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コロナで変わったファッション。私に服を選ばせていたものの正体

コロナ禍となり、早いもので1年以上が経ちました。感染予防のための生活様式は大分根付いたように感じます。外出自粛リモートワークとなり、生活様式の一つでもあるファッションに変化が起きたという人も少なくないと思います。
このnoteでは、コロナ禍でのファッション変化となぜ変わったのかについての考察、そして今後選ぶものについて書きたいと思います。

コロナ禍、何着て過ごしていますか?

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コロナの感染予防のため勧められたのが、人との接触を減らすことでした。そのために、人が密集するであろうイベントはおろか、出勤も自宅勤務に切り替わる動きがありました。私も2020年2月からリモートワークがスタートし、6月から産休、8月から育休、この2021年4月に復職なので、リモートワーク中に休み&復帰が行われることになります。

リモートワークが始まった当初は、社会人生活が10年以上続いていた身にとって、初の在宅勤務だったので、いささかテンションが上がったのが正直な感想でした。家大好き人間なので、通勤していた頃も、玄関を出た瞬間に既に家の香りが恋しくなっていました。そんな家好きに在宅勤務という朗報。ギリギリまで寝て、大好きな家で人に会うストレスもなくトイレも秒で行ける!好きな音楽までかけちゃお、などウキっとした気持ちでいたことを覚えています。

リモート開始直後は確実に、在宅ワークの素晴らしさを噛み締めていたのですが、1ヶ月2ヶ月と重ねていくうちに、だんだんと不健康な気持ちが強くなり、人と直接話したい、笑い合いたい…!と人との対面コミュニケーションを渇望するようになっていました。

メンタル面以外でも変化は如実にありました。それは、ファッションです。
もともとカッチリ目の服を着るタイプの会社ではないので大幅な変化ではありませんが、確実に起きたファッション変化

他のリモートワークをしている方々、外出自粛をして日が経っている皆さんは何を着ているのかな〜と気になり続けています。

マスク生活と外出自粛が招いたファッション変化

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前置きが相当長くなってしまいましたが、コロナで服装、髪型、メイク、アクセサリー…使うもの、考え方ともに変わりました。

まず、服装のレパートリーが格段に減りました。
朝は必ずチームで朝会なるものを実施し、カメラオンで顔を見て話をしていたものの、カメラに映る範囲は顔がほとんど&資料などを共有していることもあったので、服装はほぼ見られない(と思っている)。
他部署の人に至っては、スラックやメールのみのやりとりだったり、ミーティングが入ったとしても、画面上ではほとんど資料を共有し合っているため、顔はおろか服を見ることはありません。

その結果、服装は上半身3パターン、下半身1パターンに。
無地で似たような色味(グレー、ネイビー、ブラック)のシャツorニットorTシャツ、下半身はウエストゴムのガウチョパンツをほぼリモートワーク”ユニフォーム”として採用していました。

特に、リモートに入ってからすぐ妊娠後期だったこともあり、楽チンさを何より追求。締め付けない、トイレで秒で出せる(頻尿)、印象に残らない、がアイテム選びの3軸でした。

リモートの前後で服装が格段に違うかというとそういうわけではないのですが、通勤時代は少しくらい窮屈に感じてもスタイルを良く見せるという軸が少なからずありました
また、もちろんのこと全身のバランス、そして週のバランスも考慮していました。柄物の次の日はシンプルなど、「あの人、服のバリエーション豊富感」を持ってもらいたいという意図が働いていました。

次では、コロナ前後で起きたファッションチョイスの変化。この原因を考えてみます。

なぜ、着るものが変わったのか


コロナによって選ぶ服が変わった原因に、以下のことが考えられます。

・人の目
・家の目的
・予定

まず、人の目からです。
リモート前までは、ミーティングがなくても、通りがかりや入退室時など、自分が意識していてもいなくても見られます。また、会社のみならず電車などの通勤時や、職場のある地域性も服選びに影響してきました。それがなくなったとたん、ザ・自分・ローカルになったわけです。

次に、家の目的と書きました。
日本の家って部屋数足りなくないですか?働けど働けど我が部屋の数足しにならず。部屋数が少ない日本の家においては、寝る場所も、食べる場所も、勉強する場所も、団欒も全て同じ場所なんてことざらではないでしょうか。これは大好きなポイントでもあるのですが、リモートが始まったとたん、足かせになったのもコレでした。

日本の家って働くという設定はほとんどなされていないのではないしょうか。漫画家やエンジニア、作家など元から家を職場として生業を立てている方なら、その仕様に部屋を設計しているかと思うのですが、そんな人ほんのわずか…。
食べたり、くつろいだり、涙する場に突如持ち込まれた労働。部屋着と外行き着の妥結点が、我が採用したリモート服でした。

そして、最後が予定です。
コロナによって、外出自粛とともに外食の機会が減りました。私は長年子なし夫婦だったこともあり、最低週3はお外力(外食)を借りていたので、わりと外出予定、寄り道予定がありました。事前に人と約束をしていれば、その人のテイストに寄せた感じの服装を選んだり、店や場所の雰囲気に寄せることもありました。

が、それらが一気になくなったことで、誰にもどこにも合わせる服を選ばなくなったのでした。

服装は変化してもグレードアップしたこと

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ファッションは全くといって良いほどダウングレードしたわけですが、アップしたものもあります。
それは、スキンケアと食事です。

