子供を前に、何もできなかったあの日。【旅日記】
旅をしていると、忘れられない瞬間に出くわすことがある。
アインシュタインはこう言ったそうだ。
「教育とは、学校で習ったことをすべて忘れた後に残っているものである」
それは、旅にも当てはまるのではないか。
すべて忘れた後に残っているもの、それが旅だと。
カンボジアのプノンペン。
ベトナムから陸路で入国。なんだか、ベトナムより、暗かった。人は暗くないんだけど、街灯の本数か光量の問題で暗かった。
これはあとでいろんな国に旅をしてわかったんだけど、日本が明るすぎるんだと思う。夜のぞわぞわした怖さって日本の都会、人がたくさん住んでいるエリアではまず感じたことがない。
ごはんの味付けが濃くなった気がした。
街が物理的に(?)暗かった。とにかくそれが最初のイメージ。
その瞬間は、突然訪れた。
いきさつは詳しく覚えていないけど、たしか、宿から歩いてコンビニまで行こう、みたいな感じだったと思う。一人でふらふら歩かないように、と言われていた気もする。一緒に旅をしていた日本人のメンバーと、宿を出た。
数分もかからないうちに、コンビニへ。普通のコンビニだよね。何を買ったかもうそれすら覚えてない。水と、お菓子とかアイスとか買ったんじゃないかな。
で、たしかそれをコンビニの前で食べ始めたんだよね。
その時、どこからか、小さな子供がやってきた。
何かを売りに来た気もする。何か言っていた気もする。
とにかく、なにかちょうだい、といった感じで寄ってきたのだ。
貧しいから、分けてくれ、ってこと。
衝撃的だった。
固まってしまった私
それを見て、ただ、立っていた。
ここで何かをあげることは簡単だが、それは対症療法に過ぎない。
この場で、どうするのが最善なのか。この子にとって。
わからなかった。いや、なすすべがなかった。
今ここで何をしても、どうしようもなかった。
私は、その子を、無視した。
無視してしまった。
何を考えたか。
渡航費が出せるくらいの経済力があり、先進国から来た私。
コンビニくらい、1度くらい、何でも好きなもの買っていいよ、と言うことはできる。でも、それは違うと思った。この1回を助けても、この子の本質的な生活は変わらない。明日も明後日も、ここで物乞いをするのだろう。
第一、子供っていうのは、ものすごく賢い生き物だと思っている。
おそらく、自らが子供だとしっかり把握していて、それを利用しているはずだ。わかっててやってる。あるいは、バックに親や家族、または悪い人が付いているのかもしれない。
そういえば、こんな話をどこかで耳にしたこともある。
ここで子供にお金を渡すと、そのお金は直接その子のモノにならず、バックにいる悪い大人のモノになる、と。
なんなんだろう、これは。
私は無力なのか。
どうして、この世の中はこんな風にできているだろう。
お金を持ちすぎた私たちが異常なのか、あるいは、絶対的貧困がまだ存在していることが異常なのか。
どうして今日、私はこんな思いをすることになったのか。
この複雑に絡み合った世界を理解することは困難に思えた。
理解する必要はないのかもしれない。一生かかっても、世界のすべてを理解することは難しいだろう。
じゃあ、なにがこの子を救えるのか。
たった一人の、ちっぽけな私に、なにができるのか。
出した結論
私の中で、答えを出せた。それは、
「関心を持ち、学び続けること」
無関心っていうのが、一番悪いことのように思えた。
あえて無関心であることは、誰にでもあると思う。私はそれ興味ないから、と。でもそれは、その存在を把握している時点で、関心が少しばかり、ある。
問題なのは、気が付かない無関心だ。そこにあることをそもそも知らなければ、この世界に存在していないことになる。
知ると面倒だから?知ったところで何もできないから?物事のいい面だけ見て自分が幸せに暮らしたいから?
理由は何であれ、無関心は誰かを意図せず傷つけているという点は変わらない。
だけど、急に世界のあらゆることに関心を持つなんて、キャパオーバーだ。
でも、少しずつでも、知ることができる。知って、考えて、自分の日々の暮らしに落とし込んで、また新しいことを知って、考えることができる。
そして、それをもとに、人と対話していくのが、世界平和につながるんじゃないか。自分が知っていることは相手が知らなくて、相手が知っていることは自分が知らない。だから、人は話すんだと思う。対話が大きな力になるのではないか。
少しずつこの世界の解像度をあげていく。その作業を怠らない。
無力ではあるかもしれないが、無価値ではない。
そもそも、無力ではない。
私が今こうして机に向かってカタカタしていることは、無力だと思えない。
他人に影響を与えるなんておこがましい。
そう、自分への戒め、誓いのようなものだ。
私は、今日ここで考えて椅子に座ってパソコンをカタカタしながら、あの日を思い出して胸が苦しくなった。悔しさ、自分のふがいなさ、自分の無知を感じた。それは無力でも無駄でもなんでもない。私の行動が少しでも変わる。
「一人一人の力が世界を変える」って、そういうことを言うんだろう。
「一人一人」の一人であることを自覚して、少しでもよりよい世界を目指して、日々の暮らしを丁寧にしていく。
自分はまだ、何も知らない。
だから諦めるんじゃなくて、前に進むんだ。
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