歌手「西城秀樹ちゃん」の思い出〜彼は本当に子煩悩だった‼️‼️‼️
西城秀樹ちゃんとは「ホテル・ニューオオタニ」の会員制スポーツクラブで一緒でした。
彼はジムではいつもランニングマシン(英語ではtreadmill(トレッドミル)で走っていました。
サウナに入った後はクラブのバーで飲むことが多かったので、僕はジムやバーでお会いして軽く話をするような関係でした。
当時、僕の子供達は、インターナショナルスクール「St.MARY」(セントメリー)に通っていました。
いつだったかは定かではありませんが、僕が「セントメリー」で校内を歩いている時に
偶然、西城秀樹ちゃんに、バッタリ会ったのです。
彼は驚いた顔で「菅さん、何でここにいるの?」と尋ねてきました。
僕は彼に息子達2人がここに通っていることを説明しました。
すると彼は「今度「セントメリー」のことを詳しく知りたいので、奥様も一緒に食事でもしながら話を聞かせてくれませんか」と誘われました。
僕は「いつでもいいですよ」と答えると彼は「自分もワイフ連れてくるよ」と言って
その場は別れました。
後日、スポーツクラブで会った時に場所と時間を決めました。
青山にある金沢の老舗旅館が運営する加賀料理の「青山浅田」に席を設けました。
奥様は上品で綺麗な方でした。
お酒と美味しい食事をとりながら、彼が子供を「セントメリー」にいれたいので詳しく入学の方法を教えて欲しいと言うことでした。
僕達のケースを説明しました。
僕の場合は妻が外国人で家庭での会話は英語だったので入学のハードルは
両親が2人共、日本人の場合よりハードルは高くありませんでした。
最も重要な試験は校長先生(プリンシパル)との面接です。
勿論英語での面接になります。
子供にも何故「セントメリー」に入りたいのか入学したらどんな部活動をやりたいのか聞かれます。
まな家庭内の基本言語が英語なのもプラスになりました。
当時、校長先生は僕達夫婦にも子供にも質問していき、質問ごとに「プラス1ポイント「マイナス1ポイント」と笑顔で示してくれました。
日本の面接とは全く違っていました。
もう一つ重要なことは入学後に両親が学校の行事や様々なイベントに積極的に参加することです。
学校と生徒と両親が一体となって協力し参加することです。
日本の学校に見られる子供は学校任せということはありません。
僕も時間が許す限り行事やイベントの準備と運営に参加しました。
基本的に日本にいる外国籍の子供達の為の学校なので、原則、両親が2人共日本人の場合は入学は難しかったです。
そして「セントメリー」はインターナショナルスクールの中でも最もレベルが高く、サッカー場や施設も充実しています。
「西城秀樹ご夫妻」には授業も英語で英語以外の言語は校内で使えないことも説明しました。
その時わかったのはご夫妻のお子様はまだ小さく入学するまでに相当時間があることでした。
何年もあるのに「西城秀樹ちゃん」は子供の学校のことを真剣に考えて、インターナショナルスクールの下見をしたり、情報を集めている姿は歌手として歌っている時やスポーツクラブでトレーニングしている時の姿と全く違う子供を愛している「子煩悩」のお父さん、そのものでした。
もし入学する時期になれば、僕達の子供達は男の子2人は「セントメリー」だし、娘は
「セントメリー」の姉妹校「清泉インターナショナル」に通っているので推薦状を書く約束をしました。
もう20年ぐらい前の話なので現在のインターナショナルスクールの現状とは違っているかもしれませんので、そうであればお許しください。
食事をしながら、4人で色々な話でもりあがりました。
食事後、「西城秀樹ちゃん」は「菅さん、これから僕がやっているワイン🍷バーで飲みましょう」と誘われました。
僕達は彼の運転手付きの高級車でワインバーに向かいました。
記憶は定かではありませんが、「ロールスロイス」だったような気がします。
ワインバーでは「西城秀樹ちゃん」はご機嫌でソムリエに「1番いい赤ワイン🍷を持って来てくれ」と指示しました。
ワインをご馳走になりワインも一本以上飲み、楽しい時間を過ごしました。
彼は非常に頑張ってトレーニングをする方でした。
ランニングマシンで長時間走る時は水分補給をせずに走っていたので、一度倒れてしまったことがありました。
何かに集中すると、自分の目標に向かって突き進む方てした。
だからあの素晴らしい歌がうたえるのだと思います。
その後随分経った時に、トレーニング中に、2度目となる体調不良になりました。
何事にも全力で立ち向かう彼は自分の子供のことを愛し、子供の為にも全力をつくしていたのだと思います。
彼の子供が「セントメリー」に入学したかどうかはわかりませんが、2018年に彼が帰らぬ人となった時は全身の力が抜けてしまいました。
ショックでした。
今でも彼のステージで歌う姿をテレビで見るたびに当時のことを思い出します。
奥様にもその後お会いしていませんが、ご家族全員が幸せな生活をおくっていられることを願って、筆を置きます。
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