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肯定【七草にちかLandingPoint/緋田美琴LandingPoint】

 私の担当アイドル、七草にちかの物語。そして彼女の関わるシーズ2人のLandingPointシナリオについて、私の考えと想いをここに記す。

当記事内には【七草にちかLandingPoint】【緋田美琴LandingPoint】及びそれ以前に実装されたシーズ関連コミュのネタバレが多分に含まれるためご注意ください。



ビールケースのステージの先で

 ワンマンライブ――それはシーズのための、シーズのファンしか訪れないステージ。シャニPは2人がそんな機会を大切にできるよう、思案を巡らせていた。

 これまで長らく美琴は、完璧なパフォーマンスこそが人々を魅了し感動させる唯一無二の手段であると考えていた。しかしシナリオイベント【セヴン#ス】での八雲なみのトリビュート・ギグを経て、『パフォーマンス』が引き起こす感動は、完璧な技術によるもの一辺倒ではないことを知った。

 そして今回、美琴への課題として提示したのは『自然体』――それをシャニPは『パフォーマンスが完璧なこと』よりも上に置いたのだ。

 美琴は「歌とかダンスとかパフォーマンスでみんなに感動を与えられるようなアイドル」を目指している。それに費やしてきた10年の熱意は、決して揺らぐことは無い。しかしトリビュート・ギグを越えて、その捉え方には変化が生じた。
 だから彼女は、この『自然体』に向き合う決意を固めたのだろう。



 一方で スーパーでの特売に奔走するにちかの姿はもはやお決まりで、それは彼女にとっての閉塞感の象徴だった。

 しかしシャニPに対する声色はどこか明るく、表情も柔らかい。世界が劇的に変わらずとも、にちかの意識の変わり始めを予感させる。

 にちかもまた【セヴン#ス】を越えて、自身の境遇を少しづつ肯定する術を身に着け始めていた。憧れの相方の目に自分が映っていないのではないか、自分は相応しくないのではないかと、長らく募らせていた不安。そんなものに終止符が打たれたのだ。


 そしてそんなにちかにシャニPが持ってきた仕事は、子どもたちとの体験ダンスレッスン。かつてのにちかであれば、ワンマンに支障が出ると突っぱねていたかもしれない。しかしシャニPの熱心な説得もあってか、今のにちかはこの仕事を受ける決心をする。

 思い返せば、にちかが自分のファン足りえる者と向き合う描写は、これまでほぼ見られなかった。何故ならにちかは彼女にとってのアイドルである美琴にばかり意識が向き、アイドルとしての自分に憧れてくれる者など関心の埒外であったのだ。
 しかしそんな彼女も今なら向き合える――そんな願いを込めて、シャニPはこの仕事を提案したのかもしれない。

 そしてそんな自身を応援してくれる人と触れあえば、自然と自己の肯定ができる。ここまでの長い道のりで、遂ににちかはその土壌を整えたのだ。
 「ちょっと上手くない方」との自虐を口にする彼女は、けれどもいつになく柔らかい表情をしていた。



取り零してきたものを振り返るように

 かつてファン感謝祭において美琴は、ファンへの感謝は当たり前のものとした上で、パフォーマンスの精度や新規性で恩返しすることに固執していた。しかしトリビュート・ギグをするにあたり、八雲なみがファンに与えた感動の本質はテクニカルに優れていることではなかったことを、美琴は辿ってきた。


 私は以前の記事でこう書いた。

 洗練されたコマは回っている姿を見るだけで、その背景にある工学部チームのドラマが透けるのではないか。それこそがパフォーマンスで人々を感動させるということなのではないか。

自分【セヴン#ス】

 下積みや努力にまつわるドラマを封じられていた八雲なみ。しかし毎回趣の変わるその些細なポーズには、見る人の心を動かしうる『彼女自身』が込められていた。美琴は執念深く八雲なみの活動をなぞることで、その代替不可能な想い――すなわちアイドル性の何たるかを捉えたのだ。

 だから言うなればその気付きによる美琴の変化は、今回のワンマンライブをあのファン感謝祭のリベンジたらしめるかもしれない。

 美琴はいつだって、自分のステージを見に来てくれるファンへの感謝を忘れない。その不変性は時に思考停止を引き起こし、パフォーマンスで完璧を目指す志向に拍車をかけていた。
 しかしダンスの最中でなければ、既にその感謝の心は笑顔という形で、自然体のまま表れていたのだ。ずっと美琴を傍で見てきたシャニPは、そのことをよく知っていた。