まずスキンケアですが、家にいながら濃いめのメイクって疲れますし、そもそもパソコンのカメラで細部のアラは見えないだろうと予測。とはいえ、すっぴんだと完全悪い顔選手権でぶっちぎりの1位獲れる感じなので、目の周りと眉だけメイクになりました。

画面上ではこれでも良いんですが、実際に自分で面と向かうと、すごいバランス悪いんですよね…。これまでは塗れば何とかなる方式でとかくカバー力の強いもの、モチの良いものを軸に探していたところを、ベースアップに舵を切るようになったのです。
私の顔には、アバタやシミが暗躍しているので、ドラストコスメでは対応しきれず、美容皮膚科一択。長年行かなくなっていたレーザーも復活させました。

そして、次が食事です。これはスキンケアとも深い関係があるのですが、どんな良い薬やコスメも、体内に入れるものが腐ってたら台無し。実際に腐っていなくても、悪い油や添加物、過剰な塩分糖分などは体のどのパーツにも良い影響を与えません。

外食がなくなったこともあり、基本は自炊に。野菜も産地なんかどうでも良かった人間が、子どもの離乳食を機に、無農薬や産地と生産者のわかるものをチョイスするようになりました。
食べ物を無農薬にして、産直にしたところで、レーザーばりのお肌への即効性は皆無です。しかし、意識の問題だとは思うのですが、何を食べるか考えて旬なものや、納得のいった食材を口にするようになってから、体の毒素が抜けるような感覚が無きにしも非ずなのです。

次に、コロナになってから迎えたファッション変化で、自分にとってファッションとは何なのか思ったことです。

コロナで知った、自分にとってのファッションとは

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コロナで変わった服装。アクセサリーは一切しなくなり、何ならコンタクトさえつけない日の方が多い日々。これまでは、結構ファッションについての興味度も決して低くはなかったです。が、人の目と外出がなくなった瞬間、秒で楽チン仕様に変化を遂げました。そこで思うのです。

え、自分にとってのファッションの正体って何だったのよ

私、結構高い服伊勢丹のセールでしこたま買ってたじゃん
私、記念日誕生日にはハイブランドのジュエリー欲しい言ってたじゃん
私、ヨガ&筋トレで獲得したウエストのために細め服選んでたじゃん(ウエストはコロナでも筋トレのおかげでかろうじて存命

思うのです。自分にとってのファッションは、相手つまり他者がいて成り立つ部分が多かったのだと。

世の中には、家でもハイヒール履いたり、彼氏がいなくてもきちんと(?)ジェラートピケ着ている人もいます。でも、自分は決してそのタイプではありませんでした。彼氏がいても最初は小綺麗にするものの、ちょっとでも慣れてくるとヨレヨレTシャツ、生地薄くなりすぎて雑巾というセカンドキャリアすら与えられないパンツ…という出で立ちになっていました。

とはいえ、かわいいものが嫌いなわけでも興味がないわけでもなく、今でも服は買いますし、新しいもの、お気に入りのものを着るとスッピンでもちょっとウキウキはします。

コロナがなければ、こんだけ家にこもることも、予定がないことも、人に直接会わないこともありませんでした。でも、この機会があったからこそ、気づいたいのです。自分にとってのファッションは、意気込みであったと。

人に自分ってこうだと受け止めて欲しい、「ちゃんとした格好してきましたよ」、「場に合わせてきましたよ」って。

ファッションは表現だと言うのもありきたりですが、ファッションも立派なノンバーバルコミュニケーションの一つで、自分の言葉を補ったり、延長するものなんじゃないかなと思うのです。

コロナで人からの目が俄然減ったことによって、人から注がれる視線の範囲が画像内に収まるようになり、スキンケアや食事に注力がシフトしたことも合点がいきます。服を見られない分、肌やトーン、体調面で意気込み始めていた自分だったのですね。

最後に、コロナを経てみて、今後何を着ていきたいかについて思いを巡らせて終わりにしたいと思います。

これから何着て行こう

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コロナになって変わったファッション。そして見つめ直した結果わかった、服選びに込めていた自分でも気づいていなかった想い。
私は人の目があったから、予定があったから、その服を選んでいた。

コロナによってそれらがなくなった今、私は違う服を着ている

今私が着ているのは、本気で着やすくてリラックスできてちょっとダサくてかわいい服。

これは、さっきわかった自分にとってのファッションとはのセオリーに当てはめてみると、意気込んでいないわけではない。
むしろ、自分に正直になった気がします。

これからまたコロナが終息したら、いや、しなくても私は何を着るのだろう。

これまではどう見られたいかで選んでいて、自分があるようで、他人が選択のパイを占めていました。

これからは、円の中の自分の存在をもっと大きく持って、服選びがしたいと思っています。

みすぼらしい格好、手抜きの格好が落ち着くわけではない。
ときめく要素がないと気分もあがらない。
でも、無理して窮屈なものに体をねじこむのも何かしっくりこない。

だからこれからは、長く使えて、捨てたくなるくらいボロボロでも愛着が持てるアイテムしか買わないようにしたいし、身につけたいと思うのです。

ちょっと良いブランドで、手が届く感じで、ちょっとゆるいアイテムを選ぶという軸を、コロナ期に獲得しました。
年齢や環境でまたソッコー変わるかもしれませんが…。

もう、どう見られたいかより、自分が何者かであるかのように勇まなくて良い服に身を包んでいきたいなと思うコロナ2年目の春でした。

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