居心地がよい。ここにいるあなた達もそこに属しています。そうじゃなかったら大学なんかいけない。なので「あちらの世界」を見に行く人は少ない。「危険」で「殺される」と子供の頃から聞かされる。

パレスチナ(*彼はこの国の事をパレスチナ、と呼びます)ではその二つの世界が隣り合って存在している。

私はエルサレムで育った。

「エルサレムは融和の町だ」と言います。しかしあそこでパレスチナ人と知り合いになったことは一度も無い。学校でイスラエル人とパレスチナ人が一緒に行うイベントなんて無かった。彼らは違う学校に行くし、違う地域に住んでいるし、違う言語を話す。服装だって違う。

エルサレムでさえ、そのような人種分離が完璧に施されている。とても効果的だ。そして国中がその調子なのだ。

私は「あちらの世界」に行こうと決めた。地理的にはすぐそこなので物理的に何も難しいことはない。しかし、感情的に、政治的に、精神的に、全ての面であちらの世界はとても遠いのです。だから自分のようなパレスチナで育ったイスラエル人は「あちらの世界」には行かないのです。今でも、です。

先週パレスチナに行っていた。現地で車でパレスチナ人の街に行こうとすると、周りのイスラエル人は「本気か?危ないだろう!?泊まるのか!?」と心配する。

そのような壮大な旅に出て、自分にとっての真実を書き換える、自分がこれまでずっと信じていた事を根本的なところから見直し学び直す事は難しい。一般的に、ある個人がその一歩を踏み出すのは、悲しいかな、とんでもない不幸が起こった時だ。

私にとっては姪がそれでした。13歳の姪は1997の自爆テロの犠牲者だった。

ben yehuda street bombing 1997。犠牲者5名。

私は考えた。三人の若者が自分の命をあのような暴力的な方法で手放し、無垢の市民を巻き添えにする。どうして、そんな事が起こるのか?何が彼らをそうさせるのか?どうやったら私達はそれを理解できる?

理解できるかどうかは分からないけど、理解する努力はしないといけない。

事件が起こった時私は米国に暮らしていた。このサンディエゴで、人生で初めてパレスチナ人の家に訪問し、パレスチナ 人と話をした。「融和の町」エルサレムで育った私は、サンディエゴで初めてパレスチナ人と対話をしたのだ。

今でも覚えている。ランチョ・バーナードのパレスチナ人の家庭に行った。運転して、彼の家の扉の外に立ち、呼び鈴を押した。私には恐怖があった。大きなステップだった。

特権世界の住人

次の大きなステップはパレスチナ(*イスラエルと呼ばれる国のことです)でパレスチナ人の街に行った時。自分で運転してヨルダン西岸地区に行った。今日、死ぬんだ、とまで思っていた。美しい丘陵地帯も、オリーブの木々も目に入らない。アラブ人がそこかしこに隠れていて、自分を殺すんだ、と思っていたから。

私がパレスチナ人の街に行くというとイスラエル人の友達は「大丈夫か。危険だろう?」と言う。「そんな事ないよ、一緒においでよ。」と言うと「いやいや!彼らは君のことは知っているかも知れないけど、自分が行ったら大変なことになるだろう。」と言う。

イスラエル人の自分がチェックポイントを超えると、現地人は皆立ち止まって、自分を凝視するだろう。殺したいかも知れない。傷つけたいかも知れない。誘拐したいかも知れない。奴らは他にやることはないんだから。そう言う妄想を私達は皆持っている。

これが、「特権世界の住人」のメンタリティだ。「自分は超重要人物なのだから、あちらの世界では人々は自分を重要な敵だと思うだろう。」

さて私はチェックポイントを通過した。何も起こらなかった。誰も、私の事など気にしなかった。車は止まらなかったし、店は閉まらなかった。誰も武器を持っていなかった。私がそこにいることを気にする人はいなかった。とてもショックだった。

この深い洗脳は外から見たら信じられないだろう。

しかしこれが特権世界の住人のノーマルだ。

「彼らは自分たちを殺したいと思っている。」なぜか。「彼らはそういう人間だからだ」。
私達が彼らから土地を奪ったからでない。私たちが彼らの水を奪うからでもない。私たちが彼らの子供を殺すからでもない。私たちが彼らを理由なく収監するからでない。「彼らは不条理に私たちを憎んでいる。」

しかし実際はパレスチナでの暴力はパレスチナ人が起こしているので無い。逆だ。彼らは暴力を受けている側だ。とても長い間。

ユダヤ人の到来はパレスチナにとって良いことだった?

イスラエル人がいつも聞かされる物語の一つが「ユダヤ人シオニストがパレスチナに来た時、その英知を持って開発し、砂漠を住みやすい場所に変えた。」と言うものだ。パレスチナのユダヤ人地区を見る。確かに近代的で明るく照らされ舗装道路もある。道の反対側のパレスチナ地区は全く違う。建物は朽ち果て、道路もガタガタ。水不足。問題だらけだ。「ほら、ユダヤ人の到来はパレスチナにとっていいことだったろう。」とシオニストは言う。

しかし例えば高速道路を走ってみて欲しい。道路の片側はユダヤ人地区、もう片側はアラブ人地区、とのケースが多々ある。パレスチナ居住区の建物の上には巨大な貯水タンクがあるのが見えるだろう。ユダヤ人地区には無い。私は貯水タンク自体を知らなかった。そしてあなたは「なぜだろう?」と思うだろう。

イスラエル国家がパレスチナ全域の給水をコントロールしている。mekorotという部署だ。そこが水を司る。パレスチナ人への水の配布率は全体の3%である。3%。パレスチナ全域人口1200万人のうち、700万人はパレスチナ人だ。多数派なのである。その彼らが、3%の水しか配給されていない。

パレスチナ人には週に10-15時間しか水が来ない。だからタンクが必要なのだ。ユダヤ人居住区にそんなものは無い。水の供給量なんて考える事も無い。

そんな状況で、ユダヤ人居住区が立派に見える事が「パレスチナ人が劣っているから」と判断するのが間違っていることは自明だろう。ユダヤ人地区がより立派に見えるのは彼らが特権階級だからに過ぎない。こんな事が全国で行われている。

問題なのは「占領地区」?

占領、という言葉。これもおかしい。パレスチナに連帯する私たちは、占領(occupation)との単語は使わない方がよろしい。「占領地区」とはパレスチナの中のとても小さい地域のことを言う。1948年イスラエルが建国された時、パレスチナの80%が「イスラエル」となった。残りおよそ22%がガザと西岸地区だ。そして20年後、1967年、イスラエルはその地域を「占領」し始めた、と言う。ガザと西岸地区、パレスチナの22%を。それが問題なのだ、と。

67年以降、西岸地区は「スイスチーズ」になっていると言われる

ってか残りはなんなんだ?

西岸地区とガザ以外のおよそ80%のパレスチナ。そこも1948に占領したんじゃないのか?その分はいつオッケーになったんだ?いつから「占領地」じゃなくなった?

我々は(67年以降、イスラエルが"違法に"奪い取った)「占領地区」の話ばかりするが、その他の地域(48年に"イスラエル"になった地域)は占領ではないのか?

(2)に続く


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