 その笑顔で示される想いこそが美琴の自分自身の出力であり自然体の感謝であるならば、それをパフォーマンスに込めることこそが人の心を動かすに違いない。ファンに感謝を伝え感動させる源となるのは、完璧であることだけでは決してない。

 アイドルとしてステージに立つことの意味をやっと知ろうとした美琴が辿り着いた答えは、紛れもなく自然体による魅力だった。



自己の歩みを肯定できるように

 にちかのここまでの懸命な歩みを、今までの彼女は否定的に見ることしかできていなかった。しかしその心境に何かしらの変化がもたらされたとしたら、それはやはり美琴のお陰なのだろう。

 そして奇しくも、あの路上で見かけたお笑いコンビと収録現場での再会を果たす。相方をフランクに食事に誘いたい様も、欲望に負けて計画を下方修正する様も、将来の夢さえも、『にちかの自然体』は悲しい程に、このありふれた『冴えないお笑いコンビ』に似通っていた。
 にちかはそんな2人に共感を覚えてしまい、だからこそ当時は苛つきが抑えられないながらも、時には想いを馳せていた。

 もちろん相手方は路上での出会いを認知していないが、芸能界におけるにちかを「キャラがかぶっちゃうかも」と評している。立ち回りにどこか似通ったものを感じていたのは、にちか側だけではなかったのだ。


 その新人お笑いはにちかと同様に、相方を置いて一人で収録に挑んでいた。話題の切り込みが空回りして現場をひやひやさせる程に肩の力が入りっぱなしだったのは、後にして思えば相方の分まで背負っているというプレッシャーから来るものだったのかもしれない。
 だから、にちかに投げかけられる言葉は、似た境遇故に気になってしまう心を抉る刃物のような鋭さであった。


 私は以前の記事でこう書いた。

 自意識の檻に閉じこもっていたにちかにとって、自分のことを最も認めていなかったのは他ならぬ自分自身だった。しかし妬ましい元相方が現れて、「お前なんか認めない」と言ってくれることによって初めて、にちかは反論する機会が与えられる。それは美琴が言葉をくれない現状で、にちかが自己肯定感を回復できる荒治療的手段。
 ならばにちかは、きっとこの先もルカと戦っていかなければならない。

対話【モノラル・ダイアローグス】

 これは逆説的に言えば、美琴からの承認さえ得られればルカと張り合う必要は無いということである。トリビュート・ギグを終えビールケースの上のにちかの手を取った相方により、当時の私の推論は見事に砕かれた。

 理想に及ばぬことばかりを悲観していたにちかはもういない
 子どもたちとの体験ダンスレッスンの時と同じく、彼女はすべてひっくるめた自分を、少しずつ肯定できるようになっていた。

 笑われる仕事でも、辛い言葉を投げかけられても、にちかが気丈に振舞えているのは、彼女に自己肯定の芯が通った証なのではないだろうか。



ありのままの私じゃないと

 美琴とにちかは、シャニPの持ち込んだ課題ないし案件によって、今の自分を見つめて地に足を着けるこの機会を、大切にすることができた。


 長い時間を経て、様々なものを乗り越え、遂にここまで到達したのだ。

 彼女らの伝えようとしている内容を要約するならば、かつてと見違えるほどの変化があるものではないかもしれない。しかしその姿勢は、表情は、言葉の端々から滲む想いは、あの頃よりも確実にファンの方を向いていた

 シャニマス全体に共通する理論――自分を大切にできなければ、人を大切にすることはできない。自分をあいせなければ、人にあいを分け与えることはできない
 自分の自然体を受け入れたからこそ、自分を肯定できたからこそ、今の2人はファンに感謝し、恩返しをステージで示すということの本当の意味を知れたのかもしれない。



 私は以前の記事でこう書いた。

 人は、そう簡単に生き方を、価値観を変えることはできない。
 けれど相手の価値観に寄り添い、苦しめている物事への解釈を変えられるように促すことで、本人の生き方を尊重したまま問題の解決に向かうことができるのだ。

