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いろいろ
今の私は、人生の中では幾分か高い位置にいると思う。
困難を乗り越えた。
胸を膨らませた春も、すべてを強く握った夏も、わたしを奮い立たせた秋も、明日を生き延びた冬も、繋がって
神様は 私の涙も拭った 私の涙を救った
またやってくる。清々しい春である。
毎年毎年、こうも春の匂いは違うのか。
不安の含有量はやはり少なく、こっそり微笑んでしまうほどの暖かさがそれにはあるのだ。憎めない。
私が今心配すべきなのは第一に成績だろう。
第二に友人、第三に外見である。
勉強にやりすぎはないと何処かで聞いたことがある。
友人とはまったくもって面倒なものである(このとき、友人とは中学生である現時点で交友関係のある人物を指す)。
指先で紡ぐ言葉には濃密な時間をかけるべきだとつくづく思う。
視覚で感じる文章は誤解を招き、蟠りを生じさせ、繋がりを破綻させる。脆い繋がりほど簡単に崩れやすい。
今日発見したことを記しておこう。
私は自分のことを自分で決めることができない。
そう確信した当初はGoogleで「自分のこと 決められない」などと検索をかけそれに該当する記事を読み漁ったものだが、そのような記事に書いてある「決められない人の特徴」に全て自分が当てはまっていることに気づいたといは驚愕した。その特徴とは以下の通りである。
①悲観的である
②他人の目を気にしすぎている
③判断基準が曖昧である
一つ一つ触れていくのは面倒なので、私が「これだ」と感じた言葉を置いておこう。
自分の外側に正解があると思っている。
これである。
悲観的(私が思うに =自分の判断に自信がない)であことも、他人の目を気にしすぎていることも、判断基準が曖昧であることも、総じてこれである。
自分の中には正解があるはずないと思い込んでいるから悲観的になる。
他人に嫌われたくないから自分が変ではないかの確認が欠かせず、自分で決められない。
自分が好きかどうか、やりたいかどうかなど判断する基準が決められない、つまりその先も決めることができない。
解決策はきっと山ほどあるだろう。
なんとかこの欠点をなくし、新たな一歩を気持ちよく踏み出したいものだ。
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