「小説版 すずめの戸締まり」感想

-まえがき

ストーリーについては映画本編をご覧いただくか、もし時間があるならばこの記事を読んだうえで、小説版に触れることもご検討いただきたい。
内容としては読了後に受けた印象についてが主となる。

-絵のない「絵コンテ」


新海誠監督といえば。

私の中ではまず、「君の名は。」「天気の子」というヒット作を立て続けに打ち出していて、ぼんやりとではあるがブランディングの人、という印象だ。
彼の作品をひとつも視聴したことのない私でさえ、その両作品のテーマ曲をサビ程度なら歌えてしまうであろうことが、これまたモヤついてはいるもののその根拠である。

映像美という言葉も、彼の代名詞といっていいのではないかと思う。
彼のアニメーションには、まるで深い海の底に青空を近づけたような爽やかさと静かさが漂い、その圧倒的な現実と非現実の同居はストーリーの突飛さを増長させるようでいて、緩和の役割を果たす不思議さをはらんでいる、という印象を受けた。 彼の名に「海」が混ざっているのは偶然ではないのかもしれない。

そして、それに合わさる楽曲とのコンビネーションも見逃せない。
音楽と画、このふたつを掛け合わせるセンスこそが、もはや国内外の大手アニメーション製作所たちに比肩するほどのブランド力を手にしている要因の一端であることは間違いないだろう。 少ない作品数においてすでに、一目でわかる「らしさ」が十分に固められている。

新海誠へのイメージはこんなところである。
そんな映像界の新星たる彼が、あえて綴った文章。
まず第一声として明らかにしておきたい感想は、少なくともこれは小説ではない、ということである。
あえてふさわしい呼び方を探すならば、「絵のない絵コンテ」だ。

-天才を読む

さて、「絵のない絵コンテ」とはどういうことなのか。

「コンテ」は、英語のコンティニュイティ (continuity、"継続"や"連続"という意味) の略である。
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類似する物に海外作品の「Storyboard」(ストーリーボード)やアニメ作品などにおける「イメージボード」などがある。

Wikipedia-絵コンテ より。 和製英語だったのか。

アニメ―ション作品において、絵コンテというものは作品を完成に向けて動かすための基礎となる書類である。
場面の構図、登場キャラクターの動き、セリフのタイミング、音響効果の指定などが書かれた、いわばプロジェクトという舞台の「台本」といえる。
監督をはじめ、ディレクションを執り行う立場の人間は、脳内に浮かんでいるイメージをここでどれだけ表現し、他者に伝えられるかを腕の見せ所としていて、そしてその出来はそのまま作品の完成度に直結する。

20ページほど読み進めた時点で、私は「新海誠ワールド」に迷い込むことになる。
場面ごとの区切りの中に、細かすぎるほど動きと景色の描写を重点的になすことで、それは良く言えば歯切れのよいテンポ感を、悪く言うならば置いてけぼりにされるほどのスピード感を演出する。
おそらく意図的に排除されているであろう、キャラクターの心情描写はここぞという場面で深く描かれることで、見えない表情や動作を強く想像させる。

さらに特徴的な書き方として、キャラクターの動作から小物までが細かく描写されており、できる限り想像の範囲を狭め場面の具体性を上げるような文にたびたび出会う。
例を挙げれば、アプリのメッセージをひとつひとつ送信させたり、棚にある本のタイトルを列挙したりなど。
一般的な表現手法の範疇ではないか、とも思われるがどうしても全体を通してちらつく言葉は「絵コンテ」である。 場面は「カット」として、描写は「指定」として、こちらに提示されるような感覚が常にあった。

これを字コンテと呼ぶには、あまりにも丁寧で冗長だと言わざるをえない。
かといってノベライズ作品なのかというと、そで・・のコメント曰く映画の原作小説に当たる一冊なので順序が逆である。
少ない語彙の中でこれを表現するならば「絵のない絵コンテ」だとするのがしっくりきたわけだ。

-すずめの物語

映画本編を視聴していないので比較はできないが、かなり劇中の流れを忠実に文章化しているのではないかということが感じられる一冊だった。

印象に残った点として、主人公である鈴芽の外見描写が極端に少なかったことにはこだわりを感じた。
というのも最後に明かされることになる(というほど重大な秘密でもないが)、このストーリーは鈴芽の回想として語られていた、ということを考慮すると、あくまで小説という形式上の都合で第三者視点を用いて表現していただけであり、実際に出来事を目の当たりにしてきたのは読者ではなく、あくまで鈴芽であるということを強調することに、彼女のビジュアルがあいまいなまま幕を閉じることが一役買っているように思う。

そしてこの第三者視点は、しばしば鈴芽視点と重なり合うように揺れ動く。
その描き方は、まるで彼女が見ているものを限りなく劣化させずにそのまま自分でも見ているような感覚を与えてくれる。 二重レンズを切り替えるように、インクの白黒に奥行きを与え、知らないはずの景色を呼び起こす。
新海誠。 彼が映像の人であるということを、文字で表現してのけるとはなんとも恐ろしき実力である。

-おわりに

さて「小説版 すずめの戸締まり」を、絵のない絵コンテであると。
つまりは小説という枠組みを逸脱する手法で描いているという論調でここまでやってきたわけだが、これは誰がどう見ても映画のノベライズであろうということを認めなくてはならない。
頑なに当初の立場をとり続けていくと、この一冊に「小説」としての価値はないと結論付けることになってしまうことに気が付いたので、あくまでも映画とセットで楽しむファンコンテンツであると着地してこの感想文は締めたいと思う。


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