人生【七草にちかG.R.A.D./緋田美琴G.R.A.D.】

 美琴の『自然体』――これから育まれるアイドル性の土台は、振り返ればこれまでの歩みの中にあった。

 ストイックにパフォーマンスを追求し、レッスンに時間を費やしてきた10年。時には悲観することもあったかもしれない。しかし美琴にとってはそれが自然体で、その年月は楽しかったと肯定できるものだったのだ。
 シーズとしての歩みが、そんな『今までの美琴』を大切にしたまま、それを魅力としてステージに置いてくることを助けたのかもしれない。


 にちかの『懸命さ』――これから育まれるアイドル性の土台は、振り返ればこれまでの歩みの中にあった。

 幼心による純粋な憧れによる懸命さ。それはにちか自身が失いかけているもの。しかしそのキラキラは、かつて家族の中のアイドルとして自分の中にあった憧れだった。
 シーズとしての歩みが、そんな『ありのままのにちか』を大切にしたまま、それを魅力として見る者に分け与える助けをしたのかもしれない。



ずっと生きていくために必要なもの

 シャニPが美琴に求めた『自然体』は、後の撮影の仕事のテーマであったことが明かされる。ワンマンライブに照準を定めた課題ではなかったのかなどという疑問は野暮だろう。
 美琴が引き出したいと写真家に思わせるほどの魅力を秘めていたこと、あるいはシャニPが真摯に営業を続けていたことが、この機会を生みステージと嚙み合ったのだ。

 これまで取り零してきたものであり、しかし振り返ればいつだってそこにあったもの――美琴は完璧なプロであること以外の、自然体でいることの魅力を肯定した。自分が自身であることそれそのものの価値を受け入れた
 それはまさしくテクニカルでは替えの利かない『アイドル性』であるし、ひとりの人間としての長い人生で支えとなるものに他ならなかった。



 にちかがふとテレビに目をやると、あのお笑いコンビが映っていた。シーズにはシーズの、彼らには彼らの歩みがある。

 バラドル路線も容認しつつステージを第一に臨むにちかと、バラエティ番組に出つつも自分の持ち味はネタだと言い切る彼。美琴さんが飛べるように台になると決意していたにちかと、彼のことを踏み台上等だと笑いに繋げる売れていない方の相方。
 そんな姿を目にし、あんな言葉を投げかけられた相手にも関わらず、にちかの表情からは笑みが零れていた。彼らも必死で彼らの人生を生きており、その懸命さはどんなに違うと言い張っても自分と重なってしまう。

 その事実と向き合ってなお笑えるほどに、今のにちかは自己の歩みを肯定できるようになっていた。自分の理想に及ばぬ部分をも大切にしながら、前を向けるようになったのだ。
 
今までの彼女に欠けていたそんな認知は、これからの長い人生でかけがえのない宝物となるだろう。



あとがき(所感など)

 思い付きをふせったーとかにしたやつ


 今回のイベントコミュ実装により、以前の記事を読むと素っ頓狂な考察もあるかもしれない。それでも書いた時点での私の考えということで、毎度のごとく特に改変せず残しておくことにする。


 今回のLandingPointシナリオは非常に明快であり、ここがシーズの着陸地点であることを疑う余地の無い読後感であった。斑鳩ルカや社長の過去話などが介入してこなかったのも、2人の物語がにちかと美琴それぞれに帰結すべきものであるということを補強している。
(既にコメティックや事務的光空記録が公開されているので、シーズの物語がそれらを背負う役割を終えたのかもしれない。ならばこれからはより2人のための物語が綴られていくことを期待せずにはいられない)


 さて、このLandingPointはシーズのコミュとしては珍しく、不穏な匂わせの無い幕引きであった。しかし、彼女らが理想の姿を体現し夢を叶えたのかと聞かれれば、その評価は下せない

 G.R.A.D.シナリオにおいてシャニPからプレゼントされた、にちかの為の、にちかに合った靴。【セヴン#ス】シナリオにおいて、にちかをレッスン場へと運び美琴の想いとの橋渡しをさせた靴。
 なみちゃんのインタビューを引用するまでもなく、にちかにとってこの靴の意味する価値は相当に大きなものだった。そして円満に閉じたと思われる今回のコミュですら、最後までその靴を履くことはなかった。

 にちかは、決して現状に甘んじてはいない。
 まだどこにも行っていないとすら思っている。

 これが希望でなくて何であろうか。
 にちかの先には無限の未来が広がっていて、彼女が夢を叶えるまでの、幸せになるまでにストーリーは、まさにこれから始まろうとしているのだ。

 大切な人たちが身を寄せ合い、安息できるこの場所を発着点として――


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