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旅路のレセプション・モード

一人で旅をしているとき、小さなものから大きなものまで決断を下すのは全て自分。はずれても文句を言える人は傍にはいなければ、当たってもその感動を共有する人もいない。心の中で誰々に後で言おうと思い、写真を撮ったり、メールや日記を書いたりするにとどまる。

行き慣れた場所や大都会で選択肢が多い場合を除けば、旅先や道中ではおよそ口に合わないものでも食べることになる。自分の予想に一番近いものを探すが、まあまあだったらいいほう。すごくおいしいものを発見ということもたまにはあるが、そんなに頻繁にはない。特に限られた中から選ぶわけだし。レストランに行っていくら払おうとこれにおいてはそんなに変わらない。高いからおいしいとか、殆ど関係ない。尤もこれが日本だったら、どんな片田舎でもおいしいものを見つけることはできると確信している。日々食べ比べていたら「普通」なものも、たまにしか食べない日本食は「超おいしい」のだ。

食べるものにありつけるだけラッキーということも多々ある。夜、部屋でくつろぎながら食べようとスナックやお菓子を選んでも、いざ口に入れると食べれたものではない、ということも少なくない。そしておやつはおあずけとなる。

一人旅の道中の心持は極度に緊張したりほっとしたりの連続だ。それは非日常。日頃から一人で行動することが多いので、話し相手がいないといられないわけでは全然ないが、人に言いたいことも起きる。でもそれを聞いてくれる人は横にいない。戸惑いも驚きも感動も全て自分で処理する。良くも悪しくも自分だけがいる。

日々の天気に始まり、起こること、選ぶルート、すれ違う人、言葉を交わす人、出会う人、全てが偶然か運命かその両方。目的の定まった旅では優先すべきミッションがあるため、良くも悪くも心に余白は多くない。日程にブランクの多い旅はそれだけ心が受け取りの状態にあることが多い。昼間知らない人がかけてくれたひと声が、夜まで心に響いたりする。他人の言葉や笑顔が、それほど大きなインパクトを持つことがある。

旅の間はそういうものをより丁寧に自分に取り入れることができる。普段は雑踏を避けて生きていても。レセプションのモードなのだ。非日常では普段あまり聞こえない自分の声もよく聞こえる。日常の騒音によって消したり消さりたりしている声が。

もしもサポートを戴いた際は、4匹のネコのゴハンやネコ砂などに使わせて頂きます。 心から、ありがとうございます